明日への標




1.



何だか騒がしい夢を見たような気がした。
「エイト様はまだお休みです!」
「分かってるさ。でも急用なんだ。頼むから通してくれ」
とか、意識の向こうで何か叫んでいるようにも聞こえたんだけど、とにかく眠かったし夢だということにして眠り続けていたんだ。
「そのようなご無体は!」
「だから本当に急いでいるんだ。後でエイトには謝っておくから」
「そんな」
やけにはっきりした夢だなあと思っていたら、バタンと音がしてひんやりした空気が顔に触れた。
「すまん、エイト」
ちぇっ、ククールか。どうせならミーティアだったらいいのに。
「何?どうしたの?」
と返事したつもりだったけど、後で聞いた話ではどうも「ふにゃふにゃ」としか言えてなかったらしい。
僕のそんな様子は気にも留めず、
「すまん、ちょっとでいいから預かっていてくれ。責任がない訳じゃないんだ」
と訳の分からないことを言って何かを寝台の中に押し込んできた。
「責任…?うん…?何だっけ…」
押し込まれたその何かはほんわりと温かく、柔らかい。
「訳は後で話す。じゃあな」
「ああ、うん…じゃあね…」
何だろう、湯たんぽか何かかな。最近寒いし、何て都合のいい夢だ。
「ああっ、ククール様!そんな、窓からお帰りになるなどまるで夜盗ではございませんか!」
「いいんだ。これが一番手っ取り早いんだよ。ルーラ!」
さらにひやっとした風が顔を撫で、またどこかで言い争う声がした。全く騒々しい夢だ。
そしてまた、静かになった。

            ※              ※              ※

はずだった。
ふと、異様な気配を感じて眼が覚めた。
「エイト様、お目覚めですか」
眠い眼を擦って見回すと、僕付きの侍官やらメイドやらがぐるっと寝台を囲んでいる。
「お、おはよう…どうしたの」
「お目覚めのところ恐れ入りますが」
ずいっとメイド頭が進み出る。身体を起こしかけていた僕は反射的に身を引いた。
「こちらのお子様についてご説明願いたく存じます」
一瞬で目が覚めた。
「えっ、こ、子供?」
夢の中で押し込まれた温かくて柔らかい物は小さな人の形をしている。大きさから言って三つか四つくらいの子供のものだ。
「ええっ、何だこれ!何でこんなところに子供が」
うろたえる僕に対し素っ気無いまでの口調でメイド頭が答える。
「今朝方ククール様がお預けになったと伺っております」
傍らの侍官─昨夜の当直だ─が僕にガウンを差し出しながら深く頷く。
「ですが、そのようなことは今は問題ではございません。
正直にお答えください」
メイド頭のおっかない顔が目の前に迫る。
「は、はい」
「こちらのお子様は、エイト様のお子様でいらっしゃいますね」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。大体、どうしてそんな結論になるんだ?
「ククール様は『責任がある』と仰ったと伺っております。ということはどこぞでこしらえた隠し子ということでございましょう」
隠し子─!そんな、どうしてそんなことになってるんだ。僕は誤解を解くべく必死に反論した。
「そんな、違うって。大体身に覚えがないよ」
「浮気がばれた殿方というものは、大抵そう言うものだと決まっております」
「だから本当に違うんだ。信じてよ」
みんな一斉に疑わしげな顔をした。
「ああそう」
これには僕もむっときてしまった。
「そんな風に見てたんだ、僕のこと」
ぷいと顔を背けてやると、周りの人たちは口々にしゃべりだした。
「それは…その」
「分かってはおりますが、その」
「まあその…姫様とそれはもう仲睦まじくいらっしゃることは存じておりますが」
「ですがその…もののはずみというものもございます故」
「近衛兵でいらっしゃった頃にちょっとばかり羽目を外されたことなど」
「ないよ!」
いつまでも続きそうだったのでぴしゃりと言ってやった。
「近衛の連中に訊いてみたらいいだろ。何だったら典医殿にでもいい。『ちゃんと婚姻を遂行できるか不安だった』って言われたんだから!」
ああもう、どうしてこんな恥ずかしいこと朝っぱらから言わなきゃならないんだ。
それもこれもここでのんびり寝ているこの子供のせいだ。そう思って勢いよく掛布を剥いでやった。
「う…ん…むにゃ…パパ…」
中から現れたのは小さな女の子だった。ごく淡い白金に近いような金髪の巻き毛をしている。
「これは…金髪ではありませんか」
「エイト様は黒っぽい髪ですし…」
「どうやらエイト様の仰ることは本当のことのようですな」
「だから最初から本当のことしか言ってないってば。大体、何で金髪だと僕の子じゃないんだよ」
どうやら疑いは晴れたっぽいんだけど、その理由があんな恥ずかしいことを言わされたことじゃなくて実際に見た子供だということに納得がいかない。
「金髪は二親揃って金髪でないと生まれないものでございます。ましてこのように淡い金髪では」
やや年配のメイド─もうすぐ最初の孫が生まれるって言ってたな─が説明してくれた。
「ふーん…」
そうなんだ。じゃ、ミーティア似の金髪の子供はできないんだな。ちょっと残念。
「で、この子なんだけど」
差し当たっての問題であるこの子供の正体について水を向けた。
「どなた様のお子様なのやら…」
「そしてどうしてククール様がこちらに連れてきたのかも」
さっきから心に浮かんでいる僕なりの推理を口にする。
「…ククールの子なんじゃない?」
言った途端、皆腑に落ちた顔になった。
「それは確かに」
「あり得る話ですね」
「髪の色も似ておりますし」
「いやいやもしかしたら将来を見越して、自分の手元で自分好みに育てようという魂胆やも」
「魂胆って。そこまで外道じゃないだろ」
あまりの言われっぷりに苦笑してしまった。
「とにかく、この子が起きたら話を聞いてみよう。…あ」
子供が眼を覚ましたようだ。
「起きたかい?」
メイド頭がさっきとは打って変わって優しい声を掛けてやる。と、子供はびっくりしたように眼を開いた。
「ここ…どこ?」
「びっくりさせてしまったかい?ここはトロデーン城だよ」
呆然としたように眼を見開き(これまたククールそっくりの青い眼だった)、ふと不安げな顔になった。
「パパ?」
子供には罪はないのだし、いきなり見知らぬ人々に囲まれていたらやっぱり怖いだろう。その気持ちは分かるような気がしたので僕も優しく話しかけてやる。
「パパって、銀髪の青い眼をした赤い服の人のことかな?」
僕の問いに子供は脅えたように頷いた。
「パパは?パパどこ?」
余程ククールに懐いて頼っていたようだ。今にも泣き出しそうな子供の上で全員が一斉に視線を交わし、頷きあう。
「お嬢ちゃんのパパはね、」
とメイド頭が優しく語りかけた。
「ちょっとだけお出かけなんだよ。それでお友だちのいるこのトロデーンに連れてきたの。すぐ戻るよ」
「…うん」
メイド頭の言葉が効を奏したのか、子供は泣き出すことなく(それでもちょっと涙目だったけど)納得したかのように頷いた。
「うーんと…それじゃ」
このままという訳には行かない。着替えさせて朝ごはんにしないと。が、どうもククールはこの子身一つで置いていったみたいで、何もない。
「忙しいところ悪いんだけど、この子に合う服、出してもらえないかな。それから朝ごはんを」
「かしこまりました」
「さ、こちらにいらっしゃい。そのままでは寒いでしょ?着替えしましょうね」
子供好きと思われるメイドたちがいそいそと子供を連れていった。
「ところで」
ふと思い当ることがあり、試しに聞いてみることにした。
「このこと、ミーティアには話してないよね。何て説明しよう」
「あっ」
メイド頭が真っ青になった。
「申し上げたんでございますよ。『エイト様の隠し子が現れた』って。そこの侍官が詰め所で他の兵たちに話しているのを私が聞いて、それでこちらに伺ったんでございます」
「ええっ、何だそれ!」

            ※              ※              ※

「まったくもう…」
朝からのどたばたで、僕はすっかりげっそりしていた。そしてそのげっそりの原因である子供は、僕たちの側の毛足の長い敷物に座り込んでミーティアが出してやったままごとの道具で遊んでいる。
「お疲れさま、エイト。はい、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
どんなに疲れていてもミーティアの顔を見ると元気が戻ってくるよ。ミーティア自身が淹れてくれたお茶付きだとさらに。
「それにしてもどうしたらいいのかな…」
兵や使用人たちの間に広がってしまった噂を打ち消したり(ククール父親説は非常に説得力のあるものだったらしい。あっさり僕への疑いは消えた)、トロデ義父上に事情を話しに行き(これまたククール父親説を出したところ、納得された)、最後にミーティアのところへ説明しに行った。
ミーティアは今までの経緯から考えていたよりもあっさり僕を信じてくれたけど、どうも隠し子というものがよく分かっていなかったらしい。
「子供を隠すなんてよくないわ。隠したまま見つけてもらえなかったらどんなに寂しいでしょう」
なんて最初言ってたし。
そこから話が始まって、今度は「結婚していないククールにどうして子供がいるのか」が納得してもらえず、ミーティア付きのメイドもいる前で説明する羽目になってしまった。何だかもう、朝から何かの罰を受けているような気がしてならない。
「色々予定が狂っちゃって、次何をしたらいいのか迷うから疲れるんだよね。ちゃんと予定が決まっていて、朝から晩まで仕事の方がまだ疲れないような気がする」
そう言うと、ミーティアは労わるような笑みをちらりとこちらに向けて葡萄の房を取り分けてくれた。
「そうね、確かに。でも本当だったらこうしてお茶を一緒できなかったでしょう」
「そうだね」
本来は一日丸ごと使って野外行軍演習の予定だった。もちろん昼食は自炊。近衛の兵は基本的にいい家の出なのでそういったことをしたことのない者が多い。なので週一回は必ずやるように決まっているんだ。
「まあいいか。みんな大分慣れてきたし、今度は敢えて天気の悪い時を狙ってやってみようかな」
「まあ、鬼の隊長さんね」
旅をしていて分かったんだけど、雨の日に火を熾すのはものすごく難しい。厨房にいた時は立派な竈があったし、軍に入ってからの演習でも晴れた日にしか行わなかったものだから、旅に出て最初の頃は全然上手く行かなかったんだ。そういったことはヤンガスがものすごく上手くて、どこかからか手際よく乾いた焚き付けと薪を見つけてきてくれて、本当に助かったっけ。今でもすごく感謝してる。
「で、さ」
思い出に浸りそうだったので、意識を今直面する問題に向ける。
「余りあちこち動かさない方がいいと思うんだ。行き違いになるとよくないし」
当の子供もここにいるので言葉を選びながら切り出す。事情を話したら、
「ここに連れてきて」
とミーティアが言ってくれたので子供はひとまず僕の目の届くところにいるんだ。
「そうね。それに『預かって』と言ったのでしょう?戻ってくるつもりではないかしら」
ミーティアもやや改まった顔になった。
「確かにそうだね」
あの時僕は寝ぼけていたけど、当直の侍官が会話を全部聞いている。彼のおかげで事の全容が分かった(余計な推察を入れてくれておまけにあちこちでしゃべってくれたけど)んだ。
「もしミーティアが嫌じゃなかったら、しばらくここにいてもらおうかと考えているんだけど」
「ええ、構わないわ」
ミーティアはそう言ってくれてありがたかったんだけど、本当のことを言うと実は余りおもしろくない。せっかくの二人きりの時間だというのに、子供が僕の側を離れようとしないので連れ歩かざるを得ない。で、ここに連れて来たら来たでミーティアを見るなり、
「ほんもののおひめさま!」
と言って今度はミーティアにべったりになってしまった。ミーティアもミーティアで、古いままごとの道具を出してやったり葡萄の皮を剥いてやったりしていて、僕だけ置いてきぼりのような気がしてならない。ほら、また葡萄を剥いている。
「エイト」
「な…むぐ」
ミーティアの呼びかけに振り向きざま、きれいに剥かれた葡萄の一粒を口に押し込まれた。甘い果汁が口の中に広がる。
「…おいしい」
「もう、やきもちやきさんね。そんなに拗ねた顔していてはだめよ」
ちょん、と鼻の先を突かれてしまった。
「そんな顔してた?」
いや、言われてみればそうかも。確かに「おもしろくない」って思っていたんだし。
「…そっか。そうだったかも。ごめん」
謝りながら、果汁で赤く染まったミーティアの指先を拭いてやる。二人きりだったらもっと色々できたのに!という考えはひとまず置いといて、で。
「ククールを探し出して、それから、だね」
そう。話はそこからだ。子供には罪はないけど、奴にはきっちり対価を支払ってもらわないとね。


                                  続く→

2009.12.13 初出 






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