明日への標




3.



何なの?何なのよ全く!
どうして顔もろくろく覚えていないようなメイドからいきなり、
「ククール様のお子様がご滞在なんですのよ。お気の毒でございます」
なんて言われなきゃならないのよ!それもこれっぽっちも気の毒なんて思ってないようなにまにま笑いで!挨拶みたいなあいつの口説きを真に受けているのはあんたでしょう。
「エイト!」
取り次いでもらうのももどかしく、蹴破らんばかりの勢いで扉を開けた。
「あっ、ゼシカ」
「ようこそ、ゼシカさん」
エイトがあからさまに動転している横で、ミーティア姫さま(結婚なさったから称号が変わっている筈なんだけど姫さまは姫さまだ)おっとりとした笑みで私を迎える。
「ごめんね、急に来て。だけどもう頭きちゃって」
そう、ここに来たのには理由があった筈。それをあんなメイドの言葉で動揺して頭からすっぽ抜けてしまうなんて。
「もう少し早くいらっしゃったら、正餐をご一緒できたのに」
「ありがとう。でも私も食べてきたの。というか、その食事中にちょっとね」
ふっと気が緩み、思わず溜息混じりになってしまう。
「とりあえず、これでもどうぞ」
落ち着きを取り戻したらしいエイトが、慣れた手つきでココアを淹れてくれた。
「ありがとう。…これ、おいしいわ」
ココアにバニラを混ぜてあるのか香ばしい中に甘い香りが立ち上り、昂った気持ちを落ち着けてくれた。アルバート家は海運もやっているから他の国のものもたくさん食べる機会があったけど、ここまでいい品は口にしたことがない。
「よろしかったらお泊りになりませんか?」
「嬉しいけど、気になさらないで。どこかで適当に宿取ろうかって考えてるから」
「そう?でも今時分からだと結構難しいよ。特に女一人だし。
ここだと今日運よく客間の掃除日だった筈だから、すぐ使えると思うけど?」
「そうね…じゃあ」
二人に押し切られ、泊まることになってしまった。宿を取る手間が省けたと思えばいいんだけど、二人とも押しが強いわ。特に姫様。優しそうな顔している分、余計そう感じる。
「よく分かったわね、今日どこか外に泊まるつもりだったってこと」
「だって正餐の後にお出かけしたらとても遅くなってしまうでしょう」
「で、今日は何で喧嘩したの?」
にやにや顔でエイトが訊いてきた。うっ、ばれてる。
「…母さんと。今後のことで」
一度話し出すとすらすらと言葉が出てきた。
「二言目には『アルバート家の名を汚さぬような結婚を』なのよ。いい加減聞き飽きたわ」
二人とも黙って聞いているのをいいことに、どんどん日頃の鬱憤をぶちまける。
「私だってアルバート家のことは大切に思っている。兄さんがいなくなってしまった今、私が守り立てていかなくちゃならないことも。だけどどうしてそれが結婚につながるのよ」
本当は母さんの言っていることは分からなくもなかった。でも何か引っかかるものがあって、その言葉を素直に受け入れさせてくれない。
「何だ。またお見合い話持ち込まれたんだ」
エイトのにやにや笑いって本当に腹立つわ。
「懲りてくれないのよね。今日なんて五十も上のじじ…いえ、お年寄りよ」
そう言って某伯爵家の当主の名を挙げた。かなりの資産家で、老い先短いだろうからということも考えた上での話らしい。そりゃお金が大事なことは分かっている。アルバート家の事業の発展には有利に働くだろうことも。
「お金は大事だけどね…考えなくちゃならないこと、いっぱいあるのに」
アルバート家の次の当主として考えていかなければならないことはものすごく多くて、その責任の重さに思わずはあ、と溜息が漏れた。
「ゼシカさん」
今まで黙って聞いていた姫様が口を開いた。
「その答え、ゼシカさんの中ではもう出ているのではないのかしら」
「えっ」
「でもお忙しい毎日を送っていらしては心の奥を探ることもできないでしょう。ゼシカさんが望む限りトロデーンにいらっしゃって考えてみては?」
「はあ…」
何で知ったようなことを仰るのかしら。私はただ、兄さんの遺志を継いで…
兄さんの遺志?それは…
今ここで考え込む訳にはいかない。
「話は全然変わるんだけど、ククールの隠し子がいるんですって?」
頭を切り替えようとさっきの話を持ち出したんだけど、やたら刺々しい感じになったような気がする。
「あ、ああ。うん、そうなんだ。正確にはククールが何の説明もなしで子供を置いていったっていうのが本当なんだけど」
苦々しげな口調でエイトがその辺の事情を説明してくれた。
「で、たらい回しにするのはかわいそうだからここでこうして預かっているんだよ」
「エイトってほんとお人よしだわ」
一連の話を聞いて、ちょっと呆れてしまった。
「そのまま逃げられたらどうするの、子供押し付けられて」
「その時はその時だよ。僕とミーティアとで最後まで後見してやろうと思ってる」
何か思うような口調でエイトは答えた。が、その直後、
「でもその前に必ず見つけてふん縛ってやるけどね」
…メタルキングを見つけた時の顔だわ。闘志満々のアレ。
「そうそう、そのことで考えていることがあるの」
と姫様が話に入ってきた。
「何?」
「エイトにも聞いてほしいの。ほら、さっきのこと」
「ああ、さっきの話ね」
「ええ。
あのね、孤児院を作りたいの。でも、今まであるようなただ子供を集めて衣食住を与えるだけではなくて、もっとちゃんとした教育を受けて世を渡って行けるようにする所を。最初は読み書き算術礼儀作法を身に付けさせようと思っていたのだけれど、もう少し踏み込んだことを考えてみてもいいかしら、って」
「ふーん、いいんじゃないかしら?」
王族が慈善事業を行うのはよくある話だし、別にここで話すことでもないんじゃないのかしら。ふと隣を見ると、エイトが何か分かったような顔をして頷いている。
「そこでゼシカ・アルバート殿、折り入って相談が」
「は、はい」
姫様が突然改まった口調になり、慌てて居住いを正した。
「アルバート家におかれましてはなおご繁栄のこと、まことに喜ばしい」
「きょっ、恐悦至極に存じます」
あれっ、答え方ってこれでよかったのかしら。
「そこでトロデーン王家として貴家に提案いたしたきことがございます。
トロデーン王家として計画中の孤児院の運営に共に携わり、その教育課程においてご助力願いたく存じます」
「…それって、孤児院作るから金を出せってこと?」
姫様の言葉をじっくり考えた後、まずはその点を単刀直入に訊いた。
「いいえ、そうではないの」
元の口調に戻って姫様が答えた。
「お金は大切だわ。出していただけるのなら大変嬉しい。でもそうではなくて、子供たちの教育に関わっていただきたいの。例えば…世間に出た子供がすぐに奉公なり船員として働けるように」
「…なるほどね」
何となく話が見えてきた。言葉は悪いけど、先に唾つけておいて教育して院を出たらすぐ雇うってことよね。
「アルバート家として即答はできかねますが、よく話し合って…あっ!」
ということは家に帰らなくちゃならない。
「いいのよ。すごく急いでいる話ではないから。ゼシカさんがリーザスに戻りたくなって、それからでいいの。だって、他にも相談しなければならない人がたくさんいるのですもの。グラッドさんとか」
「グラッドさん…そっか」
私は姫様がさりげなく開いてみせた札を見逃さなかった。薬草作りの名人、グラッドさん。孤児院で栽培するにしろ、直接オークニスから輸入するにしろ、その品物を運ぶのは誰?もしアルバート家が請け負うことができるのならばその利益は大きい。資産を目的とした政略結婚なんて考えなくてもいいくらいに。
「私一人で考えていい問題じゃないし、よく話し合ってから返事するわ。それでいい?」
「ええ。前例のないことになると思うので、じっくり考えていただきたいわ」
それにしても交渉上手いわ。お姫様とはいえ、トロデーンのお世継ぎとしての立場であることをこういう時実感する。兄さんが跡を継ぐものだとばかり思ってそういったことを学ばないできてしまったから、余計に。
「頑張ろっと」
自分に向けた言葉だったけど、それを聞きとめたエイトがにやっと笑った。
「これに付いて行かなきゃならないんだよ。何か願い事があるとああやって説得してくるんだ。いつも負けちゃうんだ」
「まあ、ひどいわ」
二人とも笑ってる。本当はエイト、姫様に「負ける」のが楽しくて仕方ないんじゃないかしら。


その後は三人で他愛のない話をしてさてお開きとなって客用寝室に下がろうとした時、姫様に引き止められた。
「ゼシカさん、差し出がましいと思っていらっしゃるかもしれないけれど」
「何?」
「自分が本当に望んでいることが分からないって、よくあることよ。自分に素直になれないことも」
「え?ええ」
内心首を捻った。今日の姫様は本当に分かり難い。
おやすみの挨拶をしながら、もう既に上の空だった。
私の望むこと……兄さん…隠し子…母さん…アルバート家…リーザス…仲間…船員たち…クク…ちょっと待った!あいつのことは関係ない。もう一度最初から。兄さんの遺志…私の思うとおりに…私の思うこと…それは何?ああもう一晩中考えることになるのかしら。
今夜もまた、眠れそうにない。

            ※              ※              ※

子供が来て半月ばかりになるけど、知れば知る程謎が増えているような気がする。
ククールの隠し子というのはともかく、色んな手掛かりはあの子がいい家の出であることを示している。訛りのない言葉遣い、風呂を嫌わない(貧しい出の兵は風呂嫌いであることが非常に多い)、親がゴルドの神殿内に入れる立場にある、等等。でももしいい家の出なのだとしたら、あの子の親族は何をしているんだろう。母親がゴルドで亡くなったとして、その実家はなぜ子供を捜そうとしないのか。ククールが間男だとしたらあの子のいう「きれいなおうち」を維持するのは母親の方だ。維持にはそれなりの財が要る。そんな資産がある家なら親類なんてぞろぞろいそうなものなんだけど。
「おはよう、エイト」
「おはよう」
色々考えながら朝食の場に行くと、もう二人とも先に来ていた。
「おはよう、ミーティア。今日もきれいだね」
「まあ。エイトもすてきよ」
ちょっと離れていただけなのに、簡素なドレスにリボンで髪をまとめただけのミーティアははっとする程新鮮で美しく見えるのはいつものこと。それに対してちょっと心配なのがゼシカで、心なしか沈んで見える。
「おはよう、ゼシカ。よく眠れた?」
「ああ、うん。ちょっと考え事してたら夜更かしになっちゃって」
「そう?あんまり根詰めすぎないでね」
「ありがと。でも大したことじゃないから」
…ぴしゃりと言い切られてしまった。こんな時は何を言っても無駄だ。
「ところで今日だけど」
と言いかけたところで扉がばたんと開いた。
「おはようごじゃいまちゅ!」
ほとほと手を焼いている、という顔のメイドを従えて例の子供が駆け込んでくる。が、彼女にとって見知らぬゼシカの姿を見とめ、立ち止まった。
「あら、その子が?
おはよう」
ゼシカがその子に話しかけた途端、子供はひしと僕の膝に縋り付いてきた。
「どうしたの?この方はお客様で、僕たちの大事な友達のゼシカ・アルバートさんだよ。ご挨拶なさい」
こんな時、ちょっとだけ父親の気分になる。この先どうなるかは分からないけど、こんな感じなんだろうか。
が、そんな感慨に浸ることはできなかった。子供はきっとゼシカを見据えて、
「パパは〜ちゃんとママのものなの!きょ、きょぬ、きょにゅーなだけのおんなになんてまけないんだから!」
と言い放ったんだ。
「こらっ、そんな失礼なこと言っちゃ駄目だろ!」
慌てて謝らせようとしたけど、聞いちゃくれない。
「だってそうだもん!いつもママいってたもん!パパはきょにゅーのおんなにめろめろだって」
めろめろ…ククールならそうかもな…いやいや、ここは自分が悪かったってことを分からせないと。
「知らない、ずっと年上の人にそんなことを言っては駄目だ。大体、ゼシカのこと知ってたの?」
「…ちらない」
子供は渋々認めた。
「人違いだったらどうするの?全然関係のない、何も悪くない人に失礼なことされたら君も怒るだろ」
「…うん」
「さ、謝りなさい」
「ごめんなちゃい」
「僕じゃなくて、ゼシカさんに」
途端にふくれっ面になったけど、さらに促すと漸くゼシカに向かって頭を下げた。
「…ごめんなちゃい」
ゼシかもそれに対して素っ気無く頷く。
「こちらにいらっしゃい」
とミーティアが子供を呼び寄せ、やっと朝食となった。
「ああそうだ。ゼシカ、ここにいる間だけでいいんだけど」
熱々のオムレツにナイフを入れながら話しかける。ふわりと湯気が立ち上り、チーズが蕩け出た。
「攻撃呪文について習いたいっていう兵が何人かいるんだ。もしよかったら彼らに教えてもらえないかな」
「あら、いいわよ」
ちょっと目が腫れぼったく見えるのは寝不足なのかな。あんまり追求すると怒り出すから聞けないけど。
「ゼシカさん、もしよろしければ今日のお昼は外でいただきませんか?風もなくて暖かそうですし」
「それ、いいわね。そうしたいわ」
女の子二人楽しそうだ。僕は仲間はずれかい。
「…じゃあ、近衛に通達だすよ」
「あら、必要ないわ。だって、近衛隊長自ら警護なさる予定ですもの」
「それは心強いわ」
「最初から三人で行きたいって言ってよ」
やれやれ。いつもこんな感じで振り回されている。でもそれでいいんだ。今回はゼシカもいるし、竜神王さま突然のご乱心で襲撃、っていうんでもなければ大丈夫だろう。
と、今まで黙って目の前のスープと格闘していた子供が、もの言いたげにこちらを見ていることに気付いた。
「どうしたの」
「あのね、じゅ、じゅもおちえて」
「じゃあゼシカさんにお願いしなさい。呪文を教えてください、って」
「…」
うっと言葉に詰まったようだったけど、最終的には頭を下げた。
「じゅも、おちえてくだちゃい。パパがだんろにしゅぱっとひをつけるみたいなの」
思わず腰が浮いた。
「パパは呪文が使えるの?火を点けるのね?」
さりげない顔でミーティアが確認する。その問いに子供は誇らしげに大きく頷いた。
「うん!とーってもしゅごいの!」
僕たち三人の視線が子供の上で交錯する。ククールの子じゃない!奴は炎系の呪文は全く使えなかった筈だ。
「…ともかく、私も一言言ってやりたいから事が結着するまではここに居させてもらっていいかしら」
底冷えのする声でゼシカが言った。うっ、怖い。
「ええ、よろしくてよ」
気付いているのかいないのか、ミーティアが長閑に答える。
「あっ、そうそう。エイト、午後はワルツの特訓よ。忘れないでね」
「…はい」
…忘れていてくれたらよかったのに。
「へえ、踊りの練習なんてあるのね」
「ええ、年末に大舞踏会があるの。ゼシカさんも是非いらして」
「素敵。嬉しいわ」
内心凹み気味の僕などお構いなしに、二人とも楽しそうだ。ダンスごときに苦戦している僕が馬鹿らしく思えてくる。
「そうすると今日の午前中は僕は兵の訓練、ミーティアは謁見、ゼシカはその子に呪文を教える。で、午後は僕とミーティアがワルツの特訓でゼシカは希望者に呪文を教える。こんな予定でいいかな」
「ええ、いいわ」
「ええ、それでいいわ。何もしないのも気が引けるし」
朝食の席で一日の予定を確認するのは旅していた頃からの習慣だ。
「おねがいちまちゅ」
子供がゼシカに向かってお辞儀している。ゼシカもまた、
「頑張りましょうね」
なんて優しく応えてやっている。
色々あるけどそれなりに平穏な一日が始まる。そんな筈だった。


                                  続く→

2010.1.25 初出 






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