2.Rex tremendae
「ボクの花嫁を寝取るとはいい度胸だ」
煉獄島の地底、重罪者を収容する牢にエイトは監禁されていた。ニノ大司教が法皇に就任してからここは廃止されたため、他に人影はない。
「サザンビークの管轄だったなら即死刑にしてやれたのに、教会の石頭どもめが」
手足は枷で拘束され、自由は完全に奪われている。そのエイトの前に立つはチャゴス王子。目深にフードを被った男を従え、憎々し気にこちらを見据えている。
「その鎖は力を封じる呪がされているらしいぞ。引き千切ろうったってそうはいかないからな」
そう言いながらエイトに唾を吐き掛けた。手足を縛られていては頬に掛かった唾を拭く術もない。
「いい様だ。自分の力を誇ってきた奴が何の抵抗もできないんだからな」
にやにやとしながらチャゴスはさらに近付く。その手には短剣が握られていた。
「ということはボクに指一本触れることもできない訳だ」
のろのろと―エイトの眼にはそう映った―振りかぶったかと思うと右手に向かって突き立てられた。
「ぐっ」
余程鋭利な刃だったのか最初エイトは何の痛みも感じなかった。しかし、たら、と血が流れて「刺された」と意識した途端急に鋭い熱の線として痛みを感じ出す。
悲鳴なんて上げるものか、これくらい、堪えてみせる…
「ぐはっ!」
しかし突き立てられた短剣が捩上げられ、嫌な音を立てて骨が砕ける。全体重をかけているのか信じられない程の力で刃が突き抜け、石の壁にきりきりと食い込んだ。
「どうだ、思い知ったか。でもこれからだからな。高貴なボクの誇りを傷付けたんだから、死ぬ方がマシなくらい拷問してやる」
こんなことに負けるものか、とエイトは思った。情けなく悲鳴を上げてチャゴスを喜ばせまい、と歯を食いしばる。
「殿下、しばしお待ちを」
と、今まで置物のように成り行きを傍観していたフードの男が一歩前に進み出た。そしてエイトに向かって手を翳す。すると緑の光が身体を包み込み、傷をたちまちのうちに癒した。
「おいっ、何で傷を治すんだ!拷問の意味がないじゃないか!」
チャゴスが男に食ってかかる。それに対し、男はフードの奥でくつくつと笑い声を上げた。
「殿下は真の拷問をご存じないようでございますな。苦痛の後で与えられる安息、これが拷問への恐怖を呼ぶのでございますよ」
振り向きざま男はエイトの鳩尾を殴りつける。警戒はしていたものの、その速さは予想を越えていて、堪え切れずに胃液を吐いた。
「ヒトは痛みに慣れ、そのうちそれに興奮するようになる生き物でございます。絶え間無い責め苦は拷問として下策なものなのでございますよ」
「お、おう、そうか、おぬしは詳しいな」
「できればこれから行うことについて事細かに語ってやるのが礼儀というものでございましょう。先程のように突然のことではただ痛いだけで、何の恐怖も与えません」
「ほう」
「殿下、どうかこの者に説明してやってくださいませ。これから何をするのかを」
「そ、そうだな…
おい、これが何だか分かるか」
フードの男に促されチャゴスは荷物からペンチのようなものを取出した。
「ペンチだろう」
エイトは素っ気なく言った。見え透いている、どうせ歯を抜くか爪を剥ぐかだろう。
「そうとも、ペンチだ。これを火でよくあぶり熱くなったところで、お前の爪を一枚一枚丁寧に剥いでやる。終わったら呪文で癒してやるから安心しろ」
独創性のないチャゴスの言葉にエイトはうんざりした。爪なんて旅の中で幾度剥がれたことか。その痛さがどの程度のものであるのかは身をもって知っている。
「そしてまた剥ぐんだろう」
「その通りだ。なかなか物分かりがいいじゃないか」
全く動じていないことをチャゴスは分かっていない。ここまで愚かな奴だったとは…
いや、少しは思っていたか、とひっそり自嘲気味な笑いをエイトは浮かべた。
「これからペンチを火であぶる」
そう言いながらチャゴスは手燭にペンチをかざした。しかしその手際の悪さときたら…ペンチの先を熱するうちに取っ手まで熱くなって取り落とす。慌てて拾い上げようとしてその熱さにまた落とした先が足の上。熱いわ痛いわでギャーギャーと喚き散らす有様は、どちらが拷問される側なのか分からない。
「もう止めてくれと泣き喚くのが楽しみだ。せいぜい堪えて見せてくれよ」
漸く準備が調ったのか目一杯エイトを脅しているつもりの口調で言い放ち、目の前にペンチをかざした。
「まずは左手からだ。どこまで我慢できるかな」
にやにやしながらエイトの左手を掴み、ペンチで爪を摘もうとした瞬間、
「おい、カーゴが来たぜ」
と看守の声が掛かった。
「うるさい、後でまた来るように言え。今いいところなんだから」
振り返りもせずチャゴスが威権高に言い放つ。
「今日のカーゴはこれで終わりだぜ。明日までこのまま飲まず食わずで平気ならそうしてもいいがよ」
「ボクは王子様だぞ。命令が聞けないのか」
チャゴスの妙に甲高い声が狭い牢内にキンキンと響く。それよりもエイトには気になることがあった。看守の声は聞き覚えがある。覆面のせいでくぐもってはいるがあの声はもしや…
「ここでは王子様は関係ねえ。王様だろうが誰だろうが看守様に従うんだ」
看守の有無を言わせぬ迫力にたじたじとなったチャゴスは、忌ま忌まし気に舌打ちし、
「覚えてろ」
とこれまた独創性の欠片もない捨て台詞を吐いてフードの男を伴い出て行った。
カーゴが充分遠離って行った時、看守が覆面をかなぐり捨て、エイトの元に駆け寄った。
「兄貴!」
ヤンガスだった。
「ヤンガス、どうしてこんなところまで!」
「へへっ、兄貴のいるところなら例え火の中水の中、どこへだってお供するでがす。それが兄弟仁義っていうやつでがす」
涙目になりつつも鎖を解く。長時間拘束されていたせいか足が萎えていて一瞬よろめく。
「兄貴たちが捕まった後、三人でどうしたらいいか話し合ったんでがす。あっしとしては兄貴を奪還してさっさと逃げようと思っていたんでげすが…」
そんなエイトを見てヤンガスは肩を落とした。
「ククールの奴が裁判は受けた方がいい、って言ったんでがす。ただ逃げればトロデーンに迷惑が掛かるし、姫様も処刑されちまうって」
「処刑?!」
エイトの声が裏返る。
「まさか。大体トロデーンの王位継承者をどうにかすることなんてできる筈ないだろう?」
「サザンビーク側が怒り狂っているんでがす。面子を潰されたって。兄貴を私刑にしかねない勢いなんでがす」
「僕はいいんだ。私刑だって構わないよ。それだけのことをしてしまったんだから。でも何でミーティアまで!」
「これはチャゴスの野郎は反対しているんでがす。兄貴を殺して何事もなかったかのように姫様を迎えるつもりでいるらしいんでがす。でも…」
少しためらった後、ヤンガスは続けた。
「姫様が『エイトが処刑されるのならば私も同罪です。エイトと一緒に死にます』って言い張っているんでげす」
一緒に死ぬ…このような状況なのにエイトの耳にその言葉は甘く響いた。だがその考えを打ち払う。
「駄目だ、そんなこと!」
「放っておいたら姫様は幾らでも自分に不利なことをしゃべって兄貴を庇おうとしてしまうでがす。
ここからはククールの意見でがすが…」
ヤンガスは声を潜めた。
「何としても先に姫様の処遇が決まるようにした方がいいって言っているんでがす。あっしには詳しいことはよく分からねえんでげすが、婚約破棄、幽閉の方向に持っていくようにしたいし、多分判事も王統断絶の原因にはなりたくないだろうからそうするんじゃねえかと読んでいるみたいなんでがす」
「僕が唆したのに…」
どこかにミーティアが幽閉される、そう思っただけでエイトは胸苦しい気持ちになった。たいてい砂漠や湿地等、条件の悪い場所が多い。そんなところに…
「何言ってるんでがす。兄貴が助けに行くんでがすよ」
「えっ」
「兄貴一人ならいくらでも逃げられるでげすよ」
「…駄目だ、そんなこと。これ以上トロデーンに迷惑は掛けられない」
「だから、チャンスは処刑の時だけでがす」
そんなことをしていいのだろうか。こんなことになった責任は全部自分にあるというのに。大恩ある陛下にまで恩を仇で返すような真似までしている。それなのにいい思いをしては…
「裁判が始まったら処遇が決まるまでもう誰も兄貴に手出しできねえでげす。どうかそれまで辛抱してくだせえ」
「平気だよ、それくらい…」
「本当はさっきあの野郎をぶん殴ってやりたかったでげすよ。でも」
「いいんだ、気にしないで。大体こんなところに居たらヤンガスも危ないじゃないか。僕は大丈夫。どうやら毎回呪文で傷を治すって言っていたし」
自嘲気味に言うエイトの手をヤンガスが取った。
「すまねえでがす…でもあっしもできる限りのことはさせて貰うでげすよ」
「すまない、ヤンガス…」
「へへっ、いいんでげす。兄貴に命を助けられた大恩に較べりゃ大したことはねえでがすよ」
「…ありがとう」
※ ※ ※
マイエラ修道院は川の中州に建てられている。特に院長室は修道院からさらに橋を渡らなければならず、隔離にはうってつけの場所だった。
オディロ院長が殺されてしまってからは使う者はなく(後を継いだマルチェロは団長室を引き続き使っていた)、その後修道院自体が混乱していたこともあってこの場所は見捨てられていたも同然だった。
ミーティアはここに軟禁されている。一階を世話をしてくれる修道女たちのための控え室に、二階を彼女の居室とし、見張りの兵が建物の外に立つ。橋は落とされ修道院との行き来は船だけとなり、仮に見張りをどうにかしたとしても簡単には逃げられないようにされていた。
(逃げるものですか)
とミーティアは思う。いかなる刑であろうと臆することなく受ける。自分にはそれだけの罪があるのだから、と。
今まで付き従ってくれた侍女たちとは引き離された。彼女の身の回りの世話をしてくれるのは見知らぬ修道女ただ一人。俯きながら黙々と雑用をこなし、ミーティアのねぎらいにも応えない。
彼女の態度はもっともなことなのだろう。何しろミーティアは罪人、それも大逆の重罪に問われている。下手に応えれば自分まで罪に問われるかもしれない、というところか。
それでも世話をしてくれていることには変わりはない。その夜も夜着への着替えを手伝ってくれたその修道女に、
「ありがとう。こちらはもう大丈夫です。どうぞお休みください」
と礼を述べた。
その時、急に階下の扉が開き、階段を昇ってくる音がした。
「誰でしょう?何かあったのかしら」
ミーティアが修道女と顔を見合わせた時、その者が姿を現した。
「あなたは!」
チャゴス王子だった。
「ぐふへへ、ミーティア、今夜は妻としての義務を果たしてもらうぞ」
あまりの言葉にミーティアは蒼ざめ、無意識のうちに口を覆い後ずさる。
「婚約はまだ生きているぞ。ボクが破棄すると言わない限りあなたはボクのものだ」
にやにやとしながらさらに近付いてくる。
「嫌です!どうぞお引き取りを!」
ミーティアは拒み、逃げようとしたがそれも空しく壁際に追い詰められてしまった。
「大丈夫、大丈夫だよ。言うこと聞いてくれさえすれば優しくするから」
「誰が…誰があなたの言うことなんて聞くものですか!」
けれども両手を壁に貼付けにされ、最早身を守るものは何も無い。舌を噛み切って死んでやろうかと思った時、チャゴスの背後から声が掛かった。
「恐れながらチャゴス王子様。よろしければお召し物のお世話をいたしますが」
修道女がしずしずと近寄ってくるのをミーティアは絶望の眼差しで見遣った。
「お、おお。そうであったな。おぬし、気が利くじゃないか。
見れば美女なのに修道女とは勿体無い。どうだ、俗世に戻ってサザンビークに来ないか。寵妃として望むままの生活を送らせて遣わすぞ」
「ほほ、王子様もお口が上手でいらっしゃいます。…では上衣を」
「うむ」
もう味方は誰もいない。ならば、と覚悟を決めたその時だった。
「……」
修道女が何事かを囁いたかと思うとチャゴスが突然崩折れたのである。驚いてよく見ると早くも高鼾で眠り込んでいた。
「はあーっ、気色悪かった!」
初めてはっきりと聞いた彼女の声。いや、初めてではない。
「あなた…もしかして」
「そうよ、ゼシカ・アルバートよ。姫様、もしかして全然気付いていなかったの?」
ミーティアは唖然として彼女を見た。確かに茶色の瞳は彼女のものだ。しかし…
「よく、ここに…」
「全く、私もそう思うわ。だけどククールの指輪が役に立ったのよ」
「指輪?」
「ゴルドが崩壊した後、どこでもイ…じゃなかった、マルチェロから貰った騎士団長の指輪よ。
エイトと姫様が捕まった後、三人で善後策を考えたの。ヤンガスを看守に仕立ててエイトのところに、私にシスターの格好をさせて姫様付きにして、危険があったらそれとなく守ろうって。それで使えるかどうか分からないけど、そういう命令書を作って指輪で判を押してみたらあっさり通った訳よ。この服もあいつがどこかから調達してきたの」
そう言ってゼシカはくるりと一回転した。
「まあ、いきなり『すぐに着るんだ』ってこれ出されて、シスターの服でしょ?どっかのシスターさんをたらし込んで身ぐるみ剥いで来たんじゃないかと思ったわよ。あいつの常日頃の行いから考えて」
ゼシカの言葉にミーティアはつい吹き出した。
「そうそう、そうやって笑いを忘れないで。姫様が悲しい顔をしていたらエイトも辛いでしょ?」
その言葉にミーティアははっとした。
「エイトは?エイトは無事なの?まさか、もう…」
「エイトは無事よ」
先を言う勇気のないミーティアを引き継いでゼシカが答えた。拷問を受けている(酷くなる前にヤンガスが何とか止めているらしいが)ことは伏せ、はっきりと言い切る。
「ただ、姫様を巻き込んだことだけ悔やんでいる」
「そんな!」
始まりはエイトからだったとは言え「もう一度」と願ったのは自分だったのではないか。それと知らずとは言え心の奥底で結ばれる願っていたというのに。
「もし姫様が自ら死を選んだりしたらエイトも生きていけないと思うわ。だからどうか、自棄を起こさないで欲しいの」
「だってこのままでは…」
「大丈夫、ヤンガスが付いている。裁判にかかって正式に処遇が決まるまで滅多なことはさせないって息巻いているわ。姫様も知っているでしょ?判決が下れば何人も手出しできないっていう慣例を。
それに」
とゼシカは声を潜めた。
「エイトの力を持ってしたらどんな場所からだって脱出できると思わない?」
ミーティアはその言葉に顔を上げた。ゼシカと目が合うと彼女も「その通りだ」とばかりに力強く頷く。
「エイトを信じてあげて。姫様はエイトの希望なのよ」
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2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定
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