二人の冒険5





5.


廊下はどこまでも続くかに思われました。でも急に折れ曲がり、扉─これも下部に穴が開いていました─を開けた途端、冷たい風と波の音が二人の顔を撫でていきます。真っ暗な通路の向こうに星明かりが見えて廊下の終わりを告げていました。エイトの背中から滑り降り、顔の覆いを取りながらミーティア姫が辺りを見回します。
「まあ、こんなところがあったなんて」
そこは断崖の中腹に開けた正に猫の額ほどの狭い空間でした。けれどもどこからか水を得ているのか野の花がたくさん咲いています。
「あっ!」
その中央にさっきから追い求めていたネズミがでんと座っていました。でもその大きさたるやウサギぐらいはありそうです。
「おい」
「わっ、しゃべった!」
「ど、どうしましょう。夢じゃないわよね」
二人で顔を見合わせ、怖ず怖ずとながらまず話し掛けたのはミーティア姫でした。
「あなたはだあれ?ここで何しているの?」
「ふっふっふっ」
姫の問いに大ネズミは不敵に笑いました。
「聞いて驚くな、泣く子も黙る大怪盗、怪傑大ネズミたあ、あっしのことよ!」
「…知ってる?」
「…知らないわ」
大ネズミは大見得を切りましたが反応は今一つだったようです。
「ぐ、ぐふっ」
二人の反応の薄さに大ネズミは深く深く落ち込んでしまいました。
「あ、ごめんね、大ネズミのおじさん」
「おじ…せめて怪傑大ネズミと呼んでくれ、子供たちよ」
「う、うん」
「わ、分かったわ。それでおじ…怪傑大ネズミさんはここで何しているの?」
ミーティア姫に問いかけられ大ネズミは急にヒゲをだらりと下げました。
「見ての通りあっしは旅の途中で」
(そうだったの?)
(そうだったんだ)
「一夜の宿としてこの場所を見つけたはいいが」
(よくここを見つけたわよね)
(うん、だってここ上からも下からもすごい崖だよ)
子供たちのひそひそ話は気にも留めず大ネズミは受難の歴史を述べ続けます。
「うっかり拾い食いした魚の骨が喉に刺さって難儀していたところよ」
「まあかわいそう」
「それ、抜けないの?」
エイトが聞くと大ネズミは頷きました。よく見ると毛艶も悪くすっかり憔悴していて、ずいぶん長い間刺さってたようです。
「抜いてあげるよ」
隣でミーティア姫がはっと息を呑み、「エイト」と呟いた気配がしましたがお構い無しに近寄り、
「ちょっと見せて。痛くしたらごめんね」
と大きく口を開く大ネズミの喉を覗き込みました。
大ネズミはなすがままになっています。手燭の明かりだけでは見えないかな、と思ったのですが喉の横にぶらぶらとしている骨が見えました。
「あった!…ごめん、おえってなるかも。ちょっと我慢してね」
エイトは鋭い前歯を避け、口の横から指を入れて骨を軽く突いてみました。が、外れそうにありません。釣り針のように引っ掛かっているようです。
「じゃ、抜くよ…いち、にの、さん!」
「ふがっ」
気合一番、うまく引っこ抜けましたが今度は血がどんどん出てきました。
「大ネズミさん、これ使って。人間用だから効くかどうか分からないけれど」
ミーティア姫が思い付いたように小袋から薬草を取り出して大ネズミに渡します。
「ぶふぇっ!うええ、血ィ飲んじまった。でもありがとよ、お嬢ちゃん、お兄ちゃん。おかげで助かったぜ」
薬草を口に含んで飲み下すと傷はたちまち癒えました。
「こんな骨が刺さっていたんだね」
エイトの手に摘まれたその骨は本物の釣り針のように返しが付いていて、刺さったら簡単には抜けそうにありません。
「こんなのが刺さっていやがったのか…ちきしょうめっ!」
大ネズミは忌々し気にそう言うとエイトから骨を受け取り、ポーンと海へ放り投げました。
「それにしても助かったぜ。礼を言わせてもらう」
「ところで怪傑大ネズミさん、もしかしてお父様のクッキー食べたりしなかった?」
ミーティア姫がにこにこしつつも鋭く問い掛けます。その件をすっかり忘れていたエイトははっとしました。
「いや、その…そうでぃ、あっしが食っちまったんで」
「怪傑なのに?」
「普段はそんなしょぼいことはしねえ」
エイトの質問は大ネズミの誇りを刺激したようです。急に饒舌になりました。
「痩せても枯れてもあっしは怪盗、こっそりつまみ食いなんていうケチな真似はしねえ。だがよ、あの忌々しい骨のやつが喉に引っ掛かってからろくな物は食えねえし、集中力は無くなるしで仕方なく、ってやつさ」
「まあ、気の毒に。でもお父様はクッキーを食べたネズミを処刑しろっておっしゃっているのよ。おまけにエイトのネズミまで疑われて」
姫の言葉に大ネズミはしゅんとなりました。
「そいつは済まなかった。あっしはもう、この城では盗みはしねえ。
こいつはさっきのお礼の品だ。クッキーを食べた部屋の隅っこに落ちてたぜ」
そう言ってきらきらと輝く石の付いた指輪をエイトに渡すと、
「それじゃ、あばよ!」
と一声叫んで垂直に切り立つ崖を一気に駆け上がり、消えていったのでした。


「…すごいねえ」
「…すごかったわねえ」
呆然とその妙技に見蕩れていた二人の口からそんな言葉が同時に出て、顔を見合わせぷっと吹き出しました。
「こんなすてきな場所があったなんて。ミーティア、ここが大好き」
「うん、僕も」
もう夜明けのようです。空は白み始め、鳥たちの鳴き交わす声が聞こえてきました。
「戻ろう、ミーティア」
「ええ、エイト」
いつの間にかエイトは姫を「ミーティア」と呼んでいたようです。あまりに自然だったので、指摘するのも変に思えてミーティア姫は黙っていましたが内心とても嬉しく思っていました。 漸く本当の友達になれたのだ、と実感できたのですから。





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2005.11.18〜2005.11.24 初出 2006.8.26 改定









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