道の始まり3




3.

一方その頃、不運な行き違いの連続でエイトに会えずにいる、ネズミの姿のグルーノを連れた男が漸く荒野の山小屋に到着した。
「おやおや、千客万来だべ」
小屋の主人が出迎える。
「こんな辺鄙な場所に昨日、今日と人が来るとは」
その言葉にはっとしたグルーノがポケットの中から男に合図を送る。
「おや、繁盛しているのかい。そいつは羨ましい限りだぜ」
心得た、とばかりに何気ない風を装って尋ねた。
「まあ、タダで泊めてやったから儲かったわけじゃねえんだが…子供が一人、迷い込んで来てよ。最初はリーザス村に行こうとしていたらしいんだが、反対方向だと知るとこの先のトロデーン城に行く気になっちまって」
「ほう」
男は深刻な視線をグルーノと交わし合う。
「まあ知っての通りこの先は荒野で何もねえ。悪いことは言わんから戻った方がいいぞ、と言って送りだしてやったんだべ」
「なる程な」
しかし二人は子供とはすれ違わなかった。この小屋までは山間の隘路で、目を配りながら進んで行き違ってしまうことはまずない。どうやらエイトは忠告を聞かずに荒野へと出て行ってしまったようだ。
「いや、こちらも先を急ぐ旅でね。ちょっと道を確かめたくて寄らせてもらったのさ。どうもありがとよ」
一人と一匹は主人に会釈して小屋を出た。そして荒野へと下り、小屋からは絶対に見えないだろう、というところでグルーノが人形へ戻った。
「まずいことになったな」
「へえ、左様で」
「荒野で行き倒れようものならまず助からんぞ」
グルーノは腕組みして思案したものの、良い策などすぐに浮かぶはずもない。男もつられて腕組みして視線を地面に落とした時、ある物に気付いた。
「ん?これは?」
「どうした?」
男はかがみ込んで砂地の痕跡を調べる。
「足跡…ですかね、子供の」
「しめた!」
グルーノは男の言葉にぽん、と手を打った。
「砂地じゃから足跡が残ったんじゃな。よし、跡をつけるぞ」

              ※             ※             ※

荒野を何とか通過できたものの、今度は「飢え」がエイトの身に襲いかかる。幸い小さな流れを見つけることができたので喉を潤すことはできたが、食べられそうな物は何もない。足元にはコケモモが群生していたが、まだ季節ではなく甘酸っぱいその実を食べることはできなかった。
蜂がぶんぶんと飛び、花が咲く緑の草原。けれども食べられるものは何もない!エイトは座り込み、傍の花の上を蜂が飛び回る様を呆然と眺め遣った。
(蝶や蜂だったら花の蜜で生きていけるのに)
とその時手近に薄紫の花、釣鐘草が咲いているのに気付いた。これは確か…
(これ、蜜を吸えるんじゃなかったかな?)
思い付いたら手が勝手に花を摘み花柄を口に含んでいた。すると花の香しい蜜が口の中に流れ込む。その甘味は疲れた心を癒した。もちろん飢えを満たすことなどできなかったが、「生きよう」という気力を取り戻すには十分だった。
手当たり次第花を摘んでは蜜を吸う行為を繰り返し、漸く立ち上がることができた。落ち着いて辺りを見回すとそれなりに食べるものはあった。近くの潅木には木いちごが真っ赤に熟れていたし、手前の草むらはスイバの物だった。
(ええと、若い芽はちょっと酸っぱくて食べられるんだっけ)
近寄りながら思い出した時、エイトは立ち止まった。
(こういうことは覚えているのに、どうしてもっと大切なことが思い出せないの?)
例えば自分の親とか。住んでいた場所とか。船に乗ってどこへ行く予定だったのか、とか。分かるのは自分の名前と年齢、そして日常生活に必要な細々としたことばかり。
助け出され連れて行かれた街には子供がいた。その傍らには両親が立ってその子を見守っている。行き違う旅人にも子供連れがいた。子供一人で歩いているのは自分だけだった…
(お父さん、お母さん…)

              ※             ※             ※

エイトの足跡を追っていた二人だったが、あっという間にそれを見失ってしまった。岩陰に続いていた足跡が急に乱れ、地面にたくさんの窪みができている。何者かによって襲われた印だった。
「いかんな」
「この辺りには土中に人を引きずり込む魔物が出るんですよ。それに襲われたのかも」
その言葉にグルーノは土を一握り掬い取り、臭いを嗅いだ。
「血の臭いはせんな…魔物に喰われてはおらんようだ」
「でもお孫さんは竜化できるんでしょう?」
「いや」
男の問いにグルーノは首を横に振った。
「できんはずじゃ。というよりワシがそのように仕向けた」
「そんなことが可能なんですか?竜神族の血を半分も引いておれば竜化することは可能だったと思いますが」
「よいか、我々にとっての竜化とはヒトが言葉を覚えることによく似ておる。子供が見様見真似で何かの拍子に変化し、やがて自らの意志で竜化呪文を操れるようになるのじゃ。決して本能ではない。
ヒトは言葉を覚えるべき時期に外界から切り離されれば言葉を失ってしまう。それと同じように、竜化を覚え始める時期にワシはあれをそうさせなかった」
「なぜです?このように人界追放の可能性もあって、竜化できた方が安全だったでしょうに」
「ヒトは竜を恐れる」
「そんなことよりも身の安全でしょう」
「身の安全を考えたら竜化だけは断じてならんことじゃった。通常我々が竜に変化する時、体力と精神力を消耗する。しかしそれは一時のこと。休めばすぐに回復し、特に障害が起きるようなことはない。
じゃがあれは半人、身体の中を流れるヒトの血が竜化の際に得られる力に耐えられん。竜化すれば生命を削る。
おぬしも聞いたことがあろう。かつて里が人界に在った頃、当時の竜神王がヒトと通婚し、得られた子が竜化の度に生命を削って酷く短命となり、その家系は途絶えたという話を」
「ええ。それから一族の長は世襲ではなく最も優れた者から選ぶようになった、と」
グルーノの言葉に男は深く頷いた。
「まあ、そういうことじゃ。いくらあれの父親が里への道をほぼ踏破できる程の力の持ち主あったとて所詮ヒトはヒト。竜化の際の消耗に耐えられん。かつてはヒトの中にも強大な魔力も以てして竜化呪文を操る者もおったらしいがの。
それに…」
グルーノは悲しそうな顔をした。
「ウィニアは耐えられんかった。竜神族の妊娠期間は三年半、ヒトより長く胎におることによって力に堪え得る能力を身につける。ヒトの器がまず形作られその後竜の能力が備わるのじゃ。
じゃがエイトはそこまでおられんかった。竜化の能力はまずないと思ってよい」
「と言うことは竜の炎にも?」
「無論。辛うじて雷に耐える力は備わったがの。我々の中ではかなり珍しい性質じゃが。見た目が細い割に力が強く、身が軽いなどの竜神族の特徴を受け継いではおる。じゃが中身はヒトと同じと言っても過言ではないんじゃ」
小高い砂丘の上まで来て、グルーノは立ち止まった。じりじりと照りつける太陽と熱を帯びた砂ばかりが続く荒野、見渡す限り生きて動いているのはグルーノたち二人だけだった。
「早く見付け出さなければ…」
二人の間には焦燥の色ばかりが濃い。





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2006.1.7 初出 2006.9.9 改定










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