2.

街を出たところで変な生き物に襲われた。角の生えたやけに大きなウサギで、エイトの姿を見るなり突進してくる。慌てて逃げようとして転びかけ、そこにウサギがぶつかってきて息が詰まる。今は大丈夫だったがもしあの角が刺さったら大怪我してしまう、そう思ったエイトはとにかく必死になって逃げ出した。
走りに走り、突進するウサギをぱっと躱して木に激突させて振り切ったところで漸くエイトは一息吐いた。
エイトは先程出てきた街で「リーザス村には大きなお屋敷があり、そこならば子供の働き手を探しているかもしれない」という話を聞いて、そこに行こうと決めたのである。ポルトリンク──今出てきた街の名だ──の港もそのお屋敷の主人の持ち物で、何かあればすぐに連絡が行くことになっているらしい。
「もし坊やのご両親が来たらすぐに知らせてあげられますよ」
とおばさんは言っていた。ポルトリンクはいい街だったけど子供では足手まといにしかならないらしい。邪魔者扱いされるよりは、と小さな頭で考えて追い出される前に街を出たのである。
おばさんがチーズと堅パンのお弁当を、神父様が聖水と薬草を持たせてくれてリーザス村までの短い旅になるはずだった。街の人も「ずっと海沿いに進めば夕方には着くよ」と言っていた。
なのにどうしたことか。街を出てすぐに魔物に襲われて無闇に逃げ惑って方向感覚をなくし、今は山間の道を進んでいる。日も暮れかかり薄暗くなってきて心細さは倍増した。
と、行く手の丘の上にちらちらと光る物が見える。灯だ!きっと村なんだ、道は間違っていなかったんだ!元気づけられたエイトの足は速まった。途中変な岩がこちらを見てにやにやとしていたように思ったが、見ないようにして丘を登る。
が、辿り着いた先には古い小屋が一軒あるばかりだった。落胆しつつもここがどこなのかだけは知っておかなければならない、エイトはそう思って小屋の扉を開いた。
「あの…ごめんください」
「ややっ、これはまた小っこいお客さんだべ。どうした、坊や?一人か?」
小屋の主と思われる男が声を上げる。小屋の中は意外にこざっぱりとして居心地がよさそうだった。
「あの、ここ、どこですか?」
「なんだ?迷子になっただか?ここは荒野の山小屋だべ。この先には荒野が広がっていて何もねえだべよ。子供一人で行くような場所じゃねえべ」
「えっ、そうなんですか?リーザス村じゃないんですね」
男の言葉にどっと力が抜ける。へなへなと座り込んでしまった。
「坊や、しっかりするだ。今水やっから、な?」
コップがエイトの口許に当てがわれた。とても香しい、おいしい飲み物だと思ったが、すぐにそれはただの水だと分かる。それでも半日歩き通しで飲まず食わずだったエイトはごくごくと飲み干した。
「坊や、どこから来ただ?リーザス村はな、ポルトリンクの反対側だべよ。ここからだと大人の足でも二日、さね」
男の説明にエイトはさらに落胆した。
「そんなに遠くなんだ…」
それにあの街の近くには変なウサギがいる。また追い回されたら…と思うと気が滅入った。
「そうさね、この先は荒野で何もねえが、ずっと進んで洞門を抜けると旅人の教会があって、その北に大きなお城があるべさ」
「お城…」
「この辺りもそこの領地だべ」
「へえ」
行ってみようかな、とエイトは思った。追いかけられるくらいなら荒れ地なんて、とつい思ってしまったのである。
「トロデーン城まで大人の足で二日ぐらいだべ。荒野を無事抜けられたならだがよ」
リーザス村もトロデーンも、どちらもエイトの知らない場所だった。けれども村は何となくどんな場所か見当がついたが─覚えている訳では無いのだが、自分はもともとそういう場所にいたのかもしれない─、お城は見たことがない。多分。
「僕みたいな子供でも働けますか?」
どんなお城なのか早くも心に描きながら問う。
「おやまあ、気の早いことだで。ま、お城っちゅうもんはいっつも人手の欲しい所らしいから、坊やでも働けると思うけどよ…
大体坊やの親御さんはどこにいるんだね。まさか孤児かい?」
苦虫を噛み潰したかのような顔で問いかけられ、エイトははっと我に返った。
「親…」
ポルトリンクで聞かされた話を思い出しながら男に話す。
「あの…乗っていた船が難破したみたいで…親とはそれっきり…」
どうも腑に落ちない。でもこれしか自分の置かれている状況を説明することができない。
「何と、おらんのか!そりゃ気の毒に…」
男は腕を組み、考え込んだ。
「この先の荒野には本当に何もねえ。大の大人でも道を見失って行き倒れることも多いだよ。まして子供ではひとたまりもねえ。
悪いことは言わねえ、お城に行きたけりゃ今来た道を戻ってリーザス村から回った方がいいだ」
「そうですか…」
「今夜は泊まってけ。お代は心配すんな、こんな子供からは取れんから」

           ※          ※          ※

不毛の地。太陽の光が凶悪に感じられる程無慈悲に照りつけ、容赦なく身体の水分を奪っていく。
(ウサギの方がましだったかな)
小屋での忠告を聞かずに荒野へと出てしまったエイトはたちまち後悔した。戻ろうにも起伏の多い地形は行く手を見失わせ、地中から現れる手が足を掴んで人を地面の中へ引き摺り込もうとする。どうやらその魔物は人の臭い、というよりは重みで獲物の存在を感知しているらしく、身の軽いエイトは幸いにもそれにほとんど遭遇しなかった。それでも休もうとついうっかり砂地に座り、足首を掴まれた時は肝を冷やした。叫び声を上げれば他の魔物を呼び寄せる。無言のまま必死の思いで手近な尖った石でその手を殴る。手が離れた隙に岩の上に避難して事無きを得た。
それからは岩伝いに歩き砂地は駆け抜けるようにした。しかし一定の速さで歩けない上に足場の悪い岩場を歩くためにひどく消耗する。
漸く日陰の岩を見つけて休むことができた。小屋でリンゴを一つもらっていたのを思い出し、袋から出して齧る。
(まだ続くのかな…)
パンとチーズは取っておいた方がよさそうだ。
(こんなに暑いんだったら夜、歩いた方がいいかも)
その考えが良いもののに思い、涼しくなるまで昼寝することに決めたのだった。



やがて日が陰り夕風が吹き始める頃、エイトは目を覚ました。一つ伸びをして立ち上がろうとしたが、身体が重い。硬い岩の上で寝たせいなのか節々が軋み喉が乾いてぺたぺたと貼り付くような感じすらある。
(今夜のうちに荒野を抜けてしまおう)
そう決心したエイトはポルトリンクから持ってきたパンとチーズを慎重に半分だけ食べ、水筒の水で喉を潤す。いざという時のために水は残して立ち上がった。
幸い月夜で、目が慣れてしまえば視界には何の問題も無い。夜露が降りてきて昼間よりも呼吸が楽なくらいである。
エイトはせっせと足を動かし続け─途中、パンとチーズの残りを全部食べてしまったが─払暁、漸く荒野を抜けたのだった。





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2006.1.4 初出 2006.8.26 改定










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