4.Confutatis


「大丈夫か!」
翌朝、院長室の二人が何者かによって襲われたという知らせにククールがすっ飛んできた。
「ええ、私は平気。グランドクロスの後、眠らされただけだったから。でも姫様が…」
「腹を殴られたって?」
ククールの問いにゼシカは深刻な顔で頷いた。
「酷い痣になっているわ」
ククールも渋い顔になり、寝台で眠っているミーティアの方を見遣る。
「まさかとは思うんだが、その…」
微妙な問題に思い当たり、ククールが口籠った。
「流産したんじゃないかってこと?」
ゼシカがはっきりと言い切る。
「それはないわ。もしお腹に赤ちゃんがいたら大変なことになっていたと思うけど、ただ気絶しただけよ」
「そうか…」
ほっとしてククールの肩から力が抜けた。
「でもショックだったんでしょうね。誰かに殴られたことなんてなかったでしょうし。姫様の方が先に意識を取り戻して私を起こしてくれたんだけど、その後熱出しちゃって。休むのが一番だと思ったから薬湯を飲ませてから呪文かけてぐっすり眠ってもらってるの」
「今までの疲れも溜っていたんだろうな。気を張っていただろうし」
「そうよね…」
図らずもゼシカの口から小さな溜息が漏れた。
「ゼシカも疲れているんじゃないのか?」
「んー…私は大丈夫。これくらい、旅に較べたらどうってことないわ」
「まあ、でも無理すんなよ」
「ありがとう」
「で、疲れているところ悪いんだが…」
急にククールの口調が改まった。つられてゼシカも真面目な顔になる。
「やっぱりアイツか?」
「ええ、そうよ。名乗った訳じゃないけど、でも分かる。あの技を使うのはククール、あんたとマルチェロしかいないもの。姫様も顔を見ていて、私の覚えている特徴と一致したわ。『背が高く、黒髪で、額が広い』って」
「額が広い、ね…」
深刻な事態だったが、ゼシカとミーティアのあまりにはっきりした物言いにククールは込み上げる笑いを隠せなかった。
「確かに生え際が危うかったよな、アイツ。新米修道士が陰口叩くときは『デコ』だったっけ」
言葉の中に懐かしむ色合いが混じる。
「でも何で今更こんなことをするの?ゴルドで全てを失って、新しい道を行った筈じゃなかったの?」
「うーん…」
「姫様に言ったんですってよ、『王族なんて根絶やしにしてやる。まずはトロデーンとサザンビークからだ』って」
「変わってねえな…」
いらいらと歩き回るゼシカの背に呟いた。
「そうよ、まるっきり変わってないわ。ゴルドでぶった、あの大演説と全く同じ。あんなことがあったのにどうして変われないの!?」
「それは違うな」
ククールの言葉にゼシカがきっと振り返る。
「どこが違うのよ」
「何かきっかけがあったから変わるんじゃなくて、本人が変わろうと望むから変われるんだ」
ククールの意見にゼシカは黙り込んだ。
「思い出してもみろよ。エイトたちと出会って旅をしたことは単なるきっかけに過ぎないだろ。色々考えるようになって初めて、新しい方向へ進んだんじゃねえのか?」
「…たまにはまともなこと言うのね」
「まあな。色男にも脳みその欠片ぐらいはあるってことだ」
その物言いにゼシカは吹き出した。
「まったく。その辺りは変わんないわよね」
「この辺りは習い性だからな」
にやりとしたが、急に真面目な顔になる。
「オレに対する憎悪もアイツの個性の一部だったんだ。あの時オレに助けられたことで自分のあり方を否定されたような気持ちになったんだろうな。それが変わるきっかけになればよかったんだが…」
「きっかけになるんじゃないの?普通は」
「馬鹿言え。人が変わろうとするのってとてつもなく力を使うもんだ。今まで通りやっていくのが一番消耗しなくていいんだよ」
「そんなものなのかしら」
「そんなもんさ。ま、変わるきっかけを貰って変わろうとしたのかもしれないが、変われなかった。変わり切る前にまた権力の匂いのする場所に近付いてしまって、自分の生まれに対する劣等感を刺激されたんだろうな。それで戻ってしまった、と」
「よく分かるわね」
「まあな。生憎アイツとは兄弟だし」
ふん、と自嘲気味にククールは笑った。
「あの時何度でも止めてやる、って言ったし、変な野望は阻止してやるさ。エイトたちのためにも」
そう言って眠るミーティアの顔を眺め遣った。呪文のおかげもあって安らかに眠っているものの、憔悴の色が濃い。
「で、エイトは?マルチェロが絡んでいるとしたら危ないんじゃ…」
「おまえ、随分心配するんだなあ」
笑いを含むククールの言葉をすっぱり切り落とす。
「馬鹿言わないで。エイトは大切な仲間よ。それとも何?嫌いな訳?」
「…ああ、そうだな」
仲間、そうだった。女とは遊ぶもの、男とはカモにするもの、と思ってきたククールにとってエイトやヤンガスは全く異質な存在だった。
「好き嫌いの二択なら確かにエイトは好きだ。でもそんな生温い言葉で片付けたくねえ。背中を預けられるってやつかな。ヤンガスもそう、ゼシカもそうだ」
「そうよね、私もそうだわ。恋愛云々じゃないのよね。明らかに質が違うもの」
「へえ?」
興味あり気にククールの眉が動き、先を促す。
「お手軽な言葉で片付けて欲しくないって気持ち、よく分かる。村に戻ってお母様に旅の話をしていると『そんなに好きなら結婚すればいいじゃないの』って言われるの。でも、エイトは大好きだけどそういうんじゃないのよね、不思議なんだけど」
「ふーん」
「だけど姫様は違う。エイトの近くに、もっともっと近くにいたい、離れたくないと思っている。エイト以外は誰であっても置き換えできないくらい強く想っているの。もしあのことがなくてそのままサザンビークに嫁いだとしても絶対上手く行かなかったと思うわ」
「そうかもな…でもあの時オレが唆したりしなければこんなことにはならなかっただろうと思うと責任感じるぜ」
ククールの顔が曇る。
「責任を感じて暗くなる前にやってもらうことは一杯あるわ」
それを吹き払うかのようにゼシカはてきぱきと続けた。
「ここの警備をしっかりやってもらって、変な人は入れないようにしてもらわないと。後、旧修道院の通路も塞がなくっちゃ」
「大丈夫だ。ちゃんと手を打ってきた。入り口は閉じておいたから、指輪無しでは入れない。警備も騎士団の連中を焚き付けておいたし。後これ、服の下に着込んでおいてくれ」
そう言ってククールはドラゴンローブを取り出した。
「それ着ておけば呪文受けてもかなり楽になるだろ。あからさまに盾持っていたら怪しまれるしな」
「助かるわ。ありがとう」
「オレはこれからサザンビークまで行ってくる」
「えっ、何しに?」
「トロデ王からの密命があるんだ。それをクラビウス王に伝えに行く。ついでに指輪も貰ってくる」
「指輪?アルゴンリングのこと?でもあれを出したらエイトは…」
「ああ、大逆に問われることはまず間違いない。でも拷問だけは止めさせることができる。王族待遇になるからな」
「でも…」
「あいつを薄暗い拷問室でひっそり死なせたくねえ。このままじゃ手詰まりなんだ。生きてこそ開ける道もあるっつーもんさ」
「…そうよね」
ククールの言葉にゼシカは頷いた。
「頼んだわよ。こっちは任せて。もう二度と遅れは取らないわ」
「おう。じゃ、行ってくる」
ゼシカとククールがぽん、と手を合わせる。
不敵な笑みを浮かべ身を翻すククールとそれを見送るゼシカは気付かなかった。寝台の中のミーティアの頬に涙が一筋、伝ったことを。

              ※            ※            ※

サザンビーク城。西の大陸に大きな勢力を持つ大国のその要。巨大な城の奥まった一室にクラビウス王は客を迎えていた。拝謁玉座の間ではない。トロデーンの使者とは言え密使の体裁を取っていたため王の私客としてひっそりと招じ入れたのである。
クラビウスは困惑していた。トロデーンの密使─ククールはエイトのアルゴンリングを渡すよう、要請している。だがそれを公にすることは…
「駄目だ、あの指輪を出すことはできん」
首を横に振り、目の前の男に拒絶の意を示す。
「指輪はもう存在しない。王位継承者が何人もおっては国の礎が揺らぐからな」
きっぱりと言い切ったつもりだったが、ククールはそれが嘘だと見破った。エイトの持ち物であると同時に兄エルトリオの遺品である指輪を簡単に破壊できるような性格ではない、と。
「それは残念です」
一見引き下がったように思える言葉で受け、独り言のように続けた。
「と言うことはエイトはこのまま拷問死することになるんでしょうねえ」
案の定クラビウスはその言葉に飛びつく。
「拷問死だと!?そんな馬鹿な」
「エイトは庶民扱いですし、正式な手続きを踏まずとも闇に葬ることは可能なのです」
ここぞとばかりに押す。クラビウスの『サザンビーク王家の血の誇り』を刺激するように。
「庶民には正式な裁判など不要、という訳ですね。既にトロデーン近衛隊長の地位を失っていますし」
「何と…」
クラビウスは絶句した。先にククールが予想していた通り、沈黙を保っていたのは兄の遺児たるエイトの身を守らんがためだった。エイトの出生が明らかとなれば、王としてエイトの抹殺を命じなければならぬ。現政権を守り、息子に王位を伝えるために。だが、兄の子を殺すことは躊躇われた。
「…少し考えさせてくれ」
そう言ってクラビウスは立ち上がり、窓際へと寄った。手の内には件の指輪がある。兄の紋章が刻まれたアルゴンリング。だがその持ち主、贈り主共にもうこの世にはいない。ただエイトの存在だけがかつて兄とその妻が在ったことの証だった。それを闇から闇へ葬ってもいいものだろうか。
あの事件によってサザンビークの面目が潰されたことは確かではあった。何より二人の捕縛を命じたのは自分自身であったから。だがしかし、拷問という不当な手段で兄の子の命を奪うことは許し難かった。
「我が子に王位を継がせたい…」
クラビウスは絞り出すような声で呟いた。
「だが、兄上の子を庶民として扱うことは我が王家を侮辱することに他ならん」
ククールの方に向き直る。
「サザンビークの名に於いてエイトに正式な裁判を。以後、刑の執行まで不当に危害を加える者はサザンビーク王家に対する反逆者として処遇する」
そう宣言して机上の羊皮紙にその言葉を書き入れ、署名して指輪と共にククールに差し出した。
「これを裁判官に」
「はっ」
ククールは一礼して受け取った。
「本当は…」
独り言を装って呟く。
「兄上の血を絶やしたくない…」
ククールはしかとその言葉を心に刻んだ。だが、口から出た言葉は王の立場を思ん諮って全く別のものだった。
「エイトは、強い人間ですよ」
「うむ」
兄上の子なのだから、とひっそり心の中でクラビウスは続けた。
「今一つ、お伝えせねばならぬことがございます」
「何だ」
「はい。トロデーン国王にあらせられては……………ということでございます」
ごく低い声で辺りを憚るように伝える。
「何と」
意外な申し出にクビラウスは驚きを隠せない。
「それ故、あまり王女に執着しない方が政治的にも得策かと」
ここからは政治の問題だ、と意識を切り替えながらククールが畳み掛ける。
「それを考慮なさった上で、今後の裁判を進めますよう、ご忠告申し上げます」
「成る程な」
落ち着きを取り戻したクラビウスはその真意に気付いた。
「トロデ殿も策士だな…よい、その点については選択肢の一つに入れておく、と伝えてくれ」
「かしこまりました」
一礼するククールから目を逸らしつつ、クラビウスは言った。
「私はサザンビークの面目を保つことを優先する。トロデーンの玉座を危うくしようとまでは思っていない。だが裁判記録を読むとそのように仕組んでいる輩がいる気がしてならん」
最近チャゴスの様子もどうもおかしいし…と心の中で呟いた。以前は愚かな行動をすることがあってもそれは底の浅いすぐに見破られる程度のものだった。あんなに禍々しい気配をしてはいなかった筈なのに。
「両者に公正な裁判を」
「はっ」
再び礼を取るククールに手を振って会談終了の意を告げる。それに応えるようにククールは部屋を出ていった。
「…兄上そっくりだな、愛する女性の為なら命を賭けるなぞ…」
部屋の中の重い空気の中にクラビウスの呟きは消えていった。

              ※            ※            ※

ある日、エイトは急に牢から出された。また尋問か、と思ったのだが様子が違う。
「どうぞ、こちらに」
どうぞ、なんて言葉など、ここに来て初めて聞いたような気がする。おかしいと思いつつも兵士の後をついて行くと二階の騎士団団長室に案内された。
「結審までこちらにおいでください。ただし、自由に出歩くことはなさいませんよう」
やけに丁寧な言い方の兵士に促され、部屋の中に足を踏み入れる。と、そこに見覚えのある顔があった。
「ククール!」
「よう、エイト。遅くなってすまなかった」
背後で扉が閉まる。鍵がかかるのを待ってククールが口を開いた。
「どうもアイツが関わっているらしいことに気付いてな」
「ああ」
ククールの異母兄、マルチェロ。ではやはりあの男がそうだったのかとエイトは改めて納得した。
「姫様の審問もサザンビークの思惑と違う方向に流れそうになったし、チャゴス王子もどうも操られているくせーし」
確かにそうだった。煉獄島での彼の様子が今までと全く違っていたことを思い出した。王家の威光を嵩に着ているだけの小心者だった筈なのに、別人と言っていい程邪悪な雰囲気を醸し出していたことを。
「それで…それとこれとどう関係があるんだ?」
マルチェロの動向も気になったが、まずは待遇の激変ぶりが何なのかを解決しようとククールに尋ねる。
「ああ、サザンビークから指輪が提出された。今後おまえはサザンビーク王家の血を引く者として扱われる」
「へ?」
状況がよく飲み込めなくてエイトは間抜けな声を出してしまった。
「だから、おまえの父方の血から王族待遇されることになって、拷問はされなくなったんだ。正式に処遇が決まるまで身柄は教会の庇護の下に置かれる」
「そういうこと、か…」
説明を聞くうち、エイトは了解していった。自分の置かれた状況と、ククールが敢えて語らなかったことを。
「それで、ミーティアは…」
恐る恐る問いかけるとククールの表情が改まる。
「今、姫様の裁判の争点は三つに絞られている。大逆の意思の有無、侮辱の意思の有無、姦通の意思の有無だ。このうち大逆の意思がなかったことさえ立証できれば死刑はあり得ない。これはトロデーンから証人喚問すれば立証できる筈だ」
「あれは皆、僕がやったことなのに。そんなことをミーティアは考えていなかった」
「そうさ。何度も共謀して、というならあんなにはっきり敷布に証拠が残ったりしないからな」
にやりとしながら発せられたククールの言葉の意味するところにエイトは頬が赤らむのを感じた。それを隠そうと急いで続ける。
「で、でもそれで大丈夫なのか?それ以外の二つだけでも死刑になるんじゃ…」
「ああ、それはない」
とククールはあっさり言い切った。
「裁判には判例っつーもんがあるんだ。それにサザンビーク王もその辺りは望んでいない。まあ、任せとけ。ヤンガスから聞いたかもしれんが、死刑回避、婚約破棄の方向へ持って行くようにする」
「…頼む」
ククールの言葉は都合が良すぎるように思えたが、今はそれだけが頼りだった。
「お前は今のうちに体力を回復させておけよ。やることはたくさんあるんだからな」


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2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定









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