3.Recordare


ミーティアに対する審問はそのままマイエラ修道院で行われることになった。トロデーン王女という身分を考慮すると妥当な線だろう。なにしろトロデーンは北の大陸に、サザンビークは西の大陸に大きな勢力を持つ。審理に多大な影響を与えるだろうということは容易に予想されたからである。
審問を受け持つ教会側はそれを好まなかった。マルチェロによって引き起こされた混乱により教会の権威は著しく失墜してしまっている。この審問を契機に王権に対する神の─ひいては教会の─権威の優越性を誇示しようと考えていたのである。
「神は神の法によって人を裁く。俗権は口出しするな」
と言ったところだろうか。
審理がマイエラという両国の権の及ばぬ地で、かつ、全てを神の判断に委ねるという立場を教会が取ったことにより、両国は横槍を入れ難くなったことは間違いない。
「それでは審問を開始する。被告は前へ」
裁判官もトロデーン、サザンビーク両国とは無縁の教会関係者から選ばれている。
「はい」
静かに、けれどもはっきりと答え、ミーティアは前に進み出る。そして跪いて裁判官の差し出す手を頂いた。
「トロデーン王女、ミーティア・オブ・トロデーンであるな」
「はい」
判事は神の代理人である。抽象的な意味だけでなく、実際彼はどこだかの大司教だった。裁判というものは元々教会の管轄であり、裁判官を始め弁護人まで全て教会関係者である。
「ここは神聖なる場所であり、そなたは真実の言葉のみを申すと誓うか」
「はい、誓います」
と型通り答えたところでミーティアはふと、小さな衝動に駆られ口を開いた。
「私は罪深い人間です。その罪を包み隠そうとは思いません。いかなる刑も受ける覚悟でございます」
ミーティアの言葉に判事は鷹揚に頷き、被告席を指し示した。
「そちらに座るように」
「はい」
そう言って席に着こうとした時、はたと動きを止めた。弁護人の中に見覚えのある人影がある。いつもと違う雰囲気だったのですぐにそれとは分からなかったが。
(……)
その人もそうだ、と言わんばかりに小さく頷いた。ククールだった。いつもの赤い騎士団の服ではなく、黒い僧服に身を包んでいる。
ミーティアは口を開きかけた。が、ククールがそれを押し止める。
「冒頭陳述が始まります」

実はエイトも同じマイエラ修道院にいた。もっとも、ミーティアのような待遇は受けていなかったが。審問があるから、と煉獄島から―ヤンガスとはそこで別れた―修道院の地下牢へと移されたのである。
確かに審問にはうってつけの場所だった。罪人を拘束する牢、尋問室、さらに強情な罪人のための拷問室まで揃っている。
(でもあのアイアンメイデンを使うことはないだろう)
とエイトは思った。拷問とは死を望ませるために苦痛を与え、審問官の望む答えを言わせるための手段であり、拷問死はその苦痛から逃れる最も簡単な手段であったから。
エイトとてそれくらいのことは知っていた。王を守る近衛兵、時には手を汚さねばならない。それは単に王の盾となって守ることを指すのだけではなく、秘密裏に王の敵を捕らえ、場合によっては拷問して自白を、それもこちらが望む答えを引き出すように仕向けるということも含んでいた。
今、エイトの目の前にいる審問官は決して手を出すことはない。剃刀のような鋭い眼光で睨み付けてくるものの、何かしてくることはない、と分かっていた。実際に拷問するのは自分たち近衛兵のような俗吏だ、と。審問官は優し気な顔をして待っておればよい。罪人が自ら落ちてくるのを。
「仕方ありませんな」
今日何度目かの質問に対し、エイトがミーティアと共謀して大逆を謀ったことを否定したとき、その審問官は言った。悲し気な表情を作って続ける。
「このままでは奥の部屋でまた不快な思いをしてもらわなければなりませんなあ」
そう言ってちらりと格子越しに奥の拷問部屋を見遣る。
「強情はよくありませんぞ。真実を話せば助かる見込みもあるというのに」
同情を装って溜息を吐く。
「僕が一方的にミーティア様を犯しました。彼女には何の咎もありません」
「嘘を言うな!」
一瞬審問官は我を忘れて怒鳴りつけた。そうか、そちらが地か。そう感じ取った途端、エイトは気が楽になった。猫が鼠をいたぶるようにされるよりは単純な奴の方が御しやすい。
「前々から共謀しておったのだろう?ん?身籠った自分たちの子をサザンビークの玉座に就けようと?」
取ってつけたように猫撫で声を出したが、正体は知れている。
「違います。そのようなことは断じてありません」
「神の御前で嘘はいけませんなあ」
穏やかそうな言葉とは裏腹に「何もかも分かっておるのだぞ」とでも言うかのような鋭い目つきをする。
「嘘ではありません。あの夜、突発的にお付きの人々の制止を振り切ってミーティア様の部屋に侵入いたしました。抵抗されましたが、強姦したのです。どこにも共謀の事実はありません」
望む答えを引き出そうとする審問官とミーティアを守ろうと決意を固めたエイトの視線が激しく火花を散らす。
「…どうしても奥の部屋に戻りたいようですな」
大袈裟な身ぶりで審問官は両手を広げた。
「では、みなさん」
と部屋の壁に沿って立っているサザンビーク兵に向かって言いかけた時、
「お待ちを」
突然背後から進み出る者があった。
「ずっと審問の様子を拝見しておりましたが、どうもこの者は物足りなく思っているようでございます。つきましては私めに奥での尋問をお任せくださいますよう」
チャゴス王子に従っていたフードの男だった。こうして見るとかなり身長がある。
「ほう、真実を語らせることができると?」
「御意」
男が一礼すると審問官は鷹揚に頷いた。
「よい。ではおぬしに一任する」
「はっ」
男がフードの奥でにやりとしたような気がした。もしや、の疑念と共にククールの言葉がエイトの耳朶に甦る。
「アイツの拷問は、キツイぜ?」
確かにその通りだった。

              ※            ※            ※

審問が始まったが、サザンビーク側の陳述は混乱していた。ある時は全ての罪をエイトに帰してミーティアを無罪にしようという方向へ持って行こうとし、またある時は共謀して王位転覆を狙った大逆で両者を死罪にしようとする。
(どうも解せない)
とククールは心の中で腕組みした。エイトの看守を外されたおかげで身体が空いたヤンガスが仕入れてきた情報(出所はパルミドの情報屋だろう)によると、チャゴス王子はミーティアを無罪にしてさっさと結婚したいらしい。そのつもりでサザンビーク城に部屋を用意しようと躍起になっているということだった。
(誰が姫様の死を願っているのか?)
クビラウス王も違うと思われる。むしろ無罪にしてトロデーンの玉座が転がり込んでくるのを狙っている可能性が高い。
(こうなると王が黙っていてくれることがありがたいな)
王は事件が発覚してからというもの沈黙を保ち続けていた。喧々と騒ぎ立てているのは周囲の者ばかりである。
何となればクラビウスの手元にある指輪がエイトの命運を握っているから。あの指輪がエイトを生にも死にも追いやる劇薬となるだろうことはククールにも容易に予想された。
エイトの出生を示すアルゴンリング。あの指輪を出され「サザンビークの王位を要求した」と言われればまず間違いなく大逆罪となる。クラビウス王の兄の子であるエイトは、王位継承順のみで言えばチャゴス王子より、いや、クラビウス王よりも正統性が高い。故にそれが明らかになれば現政権にとっては直ちに抹殺すべき者になるであろう。
(しかしそれだけならばエイトだけでいい筈だ。なぜ姫様まで?)
ククールの疑問はいつもそこに辿り着く。チャゴス王子はミーティア姫の処刑を望んでいない。恐らくはクラビウス王もであろう。では一体誰が?
サザンビーク側の弁護人はいつも同じであった。元々サザンビーク王室付きだという神父は、当然自分の仕える王家の都合を最優先にする筈である。
(待て、時々面子が変わっていないか?)
前回の審問で先方の論調が急にミーティア処刑の方に傾いた。その時のサザンビーク側に誰がいたか。目深にフードを被って時折ちりちりするような殺意─敵意と言うにはあまりに鋭すぎた─をこちらに向けてくる男がいなかったか。
審問は論戦の場である。剣ではなく言葉で原告被告が戦っており、当然敵意が向けられることもある。最初ククールは論戦の白熱するあまりの行き過ぎた敵意かと思っていた。しかしそれにしては鋭すぎ、それ以上に粘っこいものが絡み付く。
その感覚には覚えがあった。かつて自分に対する憎しみを隠そうとしなかった男。
(まさか…アイツか?)
異母兄、マルチェロ。聖堂騎士団団長にしてマイエラ修道院院長、そしてかつての法皇(教会は躍起になって彼の存在をなかったことにしようとしているらしいが)。もしそうならば全てに説明がつく。自分に向けられる殺意も、顔を隠すフードも。
(今までの遣り口を考えればそうに違いない)
現在、三人で話し合って決めたエイトとミーティアの身の安全を確保しようという策は分断されてしまっている。ミーティアの方はまだ手出しされていないようだが、エイトは「審問に不便」と煉獄島を出されてマイエラの地下牢に移された。この時に看守─変装したヤンガス─とは離されてしまった。
ならば、とマイエラの看守に小金を掴ませてエイトに面会しようとしたのだがそれも叶わなかった。マイエラはククールにとって自分の庭のようなものであり、看守の性格も熟知している。ドニで飲む酒代にいつも事欠いていて、小金を渡せば面会程度なら融通の利く奴だったのに。
その上すぐにサザンビーク兵が地下牢の見張りに立つようになってしまい、エイトの消息を探ることは事実上不可能になってしまった。いや、鉄の処女の抜け穴を使えば忍び込むことぐらいはできるのだが、ミーティア姫の弁護団の一員である以上、不用意な行動は慎むべきことであった。
(くそっ!)
心の中で兄の幻影に拳を向ける。もし予想が当たっているとしたらエイトの身が危ない。彼の拷問は肉体的にもきついがそれ以上に精神的な打撃を与えてくる。どんなに強い人間であっても思うままの答えを引き出すことができる程の。
エイトが精神的に脆弱だとは思わない。むしろ強靱だとククールは思っていた。だが身体を損なわずとも精神を殺すことは可能である。そしてそれは強い精神であればある程危ない。望む答えが得られるまで拷問は続くのだから。
(狙いは何だ!)
エイトの死か?オレへの意趣返しか?ならばなぜミーティア姫にまで手を出そうとする?ククールの疑念は募る。
(このままではエイトが危ない)
ついにあの指輪を使わざるを得ない時が来てしまったのだろうか。エイトを死へと追いやる力を持つあの指輪を。

              ※            ※            ※

「何の用です?」
マイエラ修道院院長室に軟禁されているミーティアと、その身辺を修道女と身分を偽って見張るゼシカの前にフードの男が現れたのは深夜のことだった。
「おやおや、ずいぶん威勢のいいシスターだな」
口の端に笑みを貼り付かせて男は二人に近付く。
「時間も遅うございます。どうぞ速やかにお引き取りを」
目の前のこの男は徒者ではない、とゼシカは緊張した。そしてさり気なくミーティアを庇うように前へ進み出る。
「…ほう、どうも見たことがあると思ったら。道理でおとなしやかな口調が上滑りな訳だ」
誰?とゼシカは疑問を感じたが、そのまま修道女のふりを続けた。
「ということはやつがここでも一枚噛んでいるということか?ふむ…」
一人ごちる男にゼシカは呪文を投げかける心積もりをしながらさらに問う。
「こちらにおわすはトロデーンの王女様でいらっしゃいます。無礼は許しません」
「…まあいい。せいぜい私の手の内で踊っているがよかろう。さて」
虚空に向かって呟いていた男が急に向き直る。ゼシカがはっと瞠目した瞬間、男は手刀で空を切り裂いた。
「きゃあっ!」
裂けた空間がゼシカを襲う。そして戻ろうとする力が溢れぶつかり合い、ゼシカの周りで爆発して身体を跳ね飛ばした。
「あ、あなた、マルチェ…」
「差し当たってお前に用は無い」
床に叩き付けられ呻きながらも起き上がろうとするゼシカに言い捨て、呪文を投げかける。と、ゼシカは深い眠りに落ち込んでしまった。
「さて、王女殿下」
あまりのことに声も出ず呆然と立ち尽くすしかなかったミーティアの前に男が立ちはだかる。
「お初にお目にかかり申す。もっともあなたのお仲間にはずいぶん邪魔をされたが」
フードをかなぐり捨て、男─マルチェロが恭し気に一礼した。
「あなたに目通りを許した覚えはございません」
震えながらもきっぱりとミーティアは答えた。
「ゼ、あの者に何ということをするのです。罪もない者をあのように傷つけるなんて。恥を知りなさい!」
「ほほう、囚われても気位だけは王女のままと見える」
にやにやしながら近付いてくるマルチェロを避けようとミーティアは階下への階段へにじり寄る。
「人は皆、生まれながらに罪人でございます。ならば今の行為も何の咎めもございません。
ですが世の中には…」
ミーティアは身を翻し一気に階段を駆け下ろうとした。が、長い髪を搦め取られ、羽交い締めにされてしまう。
「血によって至高の地位が約束されている者もいるという不条理があるのです。そう、あなた様のように!」
抵抗しようにもものすごい力で締め上げられ、ミーティアは息をするのもやっとだった。
「そんな輩はこの手で一人残らず滅ぼしてやる。まずはトロデーンとサザンビークからだ。
裁判中の今は身体の一部たりとも欠けてはならんらしいが…」
声に笑いが混じる。
「次世代を断つことは可能だ」
次世代?とミーティアが疑問に思った瞬間、下腹部に激しい衝撃が走る。
「あ、な、た、…何、を…」
「念には念を入れるものだ。あなた方を処刑するとしても次の世代が生まれてしまっては台無しだからな」
ミーティアの意識の彼方からマルチェロの嘲笑が不吉にこだまし続けていた。


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2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定









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