5.Lacrimosa
青白い月の光に満ち溢れる部屋の中、私は一人立っていた。
先日結審して判決を待つばかり。ヤンガスさんやゼシカさん、ククールさんのおかげで私の死刑は無くなった。でもエイトは…
自分の肩に触れてみる。あの夜幾度となく抱き寄せられた私の肩。行き着く先にはエイトの広く力強い胸があった。
「エイト…」
あなたを呼ぶことももうすぐ虚しくなるのね。
確かに最初はエイトが奪ったのかもしれない。けれどもその後は互いに求め合った以上、同罪になってしかるべきなのに。
大逆の意思がなかったことが証人喚問によって立証された後、古今の判例を虱潰しに調べて姦通罪のみでは死刑は有り得ない、あるのは問答無用で離縁だけ、という証拠を提出してククールさんは無罪をもぎ取ってくれた。外交的配慮からこの先死ぬまでの幽閉は決まっているけれども。でもエイトは…
恐る恐る指先で唇をなぞってみる。あの夜何度も交わした口づけは浸りたい程甘く、焼き尽くされそうに熱く、死よりも深い絶望の味がした。今なら分かる、あの甘さは恋の叶う喜び、あの熱はエイトの中に燃える生命の炎、そしてあの絶望は二度と叶わぬ逢瀬故だったのだ、と。
「火が熱いのは、光り輝くため…」
今にして思えば、エイトがあんなにも熱を発していたのは命懸けだったからなのだろう。エイトの腕の中にあって私の身体もまたその熱が伝染したかのように熱を発し出したことを思い出した。そのまま二人で燃え尽きてしまわないことが不思議なくらいに。
「火が燃え盛るのは、焼き尽くすため…」
虚空に消えていく私の言葉のようにあのまま燃え尽きて二人で灰になってしまえばよかった。そして一つに混ざり合い、私でもエイトでもない物になってしまいたかった。
唇をなぞっていた指を離すと、一層寒々しかった。肩に腕を廻しそのまま強く自分を抱き締める。あの時のエイトを思い出して。
ククールさんがエイトの弁護にも関わっていてくれるため、事情は少しだけ伝わっている。私と違ってエイトには何の後ろ盾もなかった。審問もサザンビークの主導の下で行われている。それ故に苛烈な刑を執行する方向になりつつあるという。エイトの持っていた指輪も無駄に─いいえ、むしろ悪い方向に働いた。現王家に対する叛意ありと見なされ、大逆が確定したという。
せめてもの救いはサザンビーク王の好意により刑一等減じられて火刑から斬罪になるだろうということだけだった。魂の飛び去るその瞬間まで苦痛に焼かれる火刑に比べれば、苦しみは一瞬のこと。けれども…!
さらに強く自分を抱き締める。もっと強く、もっともっと強く。立っていられなくなって膝を付き、冷たい床に蹲りながらも抱き続けた。エイトに死に遅れて、私はどうすればいい?同じ罪を一緒に犯したのにどうして私だけ助命されるの?一緒に死ぬことすら許されないの?
忍び漏れる私の鳴咽は夜の静寂の中に消えて行くばかりだった。
※ ※ ※
もうすぐ全てが終わる。
自分の犯した愚かな行動の責を負って僕は死罪になる。いいんだ、それで。命一つで購えるものならばいくらでも投げ出そう。その覚悟はついている。
僕の後先を考えなかった行動によってミーティアの自由は永久に失われてしまった。トロデーン王女の称号は残されたものの、王位継承権を失い、どこかに造っているという塔に死ぬまで幽閉されるらしい。ロデーンとサザンビークの体面を汚したということで。
体面を汚したのは僕の方だ!こんな運命に堕すためにあの旅をしたんじゃなかったのに。人の姿に戻ってこの世の幸せを掴んで貰うための旅ではなかったのか。それを一時の快楽に負け、嫉妬に狂って取り返しのつかない事態を招いてしまった。僕にもう少しだけでいい、想像力がありさえすれば、愛する人を屈辱と苦難の中に引きずり込むことはなかっただろうに。
「ミー…ティ…ア…」
ヤンガスやククール、ゼシカまでも僕を助けようとしてくれている。有り難いとは思う。でも、もう、止めて欲しい。生きたい、という浅ましい願いを抱いてしまうから。
大体、大恩ある陛下にまでご迷惑を掛けて、おめおめと生きていられようか。ご自分のただ一人の子を自らの手で断罪させ、国の存続を危うくしてしまったというのに。身元の分からない僕を城に置いてくれて近衛兵にまでしてくださった恩を、仇で返すような真似をしてどうして顔を上げて生きていかれよう。僕にも恥を知る程度の心はある。
「ミーティ…ア…」
目を閉じればミーティアの姿が浮かぶ。それはあの夜の彼女ではなく、もっと子供の頃の姿ばかりだった。
(これは、なあに?)
僕の掌に乗せられた物を不思議そうな顔で覗き込んでいる。
(セミの抜け殻だよ)
(まあ、初めて見たわ。じゃあこの中に今あそこで鳴いているセミさんが入っていたのね)
(うん、きっとどこかで鳴いているよ)
あれはきっと九つの時。蝉が大発生した年で、あちこちに落ちていた抜け殻を二人で集めたんだった。
(十七年も土の中にいたのね…)
そう言って二人、不思議な気持ちになった。
(じゃあ次は、うーんと、十七たす九だから…僕たちが二十八歳になった時だね)
(何だかとっても先のことね。でも次の時も一緒に殻を集めましょうね)
(うん)
あれから十年も経たないうちに死ぬことになるなんて、思ってもみなかった。あんな些細な約束、とうに忘れていることだろう。そしてこの先も思い出さずにいてくれることを願う。
ミーティア、僕はあんなことをしたことを悔いている。大逆の汚名を着せられることは構わない。むしろこの身に全てを負ってしまいたい。
僕が悔いているのは真白く無垢だったあなたを汚してしまったことだ。愛だ恋だと飾ってみたけど、その内実は抱き締めて一つになり、自分の刻印を残したかっただけだったのかもしれない。ただ自分の想いばかりに性急で、あなたを思い遣ることができなかった。
「ミーティア!」
覚悟はついている。でもあなたを想う度それは揺らいで命が惜しくなる。旅の途中、何度も強敵に当たった。けれども一度だって怖いと思ったことはない。なのに今、僕の脳裏には懐かしいトロデーン、ただ幸せだった頃のあなたの笑顔が浮かんでは心を掻き乱してくる。世界はこんなにも美しい、もっと生きていたい、と。
死ぬのが怖いんじゃない。だけどこんな時になってもなお、僕はあなたを恋い慕わずにはいられない。生きていたいと心の底から思わずにはいられないんだ!
※ ※ ※
ミーティアが終の住家となる場所へと出立して数日後、エイトにも判決が下った。
結論は既に決まっており、審理は形だけ、体裁を整える為のものだった。仮にも王族の血を引く者を無裁判で処刑することはできなかったからである。
判決が下り、審問場を出るエイトの前に立つ警備兵の斧が鈍く光る。その刃がエイトに向かってかざされていた。
通常警備兵が刃を人に向けることはない。それは判決を受けた者が死罪であることを示す時だけだった。エイトがサザンビークの王位を狙い、現王家を侮辱した者として死罪である、と。
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2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定
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