秘密のおでかけ4





4.

門をくぐると街には楽しい空気が流れていました。あちらでは手回しオルガンの音楽に合わせて人形が踊り、こちらでは売り子が素晴しい滑舌で口上を述べ立てています。向こうで人々がどよめき、続いて拍手喝采が起こりました。
「エイト!」
ミーティア姫が振り返り、興奮気味に叫びます。
「すごいわ!楽しそう!」
「広場の方へ行ってみようよ」
「ええ!」
二人は手を繋いで駆け出しました。
広場では既に色々な見せ物が始まっていました。大道芸人が素晴しい技を披露しているかと思えば、楽隊が楽しい曲を奏でています。魔物使いが飼いならした魔物に寸劇をやらせている横で奇術師が帽子から鳩を飛ばしていました。
広場の真ん中に目を移すと、大きな樽がでんと据え付けられています。あれが今日の祭りのメインイベント、今年できたての新酒の樽なのでした。
「出来が良かったらしいからねえ。楽しみだよ」
「珍しいことに香ばしい香りがするんだそうだ」
行き過ぎる大人たちがそんな会話をしています。
「あっ、あれ」
どれもこれも初めて見るものばかりで、胸が一杯になって何も言えずにいたミーティア姫が漸く口を開きました。指差す先には屋台があって、子供が群がっています。
「あれよ、前に見たの」
歓声を上げて屋台から離れる子供の手には綿菓子が握られています。エイトはポケットを探りました。綿菓子くらいなら買えそうです。
「買ってくるよ。そこの噴水のところで待ってて」
返事も待たずに屋台へと駆け出していってしまいました。付いていこうとしたのですが、人波に押されて進めそうにありません。仕方なくエイトの言う通り噴水の横にちょこんと腰掛けました。
随分並んでいるようです。エイトは時々ミーティア姫の方を振り返っては手を振ります。姫も手を振り返すうち、新たな人波が二人の間を遮りました。エイトが見えなくなってちょっとしょんぼりしていると、
「お嬢ちゃん、かわいいね。一人なの?」
と突然頭上から声が降ってきました。振仰ぐとひょろりとした顔色のあまり良く無い十七、八歳ぐらいの男がこちらをにこにこと見下ろしています。
「お友達を待っているの」
姫は何の疑いもなく答えました。
「お父さんやお母さんはいないの?」
その問いにこっくりと頷きます。さすがに「お父様」と言ってはまずい、ということまでは分かっていたのですが…エイトは丁度自分のところに順番が回ってきて、くるくると回る小さな器から綿が吹き出て綿菓子ができていく様に見入ってしまい、姫の様子に気付きません。
「お友達待っている間にお兄ちゃんと遊ばないかい?珍しいものを見せてあげるよ。ほら」
そう言って差し出した手の上には小さな青白い火の玉が浮かんでいます。
「…いいの。だってここで待ってるってお約束したんですもの」
ミーティア姫も最初は物珍し気に見ておりました。けれども優し気な言葉の中に何か引っ掛かる、嫌な感じを受けてぷい、と横を向きます。が、
「いいからおいで。とっても楽しい、いいことしよう、ね」
と手を引っ張り、どこかへ連れ去ろうとします。
「いやっ!…エイト!エイト!助けて!」
姫も今や必死で助けを求めます。エイトも代金を支払ってこちらを振り返り、漸く事態に気付きました。姫の元へ急ごうとしますがたくさんの人が邪魔になってなかなか進めません。その間にも男は姫を引っ張って物陰へ連れ込もうとします。
「おい、ちょっと」
とその時、声と共に男の肩に手が置かれました。
「嫌がっているじゃないか、離してやれよ」
赤茶色の髪をした十四、五歳くらいの少年でした。
「こっ、こいつはオレの妹だ。どうしようとお前に関係ない」
男はしらばっくれます。年下だと侮ったのでしょう、横柄な態度になりました。
「話はずっと聞こえていたんだ。妹なはずあるもんか。嘘を吐くな」
「オレを嘘つき呼ばわりする気か?!」
「そうだろう?違うのか?」
腕に自信があるのでしょう、少年は挑発します。ミーティアと同じ歳くらいの連れの女の子がそれをはらはらと見ておりました。姫は怖くて動けずにいると、
「下がっておいで」
と優しい声で呼び掛けられました。白髪の老人です。ですが動作はきびきびとしていました。
「ワシの弟子が何ぞいたしましたかな」
語調は穏やかでしたが、有無を言わせぬ迫力があります。姫を攫おうとしていた男は項垂れました。
「この者はまだ修行の身。無礼がありましたら師たる者の責任。この者に代わってお詫び申し上げる」
老人がそう言うと赤茶の髪の少年は身構えを解きました。
「いえ、お気遣いなく。何も起こらなかったのですから…ではこれで」
と一礼すると、
「さあ、行こうか。心配かけてごめんな」
「うん、お兄ちゃん」
と連れを促して立ち去っていきました。そこへ人波を掻き分け漸くエイトが辿り着きました。
「ごめん、ごめんね。怖い思いさせて」
「ううん、いいの。何もなかったんですもの」
最後まで守り通すと決心していた筈だったのに、もう早速姫を危険な目に遭わせてしまって、エイトは申し訳なさで一杯でした。「いいの」と言われても自分の気が済みません。
「怪我はなかったかな」
振り返ると老人がにこにこしてこちらを見ていました。その背後で男が膨れっ面をしています。
「はい。どうもありがとうございました」
二人がお辞儀すると老人はますます笑みを深くしました。
「うむ。祭りで浮かれておる者も多い。気を付けて行きなされよ」
と言って身を翻し、男を従え人波の中へ消えて行ったのでした。
「あっ、さっきのお兄さんにお礼言えなかったわ」
そのことに思い当たりミーティア姫は慌てて辺りを見回しました。
「また会えるよ。まだお祭り始まったばかりだし」
「そうよね。あっ、そのお菓子、どうもありがとう」
「あ、うん。はい、どうぞ」


出し物はどれも面白く、見ていて飽きることがありません。堅苦しいお城の生活から離れて、ミーティア姫はとても解き放たれた気持ちでした。それはエイトも同じこと。大人ばかりの中で働き詰めの毎日から離れ、今日は一日自由です。
「そろそろお昼にしようよ」
太陽もお昼を指し示しているようです。
「ええ!」
二人は混雑する広場を離れ、階段を上って教会の横に行きました。木箱が数個あって、座ってお弁当を広げるにはちょうどいい具合でした。
「これ全部エイトが作ったの?すごいわ、おいしそう!」
実際食べてみるとオムレツはとても美味しく出来上がっていました。
「トーポ、はい、お昼ごはんだよ」
エイトはポケットの中からトーポを出し、オムレツを一切れ、前に置いてやりました。
「ネズミさんってこんな風にごはんを食べるのね。かわいいわ」
前足で器用にオムレツを掴み、食べている様子を姫は珍しげに見ております。と、トーポは急にぽろりとオムレツを落としました。「くちゃん、くちゃん」とくしゃみが止まりません。
「あっ、ごめんね。胡椒が固まりになってたみたい。ごめんね、これ飲んで」
急いでエイトは牛乳を瓶の蓋に注いで置いてやりました。トーポはそれをごくごくと飲んで、どうやら事無きを得たようです。
「危なかった…」
「大丈夫、トーポ?」
姫の問い掛けに「チュ」と短く返事のようなものをしてトーポは再びオムレツを食べ始めました。今度は牛乳と交互に、ですが。
オムレツもパイも食べ終わり、とても幸せな気持ちで二人座っていると、またトーポの様子がおかしくなりました。ふんふんと鼻を動かして何か匂いを嗅いだ後、とことこと走り出したのです。
「あっ、こら、駄目だよトーポ!そっち行っちゃ駄目だってば!」
エイトの制止も聞かず、トーポは走っていきました。慌てて立ち上がり、追いかけようとしたその時です。大きな影がトーポを掬い上げました。
「おう、このネズミは坊主のかい?」
逆光になっていてよく見えませんでしたが、こちらに向かって来るのは体格のいい年配の男のようです。
「はい、そうです。どうもありがとうございました」
そう言ってエイトは受け取ろうとしました。が、トーポはこちらに見向きもせず、男に向かって前足を上げ、餌をねだる時のような仕草をします。
「あっ、こらっ、駄目だよトーポ。そんなことしちゃ」
「はっはっは、何だ、オレの袋に何が入っているのか分かっとるのか。どれ、一つ出してやるか」
そう男は言って肩か下げていた袋からチーズを一欠片取り出してトーポの前に置いてやりました。
「…すみません。おじさんのチーズだったのに」
むしゃむしゃとチーズを頬張るトーポをちらりと見て、エイトは男に頭を下げました。男は屈託なく笑います。
「気にすることはねえ。まだまだたくさんあるからよ。
ところで坊主、どうだ、毎日楽しくやっとるか?」
突然の問いにちょっとびっくりしましたが、エイトは元気よく答えました。
「はい!」
「そうかい、そうかい。そいつはよかった。そのネズミ、大事にしてやれよ」
男はにっこりと笑いかけ「そらよ」とトーポをこちらに渡して手を振って行ってしまいました。
「エイトの知っている人?」
木箱の上からずっと様子を見ていた姫がこちらへやって来て聞きました。
「ううん、全然知らない人」
首を捻りながらエイトは答えます。
「誰だったんだろう。でもよかったね、トーポ。チーズもらって。おいしい?」
「チュ」
トーポはエイトの手の中でまだチーズを頬張っていました。


下の広場ではこれからワインの栓が抜かれようとしていました。トラペッタの代官が重々しく祝辞を述べ、グラスを樽口に当てます。栓を抜くと勢いよく濃い赤色をしたワインが注ぎ込まれました。
「今年の収穫に感謝を!」
代官の言葉を皮切りに次々とワインが注がれていきます。楽隊が踊りの曲を演奏し始めました。乾杯を済ませた人々がそれに合わせて踊り出します。
「楽しそう!踊りたいわ。エイト、踊れる?」
広場へ下りる階段からその様子を見ていた二人でしたが、踊りが始まるとミーティア姫がむずむずと足を動かし始めました。お城で奏でられる優雅なメヌエットやガボットと違い、テンポが速く快活で楽しい曲です。
「うーん…」
エイトはちょっと首を傾げました。聞いたことのない曲です。変わった拍子の曲でしたが、最初思ったよりは単純で、周りの人々を見ながらなら何とかなりそうでした。
「行こう。踊ってみよう!」
「ええ!」
二人は階段を駆け下り、踊りの輪の中に飛び込みます。踊っていた大人たちも小さな踊り手を快く受け入れてくれたのでした。





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2006.1.1〜2006.2.3 初出 2006.11.5 改定










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