秘密のおでかけ3




3.

さて、いよいよその日がやってきました。
エイトは二人分のお弁当を作るために早起きしました。冷めても美味しいもの、姫が普段食べ慣れているものに近い内容にしようと色々考えていました。
まず大蒜と玉葱を細かく刻み、オリーブ油で香りが立つまで炒めてベーコンの切れ端を加えます。さらに賽の目に切った茄子やパプリカ、トマトを炒め、水気が無くなったら茹でたペンネを入れて摺り下ろしたチーズで和えました。型に入れてとき卵と牛乳を流し入れ、石釜に入れじっくり焼きます。
続いてエイトは昨日分けてもらったパイ生地を取り出しました。伸ばして四角く切り分け、林檎を乗せて砂糖と肉桂を振り掛けてこれも石釜に入れます。
漸く二つとも焼き上がり、ほかほかと美味しそうな湯気を立てているオムレツとパイを見ていると、パン種をこしらえているおばさんが肩越しに覗き込んできました。
「上手くできたねえ」
「はい!」
おばさんに褒められエイトは嬉しくなりました。
「あんたはチーズを使う料理だと本当に上手に作るねえ。そういう場所で育ったのかもしれないねえ」
「…」
おばさんは何の気無しに言ったのですが、エイトは笑顔のまま固まってしまいました。
そうだったのかな…全然覚えていないけど、そういう場所だったのかな…故郷が分かったら帰されちゃうのかな…嫌だな、だって全然覚えてないんだもの…でも父さんや母さんがいるかも…どんな人なのかな、会いたいな…
「ああ、すまなかったねえ、考えさせちまって。じゃあお祭り楽しんでおいで」
「…はい」
おばさんはぽんと肩を叩いて行ってしまいました。エイトは小さく溜息を吐いた後、「しゃんとしよう」と顔を上げます。と、戸口からミーティア姫の頭がちょっぴり覘いて中を窺っているのが見えました。
「今行くよ。外出てて」
と小声で言うと、「分かった」とこっくりと頭が動き、引っ込みました。
エイトは急いでオムレツを切り分け、器に入れました。パイも同じ大きさの器に入れて二つを重ね、布巾で包んで牛乳の入った瓶と袋に入れます。そして着替えの入った袋も一緒に抱えて姫の後を追ったのでした。あまり待たせては悪いと思ったので。


通用口ではトラペッタから運ばれてきた荷物の受け渡しが行われていました。野菜や果物、お酒や乾物が下ろされ、代わりに空になった木箱や樽が荷馬車に積み込まれています。衛兵が荷物を改め、返却する樽や箱が空であることを確認すると御者に賃金を渡しました。お祭りということもあって代金を弾んでもらえたのでしょう、御者はほくほく顔で荷馬車を出発させました。
先程衛兵が荷物を確認したので通用口では何の検査もせず通過します。ガタゴトと音を立てて荷馬車が城から充分離れた時、荷台の掛け布がごそごそと動きました。と、布の隙間から四つの目が覘きます。茶味を帯びた黒い目と美しい碧色の目でした。
「うまく行ったね」
「本当ね」
ひそひそ声で話しているのはエイトとミーティア姫です。
「よかった、これでトラペッタに行けるよ」
エイトはほっとしていました。変装には自信ありましたが、もしかしたら通用口の衛兵に見破られるのではないかと心配していたのです。
「ガラガラ言っていて楽しいわ」
ミーティア姫はもう、珍しいことばかりで何を見ても楽しく感じられてしまうようです。
「大丈夫?痛くならない?」
ふかふかのクッションとビロードが敷き詰められた王様の馬車にしか乗ったことのない姫です。こんな板に車が付いただけの荷馬車の乗り心地がいい訳ありません。
「平気よ」
と姫は答え、二人は微笑み合いました。
「見つかっちゃまずいから、静かにしていよう」
「ええ」


二人で黙って荷馬車に揺られていくうち、エイトの意識は少しずつ遠くなってきました。無理もありません、今朝は夜明け前からお弁当作りをしていたのですから。
吊り橋を渡って森に入りました。道は平坦になってごとごとと規則正しい車輪の音が眠気を誘います。道を覚えていようと一生懸命目を開き続けていましたが、頭上でさし交わされる木々の枝が作る緑の回廊がふと、どこかの洞窟に見えました。くねくねと続くその洞窟には不思議な壁画が描かれております。ぼんやりとしか見えませんでしたが、見たこともない服装の人々が描かれているようです。けれどもなぜかしら懐かしく感じられる絵でした。
突然洞窟は終わり、明るい陽射しに照らされてエイトは顔を顰めました。視界が開け、目の前に小さな草地がありました。今までまるで生き物の気配もなかったのに、そこだけ花が咲いています。その奥には─
「エイト、エイト」
はっと気が付くとミーティア姫が顔を覗き込んでいました。
「大丈夫?もうすぐトラペッタに着くわよ」
いつの間にか眠り込んでいたようです。
「あれ?寝ちゃってたんだ。じゃあ、あれ、夢だったのかな…」
「どんな夢だったの?」
「うーんと…」
姫に聞かれ、順を追って話そうとしました。が、その瞬間映像はするすると心から滑り落ちてどこかへ消えてしまったのでした。
「…覚えてないや」
エイトは残念に思いました。とても大切なことだったように思えます。と同時にとても寂しい気持ちになりました。どこかにぽっかりと穴が開いていてそこから冷たい風が吹き込んでいるような。
「何だったのかな。覚えていられたらよかったのに」
「もしかしたらまた見ることがあるかもしれないわ。そしたら覚えていて、ミーティアにも教えてね」
「…うん」
ミーティア姫の言葉が嬉しく、エイトは深く頷いたのでした。


「あ、着いたわ」
荷馬車が止まりました。トラペッタの街を取り囲む環状壁は厚く、門も頑丈に出来ているため開閉には時間が掛かります。御者が開門を呼びかけている隙に、二人は荷台から飛び下りました。
変装は完璧でした。姫が一生懸命作った赤い格子縞のスカートに生成りのチュニック、肩には赤いストール─これはエイトが誰かからのお下がりで夜寒い時に上に掛けるように貰ったものでした─を掛け、髪は二つに分けて三つ編みにしています。どこからどう見てもお姫様ではなく、庶民の女の子でした。
門が開き、門番が型通り通行人を改めます。呼び止められたら、と緊張しましたが、
「子供だけか?気を付けて行けよ」
と手を振られ、ほっとしながら二人は門をくぐりました。
どこかで狩りの角笛が吹き鳴らされています。お祭りは今、始まろうとしていました。





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2006.1.1〜2006.2.3 初出 2006.11.5 改定









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