秘密のおでかけ5





5.

「そろそろ帰らないと」
広場は明るい午後の光に満ち溢れていましたが、城壁が作る影は長くなりつつありました。
「ええ。でもこの劇が終わるまで」
ミーティア姫は手回しオルガンとそれに合わせて踊るからくり人形の劇がすっかり気に入って動こうとしません。
「…」
しょうがないなあ、といった顔でエイトは溜息を吐きました。でもまだ日は高いし、門を出て道を真直ぐ行けばトロデーンです。迷うことはありません。
「これ終わったら帰るからね」
「ええ、分かったわ」
姫は上の空でしたが、エイトはその返事を貰ってほっとしました。そして自分も人形劇に目を遣ります。本当はエイトも観たかったのですから。


広場はますます賑わいを見せていました。大人たちは手に手にワインのグラスやビールのジョッキを握り、笑い声や歌声に酔いが混じります。
「もう少しいたかったわ」
「うん。でも最近日が暮れるの早くなったし」
喧噪を避けながら門の方へ歩く二人はそんな会話を交わしていました。
「うーぃ、ヒック、お、おう、ビールもう一杯だ」
「駄目ですよ、そんなに飲んじゃ。ほら、お嬢さんが困っているじゃないですか」
ビールの樽の横で飲むの飲まないのの押し問答がされています。
「金ならあるんだぞー、いいからもう一杯くれ」
「あんな当たらない占いに金出す物好きがいたんですねぇ」
「何か言ったか?」
「いーえ、何でもありません。…はいはい、注ぎますよ。全く、お嬢さんが気の毒ったらありゃしない」
「…近寄らないようにしよう」
「ええ」
酔っぱらいを見ないようにして二人は門の前に立ちました。
「おや、随分早く帰るんだねぇ」
門番も一杯機嫌です。
「うん。僕たちちょっと遠くから来たから」
言葉を選びつつも周りの雰囲気に影響されてにこにこ顔でエイトは答えました。
「そうかそうか。気を付けて帰れよ」
二人は門をくぐり、心楽しく家路へと就いたのでした。
そのつもりでした。トラペッタには門が二つあり、トロデーンへ帰るには西門から出なければなりません。が、南門から出てしまったことに二人はまだ気付いていなかったのでした。


さっき観た劇のことや楽しかった踊りのこと、お弁当のことなどをおしゃべりしながら二人は道を歩いて行きます。木々の梢は色付き始め、穏やかな秋の午後でした。
途中、分岐がありました。
「あのね、滝の方ではなかったの」
と姫が言うのでエイトは道を左に折れました。道は森の中へと入っていきます。森を抜ければ吊り橋があって、トロデーン城が見えてくる筈。そう思うと薄暗い森もちっとも怖くありません。それにまだ午後の明るい陽射しが木々の隙間から射し込んでいます。太陽の光ある限り、こちらから何もしなければ魔物に襲われることもないのでした。
「あのお兄さんに会えなかったわ」
ふと思い出してミーティア姫は残念そうに言いました。
「うん、そうだったね。僕もお礼言いたかったな」
そのまましばらく二人とも無言で歩いていましたが、姫がぽつりと呟きました。
「ああいうお兄様がいたらな、ってずっと思っていたの」
エイトはちら、と隣を見ました。返答に困って黙っていましたが、姫はそれに構わず続けました。
「いいな、あの女の子。だってあんなお兄様がいるのですもの。ミーティアにもお兄様がいらしたらよかったのに」
エイトは厨房で聞いた話を思い出しました。トロデ王には子供はミーティア姫しかおりません。けれどもかつては今は亡き王妃との間には姫の上に王子がいて、姫の生まれる数年前に流行病で亡くされていたそうなのです。それが堪えたのか王妃は身体を悪くなさって、ミーティア姫を産んですぐ、お亡くなりになってしまったのでした。
「あのさ」
ずっと無言だったエイトが口を開きました。何か、と姫がエイトを見遣ると少し躊躇ってから続けました。
「…僕じゃだめ?」
「えっ?」
思いがけない言葉にミーティア姫は目を見開きました。
「一生懸命頑張って、いいお兄様になるよ。だから…」
まじまじと見詰められ、エイトは気恥ずかしくなって最後は口籠ってしまいました。ちょっと考えれば、いくら友達とは言え使用人を兄妹だと思う筈がありません。ですから次の姫の言葉にエイトはびっくりしたのです。
「ほんと?!うれしいわ。じゃあこれからエイトはお友達でお兄様なのね」
「う、うん」
姫の嬉しそうな様子に驚きつつも胸の奥に暖かなものが広がるのを感じました。それはとても穏やかで、幸せなものでした。兄妹というものが何なのか分からないまでも、それはとてもいいことだ、と思えるような。

森の中の道も終わりそうです。木立の向こうに明るい空の色が見えてきました。道も緩く下って、もうすぐ吊り橋の筈です。
けれども、
「あれっ?!」
どうしたことでしょう。深い渓谷があって、橋が掛かっていることは同じなのですが、吊り橋ではなく立派な石造りの橋です。その上門があって衛兵が立っているではありませんか。
「あ、あの…」
エイトは恐る恐る衛兵に話し掛けました。ミーティア姫は用心して俯いています。
「おう、何だ。リーザスの方へ行くのか」
「ここ、どこですか」
と尋ねると兵士は爆笑しました。
「何だ、坊主、迷子にでもなったのか?」
「いえ、あの、僕たちトラペッタからトロデーンの方へ帰ろうと思ったんですけど…」
不安が湧き上がります。
「おやおや」
兵士は漸く笑いを引っ込めました。
「そいつは出る門を間違えたんだな。トラペッタはな、門が二つあるんだよ。西門から出ればトロデーンに、南門から出ればリーザスという村へ行くのに便利にできているんだ」
話を聞いているうちにエイトは心臓が喉から飛び出してきそうな感覚に襲われました。道を間違えた?トラペッタまで戻らなきゃならない?でももう随分歩いているし、戻って改めてトロデーンに向かったとしても途中で日が暮れてしまう…
「近道はないんですか?」
エイトは必死でした。何としても日暮れ前にお城へ帰りたかったのです。
「近道ねえ…そうだなあ、道は無いんだが、途中分かれ道があっただろ?あそこを滝の見える方へ曲がるんだ。そしたら適当なところで丘を登ってそのまま真直ぐ進めばトロデーンへ行く道にぶつかる筈だよ」
「…分かりました。そこ、行ってみます。どうもありがとうございました」
暗くなる前に帰らなければなりません。夜は魔物が跋扈する時。そんな時間、ミーティア姫に出歩かせる訳にはいきません。どんな魔物も一撃で仕留めることができる勇者ならいざ知らず、エイトは十にも満たない非力な子供でした。
「ごめんね、僕のせいで」
「ううん、大丈夫。行きましょ、エイト」
「うん」
姫は元気よく言いました。本当はちょっと疲れてきていたのですが、それを口にしたらエイトはきっと気にして背負おうとするでしょう。背負ってくれるのは嬉しいのですが、そんなことをしたらエイトもへとへとになってしまいます。ならば気を使わせない様に、と子供心にエイトを気遣ったのでした。





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2006.1.1〜2006.2.3 初出 2006.11.5 改定










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