秘密のおでかけ





1.

「エイト、あのね」
夕食の片付けも一段落ついた頃、ミーティア姫が厨房にやってきてエイトを手招きしました。
「うん…どうしたの?」
人目を憚るその様子にエイトもつられてひそひそ声になります。
「あのね…来週トラペッタでお祭りがあるんですって」
「うん」
エイトもそれは知っていました。秋の収穫を祝う、それは盛大なお祭りなのだそうです。
「エイトも見に行くのでしょう?」
その日はお休みを貰っていました。トロデーンでも収穫をお祝いするため、豪華な晩餐が用意されますが、ゼリー寄せやテリーヌ、仔羊の冷製など、ほとんど前もって作られるものばかりでした。なので下働きのエイトでもお休みを貰って出かけることができるのです。
「うん、そのつもりだけど」
話がよく分かりません。ずっとここに住んでいるミーティア姫がちょっと離れているとはいえ、領地のお祭りを知らない筈ありませんでしたから。
「あのね…ミーティア、お祭りに行きたいの。お願い、一緒に連れてって」
「えっ!」
「一度もね、行ったことないの。ううん、一度だけお父様と馬車の中から見たことはあるけれど。とっても楽しそうだったけれど、ミーティアにはふさわしくないからって行かせてもらえなかったの」
ミーティア姫はしょんぼりとして悲しそうでした。
「その時ね、ミーティアと同じくらいの女の子が白いふわふわとしたものを持っていたのよ。その子のお父様に手を引かれながらそれを食べていたの。ミーティアもとっても食べてみたかったのだけれど、『お城の菓子職人がおいしいお菓子をお作りいたしますから、我慢なさいませ』って言われて食べられなかったの」
「そうだったんだ…」
エイトはちょっと可哀想になりました。何不自由なくお城で大切にされているが故に、ミーティア姫は綿菓子一つ、食べることもできないのです。
「じゃあ、王様にお願いして…」
「それは駄目よ」
ミーティア姫はあっさりエイトの言葉を否定しました。
「だってお父様にお話ししたらお付きの人をぞろぞろ連れて行くことになってしまうわ。そしたらまたあれも駄目、これも駄目って言われちゃう」
「それはそうだけど…そしたらトラペッタまで歩かなきゃならないよ」
エイトはそれが心配でした。最近一緒に遊ぶようになって大分丈夫になってきたとはいえ、歩いて遠出できるとはとても思えません。自分一人なら朝出て夕方遅くに帰って来れるかな、考えていたのですが、ミーティア姫が一緒となると心許ない気持ちになるのでした。
「ミーティア、ちゃんと歩くわ。それにお父様にお願いしてお外で遊ぶ時の靴、あつらえてもらったんですもの」
そう言ってちょっぴりドレスの裾を持ち上げました。真新しい革のブーツを履いています。赤い鹿革のその靴はミーティア姫に似合って大層可愛らしかったのですが、エイトにはその新しさが気になりました。
「新しい靴なんて履いて行ったら足痛くしちゃうよ」
エイトには面と向かって「連れて行けません」と言うことができませんでした。勝手に連れ出せば罪に問われてしまうでしょう。怒られて夕食抜きくらいならまだしも、追放になったり死刑になってしまうかもしれません。何とか諦めてもらおうと必死で言い逃れしようとします。
「分かっていてよ。だからこうして今も履いて慣らしているの」
よく鞣された革とはいえ、ミーティア姫の足は今まで一度も革靴を履いたことがありません。
ずっと絹サテンの靴で事足りていたのですから。きっとあちこち靴擦れして赤くなってしまうでしょう。
「でもそんな絹のドレスじゃ、すぐお姫様だって分かっちゃうよ」
絹地には独特の光沢があります。特に王族が着るような布地はよく精練されていてつやつやとしていました。
「散歩服を着るもの」
「あんなに長い裾の服なんて、お姫様しか着ないよ」
確かに散歩服は麻製です。ですが子供が床すれすれの長さのスカートを着ているのは余程の家に限られていました。裾を長くすればそれだけ布代が嵩みますから…
「エイト…」
ついにミーティア姫は俯いてしまいました。
「ごめんなさい、迷惑だったのね…」
その声はエイトがはっとする程悲し気でした。
「でもミーティアはエイトと行きたかったの。エイトと一緒に行きたいの。それは、駄目?」
その言葉に胸の奥でとくん、と脈打つものを感じてエイトは落ち着かない気持ちになりました。
「そうじゃないよ」
不安定なその感覚を払いたくてエイトはつい、ぶっきらぼうな言い方になってしまいました。
でもミーティア姫にはそれが分かりません。言葉の素っ気無さだけを汲み取り、はっと身を固くしてしまいました。
「あの…ごめんなさい。嫌だったのね。じゃあお城でピアノ弾いて待っているから、お話聞かせてね」
「待ってよ」
すごすごと肩を落として厨房を出て行こうとする姫の腕を、エイトは思わず掴んでいました。
「…嫌なんかじゃないよ…」
そう言いながらもぷい、と顔を背けようとしましたが、ぱっと輝いた姫の顔をしっかり見てしまいました。
「ほんと!?」
「本当だよ。じゃ、一緒に行こう」
「ありがとう、エイト!うれしいわ」
ミーティア姫は小さく手を叩いたかと思うと、爪先立ってエイトの頬にちょんと口づけしました。
「……」
「じゃ、また明日ね。おやすみなさい、エイト」
無言で頬を赤らめるエイトに手を振って、ミーティア姫は厨房を出ていったのでした。
「おう、エイト。何姫様にチューされてんだ?」
からかうように料理人が話し掛けてきます。
「なっ、ななな何でもないです」
頬どころか首まで赤くなっているのが自分でも分かりました。急いで頭を振って普段の自分に戻ろうとします。料理人もそれ以上は追求してこなかったので、エイトはほっとしました。


けれどもどうしたらよいのでしょう。成り行きとはいえ、ミーティア姫をこっそりトラペッタに連れていく約束をしてしまったのですから。行き帰りどうしたらいいのか、もしトロデーンのお姫様だと知れて人攫いに遭ったら、と心配の種は尽きません。
それでもエイトは最後までちゃんとやり遂げようと決心していました。ミーティア姫に悲しい思いをさせたくなかったのです。トーポの次にできた、大切な友達でしたから。









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2006.1.1〜2006.2.3 初出 2006.11.4 改定









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