6.Hostias
エイトの身柄はサザンビークへ移送された。王太子の婚約者を奪い、王統を乱そうとした大逆者として自らの手で断罪したいとサザンビーク側が強硬に主張した為である。トロデーンとの婚姻は破談になり、婚約者を寝取られたチャゴス王子の面目をせめて保とうという臣下たちによる配慮だった。
それでもこの処置に反対する向きがなかった訳ではない。明らかにされたエイトの出生を考えた時、現政権に対する不満分子がその身柄を奪って王に刃向かうのではないか、と危惧する声もあったのである。それを押し切ったのはチャゴス王子の(珍しく)強い意向が働いたからだ、と言われていた。
そのチャゴス王子は今までと違ってやけに強硬な態度を示して苛烈な刑の執行を望むかと思えば、別の時はそんなことには興味を示さず、以前と同じく城を抜け出しカジノに行こうとする。余りの豹変ぶりにお付きの人も首を傾げずにはいられなかった。
首を傾げると言えばミーティア姫への態度もだった。事件が発覚してすぐは、
「あれは強姦されたんだ、姫は関係ない」
と結婚の意思を示していたという。しかしいつの間にか、
「あの男と共謀してサザンビークの王位を狙っていたに違いない」
と言い始め、ミーティア姫も処刑せよと喚き散らす。しかし裁判が始まって反逆罪の論拠が崩され姦通罪単独での処刑も有り得ない、という論調になって来ると一転して無関心となった。それどころか城を抜け出してどこかに行こうとして父王に一喝される始末。
それでもエイトがサザンビークに移送されてくるとまた行状が改まった。一時期のように邪悪な気配をして意見を強硬に主張する。その傾向は近くにフードの男がいると強まった。周囲にしてみれば、海綿のようにふにゃふにゃと定見なく遊び呆ける王子が、どのような方向にせよ意思を強く示すようになったことはありがたかった。その上どこかに遊びに行ってしまうどころか、何と城内で勉強に勤しんでいるのである。これは大変喜ばしい事態だった。例え暴君であっても自らの行動に何の責任も持たずふらふらしてばかりの王よりは格段にましだからである。それに暴虐な行動に出るのはあの事件に関わる事象だけであり、それ以外には及ばなかった。それ故、
「あの事件は腹立たしいが、王子が変わるきっかけになったことは不幸中の幸いだ」
と周囲は噂し合ったのであった。
※ ※ ※
当のエイトはサザンビーク城の奥深くに閉じ込められていた。重罪人とは言え王家直系の血を引く者、疎かには扱えない。本人に逃げる意思が有ろうと無かろうと別の反逆者に利用されることのないよう、厳重に監視されていた。
その夜、エイトの元に一人の来訪者があった。
「久しいな、エイト」
クラビウス王だった。
「はい、陛下にはお変わりなく」
とエイトが常に従って答えた。しかし話の接ぎ穂を失って互いに無言のまましばらく居心地の悪い思いをしていると、微かな躊躇いの後、エイトが口を開いた。
「このような事件を引き起こし、貴王室、ひいては貴国の尊厳を脅かしたこと、深くお詫び申し上げます。一命を以てしても償えぬことにも関わらず、ご慈悲を賜りましたこと、感謝の念に堪えません」
静かな口調だった。しかしエイトの言葉を聞くうちにクラビウスは苛立ちを感じ始めた。その様子をエイトは怪訝そうに見ていたが、続けた。
「大逆の罪は重く、火によってしか浄められぬところを斬罪に減弱くださったこと、お礼申し上げます」
「礼を言われる筋合いはない!」
クラビウスは思わず大きな声を出していた。死を目前にしているのに落ち着いた物腰、拷問を受けたにも関わらずそれを微塵も感じさせない強靱な精神、庶民として育った筈なのにどこか気品のある様子、どれも自分の息子には未だ備わっていないものばかり。この青年が、ひいてはその親である兄が妬ましかった。にも関わらずこの青年の命はもうすぐ消えていく、そのことを悔やむ気持ちもまた真実であった。
「お前は恨まんのか。国を守らんが為にお前を犠牲にする私を」
何をやらせても常に優れていた兄。エイトはその兄にそっくりな目でこちらを真直ぐ見返した。
「国を守ることは国主の務めでございましょう。僕は罪を犯したのですから、罰を受けるのは当然のことです」
「当然ではない!兄が王位を継いでおればお前が正統な王位継承者となっておった筈だ。このサザンビークの玉座に座り、トロデーンの姫を娶ったのはチャゴスではなくお前だったのに、なぜだ!」
激昂するクラビウスに対し、エイトは静かに答えた。
「僕はトロデーンの人間です。誰が何と言おうとも」
と。そしてちょっと躊躇った後、続けた。
「あの方を汚辱の中に堕しておきながら僕一人だけのうのうとしていられる程、恥知らずにはなりたくないのです」
クラビウスはすっかり姫の存在を失念していた。ククールからトロデ王の意向、ミーティア姫その子孫の王位継承権を剥奪するという方針を聞いてこの縁組に執着することを止めたからである。トロデーンの玉座がサザンビークの手に入らないのであればこの縁談は何の意味も為さない、と。
「…あの姫故、か」
「はい」
エイトの目の中に強い光が揺らめく。クラビウスはふと、既視感を覚えた。それは二十年前、城を出て行く兄の目に宿されたものであった。
「よろしい」
しばらく互いに無言であったが、クラビウスは常の様子に戻って言った。
「慣例に従い、死に行くお前の願いを一つ、聞こう。あれば言うてみよ」
「はい。ではお言葉に甘えまして」
とエイトは居住いを正した。
「先に申しました通り、僕はトロデーンの人間です。確かに生まれは違いますし、父祖の国は貴国ですが。ですが物心着いてからずっとトロデーンが故郷でございました。死ぬ時はせめて、トロデーンの方を向いて死にたいのです」
余程考え抜いたものだったのだろうか、エイトは澱みなく願いを述べた。
「…願いは聞き届けられた。刑は明後日、執行される。サザンビークではなくトロデーンの流儀に従い、斧による斬首である。既に最も優れた斧使いを呼んだ」
「御配慮に深く御礼申し上げます」
エイトは深々と礼をする。クラビウスはその時覘いたうなじを物悲しい気持ちで見遣ったのであった。
※ ※ ※
サザンビーク城は朝から物々しい雰囲気に包まれていた。城下町にも衛兵が立ち並び、街の人々を威圧する。門も閉鎖され、城壁の外に出ることは不可能だった。さらに修復した北の関所も厳重に閉鎖し、ベルガラック方面には兵を置いて人の通行を遮断していた。城の魔術師たちも総出で移動呪文避けの結界を張り巡らす。王位継承権を持つ者の処刑を速やかに滞りなく遂行するための処置だった。国内外の反乱分子に身柄を奪われないようにするために。
城壁の外に急ごしらえながら処刑台が設置され、流れ出る血を受け止めるための藁が敷き詰められる。小柄ながら大きな斧を持った男が慣例に従い覆面をして姿を現した。最後の祈りを捧げるための神父を従えるかのようにして処刑台に昇り、受刑者を待つ。
刑場はサザンビーク兵によって部外者を一歩たりとも近付けまいとびっしりと囲まれていた。その中をさらに衛兵によって囲まれ、後ろ手に縛られたエイトが処刑台へと歩を進める。
クラビウスもチャゴスもこの場にはいない。刑の遂行を見届けるためなのかフードの男──マルチェロが薄笑いをフードに隠しつつ見ているだけだった。
神父がエイトに最後の祈りを捧げた後、慣例によって処刑人がエイトに近付きごく低い声で処刑することについて赦しを請うた。エイトもまた、例に従い「赦す」と答える。
「しっかりやってくれ。大して太い首じゃないから楽だとは思うが」
とエイトが言って台に頭を乗せようとした。
が、その瞬間、上空を大きな影が過る。何事かと皆の目が処刑台から離れ、空に向けられた。
「竜だ!」
「竜が出たぞ!」
衛兵たちはうろたえ騒ぐ。それを後目に処刑人が素早くエイトを縛る縄を切った。
「兄貴!」
ヤンガスだった。
「どうしてここへ!」
「あっしだけではねえでげす!」
上空を旋回していた竜が処刑台の近くに降りた。振り回される尾や吐き出される炎を避けようと兵は逃げ惑う。
「弓箭隊、前へ!」
それでもなお、その場を取り仕切る隊長には任務遂行の意思があったらしい。弓矢で竜を追い払おうとした。が、鼻息から巻き起こる炎が飛び交う矢を焼き尽くす。
「あなたは…」
戒めを解かれたエイトが竜に近寄ろうとした。竜はそんなエイトに一瞥をくれると首を振ってくわえていた剣をこちらに投げて寄越す。
「グルーノさんでがすよ。さあ兄貴、剣を取るでがす!」
エイトは思わず受け取ってしまった手の内の剣を見た。旅の中、数々の武器を手にしてきたが、これ程大きな力を感じるものはなかった。その力が自分に向かって語りかけている。
「どうしたんでがす?早く取るでげすよ!」
「…駄目だ」
剣は語り掛ける。我が主人よ、我が力を捧げよう、と。その言葉に従いさえすれば自分は比類ない力を手にすることができると分かる。だがしかし!
「罰は受けなければ」
「何言っているんでがす!誰も兄貴の死ぬことなんて望んじゃいねえでげすよ!大体何でこの剣がここにあるのか考えてみたんでげすか!?」
エイトは思い出した。竜神王の試練で得たこの剣を錬金してみようと釜に入れものの、出来上がる前に暗黒神を倒してそれきりになってしまったことを。
「どうして…?釜はもう、城の宝物庫に収めた筈…」
「トロ…ゲフンゲフン、持ち主が完成させてあっしに託したんでがす。エイト以外の何者にもこの剣の主人にはなれん、て」
結果的に裏切ってしまった主君、トロデ王。憎まれて顔も見たくないと思われていも仕方ないと思っていた。なのに自分がこの剣の主だと言ってくださるのか。
「さあ、剣を取るでげす!みんなの志を無駄にしねぇでくだせえ!」
処刑台の異変にも気付いたのか矢がこちらにも飛んでき始めた。その内の一本がヤンガスの頭に真直ぐに向かっているのに気付いた瞬間、エイトの身体は勝手に反応し、踏み出して抜刀するや否や一息に切り飛ばす。
「すまなかった。もう迷わない、僕は剣を抜く!」
二の矢も切って落としながらエイトは叫ぶ。
「ヘヘっ、それでこそあっしの兄貴でがす。後ろは任せてくだせえ、逃げるでげすよ!」
処刑台の周囲はそれこそ立錐の余地なく兵が立っている。竜の出現に浮足立っているものの、罪人が逃げようとしているのに気付くとそれを阻むべく押し寄せてきた。人波の向こうで竜が─グルーノが「乗れ」と吠えている。そこまで十メートル足らずの距離。呪文は使えない、結界があるから。この剣で道を切り開くしかないのだ。
エイトは剣を持ち替える。そこへ兵が槍を繰り出す。穂先を打ち払い、柄で槍身を殴って取り落とさせる。その横でたじろぐ兵の胴に剣の峯を叩き込む。
「馬姫様の為にも犬死にしちゃいけねえでげす」
そうだ、生きねばならぬとしたらそれはミーティアの為。ただそれだけの為に血路を開く、とエイトは決意を新たにする。
群がるサザンビーク兵の剣や槍を断ち切り―鋼さえも両断して刃毀れ一つなかった―場合によっては人に刃を向ける。手加減しないと胴すら一瞬で断ちかねなかったが、何とか当座の戦闘能力を失わせる程度の傷を与えて退かせる。背後のヤンガスも乱刃をかい潜り斧で武器を跳ね飛ばしながらじりじりと竜へと近付く。二人の強さに兵士たちが退き気味になった時、
「そこまでだ!」
フードの男、マルチェロが立ち塞がった。
「お前らの相手をしてやる。さあ、かかってこい!」
邪魔なフードをかなぐり捨て、抜刀して間合いを詰める。エイトも緊張して身構える。迎え撃とうとしたその時、
「うっ」
マルチェロの背後から光の刃が現れその首筋に当てがわれる。
「勘違いするな。あんたの相手はこのオレだ」
仮面で顔を隠しているもののその声はククールのものだった。
「雑魚は皆片付けたぜ。エイト、ここはオレに任せて逃げろ!」
そう、見渡せばいつの間にか兵たちはみな眠り込んだり混乱して同士討ちになっている。竜の近くではローブで顔を隠した女がエイトたちに向かって得意気に手を振っていた。
「そうはさせるか!貴様なぞこの私には役者不足だ。逃げるだけが得意のうつけ者が」
「さあ、それはどうかな」
ククールはマルチェロの威嚇を鼻であしらい、「行け」とばかりに顎をしゃくる。
「貸し一つな!」
「…ありがとう、必ず借りは返す!」
もう敵はいない。エイトたちはグルーノ目指して一気に走る。その背後に打ち交わす刃の音が重なった。
「最後にもう一回。ラリホーマ!」
顔を隠すように安らぎのローブを着たゼシカが起き上がり始めた兵たちに向かって呪文を投げ掛ける。
「さっ、行くわよ、エイト」
再び深い眠りに落ち込む兵士たちには目もくれず、ゼシカは二人の手を取って身をかがめるグルーノの背中によじ登る。その途端両翼が羽ばたいてあっという間に空高く舞い上がっていた。
「ククールは!」
「大丈夫、結界はもう壊れているわ。あいつならルーラで逃げられる」
「そうじゃないくて!」
「決着を付けたかったのよ。他の誰でもなく、自分の手でね」
「そんな」
「大丈夫でがす。ククールはやる時はやる男でがすよ。任せてやるでげす」
下界、もはや豆粒程の大きさになった二人が剣を撃ち合っている。と、片方が相手の剣を跳ね飛ばした。その刹那誇らしげに日に輝くは銀色の髪。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
※ ※ ※
エイトの処刑は失敗し、他愛もなく身柄を奪われたことにサザンビークは激怒し、追っ手を放った。他国の声高な抗議もものともせず強引な捜査を各地で繰り広げる。しかしながらエイトとその仲間の行方は杳として知れなかった。
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2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定
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