二人に捧げるRequiem
1.Dies irae
意識の遠くで誰かが何かを叫んでいる。
いいんだ、もう。何もかも終わったんだから。あの指輪一つでどうにかなると思っていた自分が愚かだったんだし。
ミーティアは行ってしまう。もう会えなくなるということは分かっているけど顔を合わせるのも辛い。あの男に、サザンビークの王子であるというだけでミーティアの夫となるあの男にいいようにされてしまうのだと思うと嫉妬で胸が灼けつきそうだ。
「あ、兄貴!早く起きてくだせえ、逃げるんでがす!」
ヤンガスの声だ。それと同時に激しく揺すぶられる。
「早く、兄貴、逃げ…ぐへっ!」
肩に掛けられていた手が急に無くなり、代わりに「どすん」という鈍い音がして、ヤンガスの声がしなくなった。何事かとうっすら目を開けた僕の鼻先に何かが突き付けられている。それが抜き身の剣であることに気付くまで数秒かかった。
「トロデーン王国近衛隊長、エイトだな」
それは誰何ではなく、断定だった。その制服はサザンビークのもの。僕の寝台は兵たちによってびっしりと取り囲まれていた。
「先程トロデーン王女の部屋から出てきたという密告があった」
見られていたのか!自分の血が一気に冷たくなったように感じた。
「サザンビーク王室に対する不敬罪、姦通罪、並びにサザンビーク王位の転覆を謀った大逆罪の疑いによって逮捕する。
おとなしく縛に付け!」
僕に切先を向ける男が逮捕状を読み上げるうち、自分が異常なまでに落ち着いていくのを感じた。元より自分の犯した罪の重さは充分承知している。罰─それも死罪だ─を受ける覚悟はついている。だが。
「あ、兄貴…」
兵の後ろではヤンガスがおろおろとしている。周りの人までも巻き込んでしまった…
持っていた武器、防具の全てを取り上げられ、後ろ手に縛られて宿を連れ出された。
周りはがっちり固められ、逃げ出す隙もない。もっとも、そのつもりなんてなかったけど。
「兄貴、あっしも…ぐへっ」
背後でヤンガスが兵に追い払われ、蹴っ飛ばされた音がする。ごめん、これ以上はもう止めてくれ。ヤンガス、お前まで捕まってしまう。
「ゼシカ!ヤンガスを頼む!」
林立する槍の向こうにちらりとゼシカの姿が見えたのでそう叫ぶ。途端に背後から柄で小突かれた。
「こらっ、黙って歩け!」
「兄貴!」
悲鳴に近い叫び声を上げ、ヤンガスがまた僕に近寄ろうとする。それをゼシカが駆け寄って押し止める様子がちらっと見えた。
「駄目。お願いだからもう止めて。今は、…だから、ね」
必死で説得するゼシカの声がする。最後の方はよく聞き取れなかったけど。それに納得してくれたのかヤンガスは漸く追うのを諦めてくれたようだった。
結婚式を見に来た人々は突然のこの出来事に唖然としていた。華やかな雰囲気は消し飛び、代わってサザンビーク兵と聖堂騎士団の団員が物々しく歩き回っている。その様子に怯えつつも僕たちを遠巻きに見ていた。そのうち事情が知れ渡ったのか冷たい囁きと嘲りの眼差しが僕に突き刺さりだす。それでも僕はただ前だけを見詰めていた。罪を恥じるべき相手はこの中にはいないのだから。
そうやって階段のところまで来た時だった。急に辺りがざわめいて人垣が割れる。と、階段の上から同じような一団が姿を現した。
「トロデーンの売女め!」
「阿婆擦れの雌犬が!」
人波の中から中央の人影に向かって罵声が投げ付けられる。そこにはミーティアがいた。いつものドレスを着て、昂然と頭を上げこちらに向かってくる。辺りを払う威厳に満ち溢れた様子にいつか罵声も尻すぼみになり、やがてしんと静まり返った。
「トロデーン王女を護送いたす!」
あちらの先触れがそう告げる。僕たちの方は立ち止まり、その一団に先を譲ろうとした。
ああ、ミーティアは縛られてはいない。よかった、あの細い手首に荒縄は辛いだろうから…でも、僕のせいであのような辱めを受けるなんて。
その時ミーティアと視線がぶつかった。静かな眼差しだった、鏡のようにしんと静まりかえった。
ふと、絶望的なあの夜の中、幾度となくミーティアが僕の目を覗き込んだのを思い出した。愛撫の手の中にあっても、そうやって見詰められる度に僕は碧の瞳に吸い込まれるかのように動けなくなってしまい、否応無しに自分の心と向き合わされたことを。
いかに自分がミーティアを必要としていたか、主命という名のもとに自分の心を偽り続けてきたかということ、それがどんなにミーティアの心を傷つけてきたのかということを、その中で知った。そしてミーティアもまた、婚約者のいる身、という立場に逃げて自分に向き合ってこなかったということも。
今、階段を下ってくるミーティアが僕の心を見通す。そしてまた、僕もミーティアの心を見通す。僕は、悔いてはいなかった。あなたと通じたことを。そしてその罪故に汚辱の淵に置かれたことを。
打ち首だろうが火刑だろうが臆することがあるだろうか。己が何を為したのかは分かっている。後悔するとしたらあなたまでを巻き込んだことただ一つ。
見詰めあううち、ミーティアの一団は通り過ぎて行った。「そら、歩け」とばかりにまた頭を小突かれる。言われなくとも歩く、と思った時だった。
「エイト!姫様を助けたかったら死に急ぐんじゃねえぞ!」
振り返ろうとしたが槍の穂先に阻まれた。でも誰の声かは分かる。ククールだ。でもなぜこんな時に?大体助けることなんて可能なんだろうか?この破滅の日の中で。
※ ※ ※
私は何も悔いてはいない。
すれ違いざま、私はそう心の中でエイトと語らっていた。
エイトと一緒ならばどこまででも行く。それが例え永遠の業火に焼かれ続ける道であっても。むしろその方が好ましい。エイトのいない天国よりもエイトと一緒の地獄の方が慕わしい、と。
私たちは見張られていた。サザンビークの女官がエイトが部屋に入ったのも出て行ったのも見ていたのだ。
夜明けと同時にサザンビーク側の女官たちが私の休む部屋へ入ってきて、寝台を改める。私たちの罪の印がそこにまざまざと残されてた。
「トロデーン王女ミーティア様、速やかにお召し替えを」
有無を言わせぬ口調に怯えたのは今までお世話してくれたメイドさんの方だった。
「姫様…」
「悪いのは全て私です。あなた方には何の咎もありません」
ただ申し訳なく思うのは世話をしてくれたメイドさんたち。どうか言い逃れして。私に全ての罪を押し付けて。そしてお父様…ごめんなさい、育ててくださったご恩を踏みにじった悪い娘で。
着替えが終わると同時にサザンビークの兵が部屋に入ってきて私に告げた。
「サザンビーク王室に対する不敬罪、姦通罪、並びに大逆罪の疑いにより拘束いたす。速やかに参られよ!」
大逆!そんな!ではエイトは?
…いいわ、大逆罪で火刑ならそれで構わない。エイトを処刑するのならば私も一緒に火刑台へ。エイトの妻として誇り高く死にましょう。燃え盛る焔がきっと、私たちの罪を焼き尽くしてくれる筈。白いさらさらとした灰になるまで燃え尽きれば、きっと…
2へ→
2005.9.9〜10.10 初出 2007.3.4 改定
|