古城




1.



眠りから解き放たれた城の庭に、笑い声が響く。即席でありながらも豪華な料理を前に、麦酒を飲んでは開放された喜びを語り合う。貯蔵庫からお父様秘蔵の葡萄酒樽が運ばれ、皆に配られた。と、たちまち口々にエイトたちの勇気と武勲を褒め称えてグラスが掲げられる。私も嬉しくなって、隣のエイトとグラスを掲げ合う。その途端、エイトの眼が近衛兵のものに戻った。
旅は、終わった──


そう、旅は終わってしまった。
暗黒神は倒され、もう二度と復活したりしない。呪いは解け、人々は明日から始まる復興への大変な道程を知りつつも今日という日を喜んでいる。呪われる前と変わらぬ生活が戻ってくることを信じて、救ってくれた四人の勇者たちを称えている。私も、とても嬉しい。辛い旅──歩くことよりむしろ、目の前でヤンガスさんやゼシカさん、ククールさん、そしてエイトが傷付く姿を見ることの方が辛かった──が終わり、呪われた馬の姿から開放されてどんなに嬉しいか。でも…
でも、本当に元に戻れるのかしら。
旅をして、私は知ってしまった。自分がいかに狭い閉じた世界で生きてきたのかということ、その狭い世界から得られるささやかな知識だけで物事を見てきたということを。そして…チャゴス様のことと、自分の本当の想いを。
知らなければ、黙って嫁ぐことができたのかしら?国の要請に従って、両国のためにと結婚できたのかしら?きっとそんな覚悟もなくて、あちらに行ってから後悔と追想の中で暮らすことになったでしょう。それでも、チャゴス様のお人柄を先に知ることができたことで、前もって覚悟を決めることができるのだと思えばいいのかもしれない。
けれども、どうして気付いてしまったの。自分がどんなにエイトを慕っていたのかということに。何よりも大切な思い出として心にしまい込んで嫁ぐつもりだったのに、それすらできないなんて──
「ミーティア様」
振り返らずとも分かる。エイトの声だった。
「こちらにおいででございましたか。急にお姿が見えなくなったので、皆案じておりました」
ここは城の古い見張り場、エイトと二人で見付けた秘密の場所だった。何か思うことがある時はここに来ては海を眺めて思い耽ることがいつもの事だった。エイトもそれを知っていたのか、宴の席からそっと姿を消した私をすぐに探し出したのだろう。
「皆、とは誰の事でしょう」
エイトはもう、完全に近衛兵に戻っていた。そのことが異常に哀しく、苛立たしく、つい絡むようなことを言ってしまう。
「皆は…皆です。城の者誰もが姫様の笑顔を拝見し」
「ええ、そうね!」
ぱっと振り返ると、心の赴くままにエイトの言葉を遮って叫んでいた。
「そうね!ミーティアはただ、にっこりしていればいいのよね。難しいことは何も考えず、うっとりと微笑んでいれば誰もが満足するのでしょう。本当はどんな想いを抱えているかなんて誰も知りたくないでしょうから!」
言い終わった後も、私の唇は震えていた。声を荒げるというほとんど経験のないことを、それもエイトに対してしてしまったという事実に気付いたのは燃える様なエイトの視線とぶつかった後だった。
「…僕の役目は…」
エイトの声もまた、震える。
「姫様の笑顔をお守りすることです。姫様がお怒りになりたいのならば、どうぞお心のままにお振舞いになってください。ですが僕はその怒りの原因となったものを取り除かねばなりません。
御前、失礼いたします」
そう言って一礼し、踵を返した。
「待って」
それでもエイトは立ち止まらない。
「僕に対して怒っていらっしゃるのでしょう。ならばこの場を去るまでです」
滅多に怒らないエイトの背中から冷ややかな怒りが立ち上る。
「あんなことを言ってごめんなさい、エイト。あなたに言うことではなかったのに…許して」
肩が震え、足が止まった。それでもエイトは振り返らない。
「いいえ、姫様が悩んでいらっしゃるのに気付かなかった僕がいけなかったのです。どうぞお気になさいませんよう」
「行かないで!」
私は思わずエイトの背中に縋り付いていた。
「お願い、行かないで」
「…姫様、どうか」
長い沈黙の後、エイトが搾り出すように声を発した。
「人目もございます。どうかお慎みを」
「嫌です」
ここには誰もいない。それを知っているからこその行為だった。
「『心のままに振舞っていい』と言ったのはエイトでしょう。だから」
「駄目です」
いつにないきっぱりとした拒絶の言葉にはっと身を硬くすると、エイトの肩もぴくりと動いた。
「それはなりません。どうかお許しを。…ミーティア様」
一瞬自分の耳を疑った。エイトが、私の…名前を呼んだ?
「どうかこれ以上のことはお許しください。ミーティア様」
名前を呼ばれたことに驚いて怯んだ瞬間に、エイトはさっと身を離してこちらに向き直る。
「僕の心は永遠にあなた様のものです、ミーティア様。命を懸けてお守り申し上げます。ですが、どうか…」
片膝を付き、頭を垂れるエイトに、私は何も言えなくなってしまった。
「…エイト」
「永遠に捧げる」と言いながら、それは私とエイトを永遠に隔てるもの。ひどい人。そうやってあくまで主従の関係の中に逃げるのね。
「…ありがとう。あなたの心、しかと」
けれどもどうして断ることができよう。それがエイトの精一杯なのだから。そしてそれがエイトの心なのだと思えば無碍になんてできはしない。
「戻ります」
きっぱりと言い切って、通路の方へ足を踏み出す。そう、旅は終わったの。私は私に課せられた義務を果さなければ。エイトがエイトの義務を果さなければならないように。
「お供仕ります」
エイトの足音が重なる。ああ、私に許されていることはこれだけ。ただ一緒に歩くだけ。


変わるとするならば、それは──


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2008.2.22 初出 






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