道の交わるところ1





道の交わるところ





1.

「お父様!」
雨に降られたり子供を拾ったりで困難な道中になり、漸く自分の城に帰り着いて旅装を解いていると、ミーティア姫が部屋に駆け込んできた。
親子とはいえ普通ならば先触れを出し、お付きの者を従えてしずしずと部屋を訪問するものなのだが、余程不安だったらしい。一人で部屋に入ってくるなり王に抱きついた。
「おお、姫や。会いたかったぞ」
姫の子供らしい仕草に目を潤ませながらも、王も抱き返す。
「お父様、ミーティアはとっても心配だったの。中々帰っていらっしゃらないから、もしかしたら魔物に遭われているんじゃないか、馬車が壊れてしまったんじゃないかって」
「それは心配させてすまなかったの」
姫の父王を案じる言葉が嬉しく、頭を撫でてやる。
「じゃが魔物ぐらいどうということはないぞ。近衛兵もおるし、いざとなったらこのワシが蹴散らしてくれる」
「ええ、…」
俯くミーティア姫の心細さを拭い去るかのように一層強く抱いてやった。
「姫が立派にお留守番してくれたおかげでワシも気持ちよく帰ってこられた。感謝しておるぞ」
「ありがとう、お父様」
そこへ熱いお茶が運ばれてきて、遅い午後のお茶となった。親子二人で会えなかった分の積もる話をしていると、ふと思い出したかのようにミーティア姫が口を開いた。
「あのね、お父様」
「何じゃ?」
「おとうさまがお出かけになられる前の晩、ミーティアはわがまま言ったでしょ?」
何やらもじもじとしたかと思うと、そんなことを言う。
「はて、わがままなんぞ言ったかの?」
「言ったわ。『お兄様かお姉様が欲しい』って」
「おお、そんなことも言ったかのう」
首を傾げて思い出すふりをしたが、実は忘れてはいなかった。この短い旅の間、姫のあの言葉は心にずっと引っ掛かっていたのである。
「ごめんなさい」
と姫は頭を下げた。
「いいんじゃよ。気にせんでも。もともとワシが『何でもよい』と言ったんじゃし」
そう気軽な風に言って自分の皿から姫の皿へ苺を載せてやるのだった。
トロデ王はふと、先程拾った少年を思い出した。その子の顔と亡くした我が子の顔が重なる。生きておれば姫の良き兄になったであろう、王子を。
(我が妃も、我が子も、生きておれば…)
乳幼児の死亡率は高く、たくさん子供が生まれてもその半分は病気で亡くなると覚悟しなければならない。だが分かっていても親の情として納得できようか。
(せめて同じ年頃の友人でもおれば…)
それでも先程拾った少年を姫の友に、とは考えつかななかった。それはトロデ王が冷たいからではない。暗殺等の可能性を考えれば、身の周りに身分賤しく素性の知れない者を置く訳にはいかないのである。ミーティア姫とて同じこと。むしろトロデーンの王位継承者として尚更身辺に気を付けねばならないのだ。王位算奪は歴史に幾度も繰り返されている。その可能性は少しでも減らさねば、とトロデ王は王として考えていた。
それでも人としての情はある。行き倒れていた少年の容態が気になっていた。
(できるだけのことはしてやりたいものじゃのう。命あっての物種なのじゃし)
愛おしい姫の顔を見るにつけ、王は強く思うのであった。

           ※          ※          ※

助け出された男の子は余程弱っていたのだろう、城に運び込まれてからずっと、熱に浮かされ続けていた。王宮付きの神父や子供を育てたことのあるメイドなどが代わる代わる看ていたが、容態は捗々しくない。夢現の状態で白湯を口にし、細々とした世話をしてもらう、ただそれだけだった。
「このままでは身体が持ちませんぞ」
拾われてから三日目の日も暮れ、下がる気配を見せない熱に神父は不安そうに言った。
「そうか…」
相槌を打つのはトロデ王の近従、丁度王がエイトを拾った時に馬車に同乗していた者である。
「王様も気に掛けておいででな。今日も『あの者の様子はどうじゃ』とご下問になられた」
「珍しいですなあ、王様が斯様な下々の者にお目を掛けられるとは」
近従の言葉に神父は珍しそうに応えた。
「私も立場上、王様を差し置いて『助けてやれ』とは言い難いじゃないか。なのに薄情者扱いだ。『放っておけ』と言ったばかりに」
苦笑混じりの愚痴に神父は一つ、近従の肩を叩いた。
「これも宮仕えの気苦労の一つですな」
「ああ」
二人で顔を見合わせ、にやりとする。
「それにしてもこんな子供を気になさるとは…」
笑いを収め、神父は眠り続ける少年に目を遣った。
「近くで見ていたんだが、どうもこの子が王様に向かって『お父さん』と言ったらしいのだ」
「ほう」
「もしかしたらその時に亡くなられた御子を思い出されたのかもしれん。ご健在であられたらこのように成長遊ばされたこともあったかも知れん、とな」
ちょっとしんみりとした口調の近従に神父は頷いた。
「あの時程自分の不甲斐無さを実感したことはございません。健やかにお育ちでございましたのに、麻疹に伴う髄膜炎であっという間で」
「故王妃様もあれさえなければ今もご健在であらせられただろうに」
「全くです」
二人で傍らの少年を眺め遣った。エイトは顔を紅潮させ、苦し気な息遣いをしている。
「元気になって欲しいものだ」
「本当に…少しはお気が晴れるでしょう」

           ※          ※          ※

次の朝、白湯を運んできたおばさん─メイド長は、寝床の中の少年の目が開いていることに気付いた。
「気が付いたかい?」
近付いて床の中を覗き込むと子供の大きな眼がこちらを見返す。
「はい」
だがしかし、少年の眼からは何の感情も窺えない。視線も逸らされた。
「気分はどう?もう三日も眠り込んでいたもんだから、心配していたんだよ」
少年の様子には頓着せず、おばさんは矢継ぎ早に問いかける。
「はい。…あの、もう大丈夫です」
そう答えてエイトは身体を起こした。が、その途端視界がぐるりと回る。
「ああ、無理しちゃ駄目だよ。あんたは三日間、何も食べていなかったんだから。そこでじっとしておいで」
けれどもエイトは忠告も聞かず、そろそろと立ち上がってゆっくりと火の側にある椅子に移動した。
「…まあ、動けるのなら動いた方がいいけど。じゃあそこにおいで。今飲み物をあげるからね」
おばさんは少年の眉の間にある厳しい雰囲気に気付いたが、まずは口にするものを、と白湯の入ったマグカップを渡した。
「ありがとうございます」
少年はやや堅苦しく礼を述べた。そしてカップを口に運ぶ。それはただの白湯だったにも関わらず、とても美味しく甘いもののようにエイトには感じられた。
「美味しいかい?」
おばさんの問いかけにエイトは深く頷いた。
「そうかい、それはよかった。じゃあ神父様をお呼びしてくるから、それを飲んで待っておいで」
さらにお湯を注ぎ足してくれるとおばさんはせかせかと部屋を出て行った。



誰もいなくなったので、エイトはじっくりと自分が今居る場所を眺め回した。先日─随分前のことのように思えたが─助けられて目を覚ました場所とは感じが違う。床には目の粗い敷物が敷かれ、石造りの壁にはどこかの風景画が掛かっていた。高いところに窓があって、そこから穏やかな日射しが射し込んでいる。エイトが寝ていた寝床の他にも同じような床がいくつもあったが、皆空だった。この時エイトは知らなかったが、簡素だが中々気持ちのよいこの部屋はトロデーン城の傷病者用病室だった。今はたまたま病気の者も、怪我人もいなかったのでエイトが専有しているような状態だったのである。
窓の外で鳴き交わす鳥の声を聞くともなしに聞いているエイトの顔は曇っていた。どんなに気持ちのよい場所であっても、居るべき場所ではない。自分の記憶がないと知った時の大人たちの顔を何度も見てきた。疎まし気な、困惑した視線を投げかけられたことを思い出すと、身が竦む。ここもそうなるに違い無い。追い立てられるのか、それとも自分からなのか、いずれにせよここから出ていかなければならないだろう。そう思うと図らずも重い溜息が洩れた。
(僕は誰なんだろう。どこに行けばいいんだろう)
ふと、足に何かふかふかしたものが触れた。トーポだった。エイトのたった一人の─動物だったが─友達。そっと掌に掬い上げ撫でてやる。
「トーポ…これからどうすればいいのかな…」





                                 2へ→

2005.1.25 初出 2006.9.9 改定









トップへ  目次へ