繋がる言葉




「よう、今度は何だ」
とある酒場の隅にいる僕を見つけるなり、ククールはにやにやし始めた。
「今度は、って何だよ。いつだってちゃんとした用事だっただろ」
何でこう、いつもにやにやされなきゃならないんだ。こっちはいつも真剣に悩んでいるっているのに。
「この前は何だったっけ?姫様の新しいドレスについての褒め言葉のバリエーションをつけたいからいい言葉を教えろ、だったよな?で、その前はエイト隊長ファンクラブのメイドさんたちを上手くあしらう方法だったけ?
それのどこが真面目な相談だ、この色男が」
呆れ果てた、とでも言いたげにわざとらしく肩を竦めて見せて僕の向かいの席に座る。
「誰が色男だよ、誰が。全然色男じゃないよ。大体こういうことはククールが一番詳しいから相談してるのに」
逃げられたら困るな、と思っていたんだけど座ったということは一応話は聞いてもらえるようだ。
「あー、はいはい。モテモテでよかったですねー」
…ちょっと腹は立つけど。
「で、今度は何をしたんだ」
「それなんだけど」
何から話していいものか。実は僕自身何をどう話したらいいのかよく分からない。
「…ミーティアが怒っているみたいなんだ」
「は?」
「だから、ミーティアが怒ってるんだ」
「いや、それは分かったけど、何で怒ってんだ?」
「それが分からないんだ。っていうか怒っているように感じるだけで、もしかしたら本当は怒ってないのかもしれないんだけど」
それでも話し始めるとつかえつつも言葉が出てくる。
「手で目隠しして『だーれだ』っていうのもいつもなら乗ってくれるのに最近素っ気ないし、階段下りる時に手を貸そうとしたら『大丈夫です』って言うし。夕食後一緒に散歩しようとしたら『疲れているのでエイト一人で行っては』なんて言うんだよ。一人で散歩したって何も面白くないのに」
何だか話しているうちにククールの顔がどんどん呆れ顔になっていくのはどうしてなんだろう。
「やっぱり怒ってるのかな。だけど何もしてないのに」
はあ、と溜息を吐いて話を締め括ると、ククールは無言のまま視線を動かした。
「素面でこいつの話が聞けるか」
と呟いてるように聞こえたけど、気のせいかな。
「それで、何だ、その、いわゆる痴話喧嘩ってやつか」
そこへ丁度来た酒を一気に飲み干すと、何だか帰りたそうな顔をしながら聞いてきた。
「喧嘩なんてしていないよ」
「じゃ、嫌われたんだな」
「そんな」
「本当は浮気でもしてたんだろ。知られてないと思ってたのに、実は知られていたとか」
「してないって!」
何で酒なんて飲んだんだ。全然相談にならないじゃないか。
「どうしてミーティア以外の人と浮気しなきゃならないんだよ」
「男なら色々あるだろ」
「ないよ!」
今日はやけに絡むなあ。
「お前のファンクラブの連中と何かしたんじゃないのか。で、それに気付かれたとか」
「だからそんなのないってば!…あ」
その言葉で何か思い出したような気がする。
「何だ。やっぱりあるのか」
「そう言えば避けられるようになったちょっと前に、兵舎の食堂でちょっと」
「何をしたんだ」
「近衛の連中に稽古つけて、久々にそこでお昼食べようとしたらどこからともなくメイドさんたちがたくさん来て、給仕してくれたんだ」
週に何回かは自分の稽古も兼ねて近衛兵の稽古をつけている。いつもなら昼に切り上げてミーティアと一緒に昼食にするんだけど、時々兵舎で食べることもあるんだ。色んな話が聞けるし。
「ふんふん」
「で、その時スープ食べようとしたら『私がいたします』とか言ってスプーンで掬って食べさせようとされた」
「…お前そんなことやってもらってるのか。そりゃ怒るって。当たり前だろ」
「断ったに決まってるだろ!子供じゃないんだから」
「…お前な」
ほとほと愛想が尽きた、と言いたそうな顔でククールが僕の肩に手を置いた。
「…いや、その、まあいいか。
だけどそれ見られてたんじゃないのか。姫様の機嫌が悪くなるちょっと前の話だろ、それ」
「そうかなあ」
どうもよく分からない。僕が子供扱いされてミーティアがやきもちってどういうことだ。

            ※            ※            ※

結局よく分からないまま、その晩はお開きになってしまった。期待していた解決策も、
「自分でよーく考えるんだな」
と例のにやにや顔で言われただけ。時間の無駄だったかな。
何だかどっと疲れが出てしまい、ちょっとよろよろしながら(決して酒に酔った訳ではない)トロデーンの自分の部屋の扉を開けたが、その途端違和感を覚えた。
「誰かいるのか?」
背中の剣に手を掛けつつ、人影と思しきものに向かって誰何する。手にしていた灯りをかざすと同時に、その人影は立ち上がり、こちらを向いた。
「ミーティア!」
仄かな明かりにミーティアの姿が浮かび上がる。無言のままこちらに近付いてきて、そっと僕の頬に手を触れた。
「エイト、おかえりなさい」
ひんやりとしたミーティアの手が気持ちよかったけど、その眼には笑みがないのが気になった。うう、やっぱりアレが問題だったんだろうか。
「ただいま。ごめんね、寝ててよかったのに」
「大丈夫よ。…ちょっと待っていたかったから」
その時確信した。やっぱりあのことが気になっているんだと。どこで見ていたのか、それとも聞いたのか分からないし、僕が子供扱いされていることがどうして気になるのか分からないんだけど。
「ミーティア」
先にこちらから話してしまおう。その方が気が楽だ。
「この前の稽古の時のことなんだけど、何だか子供扱いされてるのかな。メイドさんたちに子供みたいに物を食べさせられそうになってさ。あれ、すごく嫌だったなあ」
何となくそうすべきだと感じて、話している最中も話し終わった後もずっとミーティアから目を逸らさずにいた。ミーティアはずっと何の感情も見せないまま僕を見ていたけど、突然吹き出した。
「エイトったら…!」
そう言ったきり、後は言葉にならず肩を震わせている。
「あ、あの、ミーティア?」
返事はない。ただ俯けられたうなじが笑いを堪えようと震えているばかり。
「ミーティア」
「ご、ごめんなさい。でもおかしくて…」
漸く言葉が出たけど、まだ笑っている。
「そんなに変なこと言った?」
「そうではないの…何だかとてもおかしくなってしまって」
笑い過ぎたのか、眼に溜まった涙を拭いながらそう言うと僕の顔を見た。
「本当に子供扱いされたと思っているのね」
「うん」
だってそうだし、と即答するとミーティアはちょっと笑った。でもその笑い方はおかしいから、楽しいからというよりはどこか自嘲めいていた。
「ミーティア?」
「…ううん、何でもないの。ただ、ミーティアがお馬鹿さんだっただけよ」
あれ?どういうことだろう。これって、もしや…
「ねえミーティア。もしかしてやきもち妬いてるの?」
「…ち、違うわ。そんなこと…」
ぷい、と背けようとする顔を両手で挟み、その眼を覗き込む。
「そうでしょ」
僕の言葉に反応するかのようにきっとこちらを睨む。
「…意地悪な人」
「意地悪?」
「ええ、意地悪さん」
「そうかなあ」
時々悪戯したくなって意地悪したりすることあるけど、そんなに酷かったかな。だけど返ってきた答えは意外なものだった。
「そうよ。だって、ミーティアはさせてもらえないのに、メイドさんたちならいいのよね」
「え、えと、あの、そういう訳では…って、あの、ミーティアも僕に食べさせたかったの?」
予想外の言葉にしどろもどろになってしまう。どういうことなんだ、それ。
「ええ。でもエイトは前に『絶対に嫌』って言っていたでしょう。だからミーティアも一度やってみたいと思っていたのだけれど、我慢していたの」
「ええっ、でも、だって恥ずかしいじゃないか!」
何だって誰も彼も子供扱いしたがるんだろう。
「でもメイドさんならいいのよね」
「よくないよ!あれだって断固拒否したんだよ!」
まずい。どうすればいいんだ。段々混乱してきて、全く不用意に言葉が転がり出てしまった。
「あ、でも…」
「でも?」
ううっ、「でも」と言ったものの、何も思いつかない。もうこうなったら出たとこ勝負だ。
「あの、その…ミーティアだったらいいかな」
「えっ」
不意を突かれたのか、ミーティアはきょとんとした。そこを畳み掛けるように言葉を連ねる。
「その…他の人なら嫌なんだけど、ミーティアだったら嫌じゃないかも、と思って」
「…本当に?」
「うん、本当」
漸くミーティアの表情が緩んだ。ああ誤解は解けたんだ、とほっとしていると、
「じゃあエイト」
とミーティアが傍らのテーブルに手を伸ばした。見慣れない小箱が乗っている。こんなのなかったよな、と思っているとミーティアはその蓋を開けて何か摘み出した。
「はい、どうぞ」
にっこり笑って口の前に出された指先に、チョコレート菓子がある。
「えっ、でも、その」
深酒した訳じゃないけど、でも飲んだ後に甘いものはちょっとなあ、と躊躇しているとミーティアの眉が顰められた。
「エイト…」
「いやっ、そのっ、い、嫌って訳じゃ…むぐっ」
ミーティアを悲しませたくないけど食べさせてもらうのも恥ずかしいし、ともごもごと口篭っている僕に業を煮やしたのか、菓子を口の中に押し込まれてしまった。
「ミー…」
ティア、と呼びかけようとすると今度は唇が重ねられる。それはまるで、封印のようだった。それも、とても甘い。
「…ミーティア」
「エイト」
さすがにミーティアも恥ずかしかったのか、頬が赤い。
「…甘かった」
「…どっちが?」
「どっちも…でも、キスの方が甘かった」
ミーティアはちょっと笑って、指先でそっと僕の鼻の下の辺りを撫でた。
「二人きりの時だったら、いいかな」
「そう?
でも、他の人とは、駄目よ」
ああもう、いくらでも妬いてくれ。こんな可愛いミーティアを見られるんだったら構いはしない。
「ええと、あの…少し風に当たりたいわ」
「そう?」
どうだろう。あ、でも僕も少し涼みたいという気もする。酒を抜きたいし。
「うん。じゃ、一緒に行こうか」
手を差し伸べるとミーティアの手が重なる。繋がる手の温もりが心に優しかった。


廊下では夜番の兵たちがいたけど、僕たち二人が現れると知らん顔して敬礼した。でも背後で笑いを堪えているような気配がするのはどうしてなんだろう。
その答えは唐突に分かった。
「ん…?えっ」
何か変だ。いつも見慣れている筈の自分の顔…目があって、鼻があって、口があって、そこに髭があって…えっ、髭?
「何これ?!」
慌てて窓辺に駆け寄ってよく見と、鼻の下にチョビ髭が生えている。指で擦ると、毛の感触はなかったけど髭の範囲が広がった。
「エイトったら!」
背後でミーティアが身を捩って笑っている。そうだ、隣にいたミーティアが気付いてない筈がない。
「ミーティア、気付いていたんだったら教えてくれたっていいじゃないか!」
「ご、ごめんなさい…すぐ気付くと思っていたのですもの…なのに澄ました顔で廊下に出て行くものだから、どう言っていいのか分からなくなって…」
指先に黒っぽいものが付いている。舐めてみると甘い。さっきのチョコレートが溶けたものだ。
「ひどいよ!」
そうだ、あの時ミーティアが僕の鼻の下辺りを撫でていたっけ。
「あの時描いたんだね」
「ごめんなさい、今すぐ拭くわ」
「いいよ、自分で拭くよ」
と懐からハンカチを出して拭いたんだけど、余計広がって始末に負えない。
「ミーティア、これ、消えないじゃないか!このまま変な髭生やして過ごすことになっちゃったらどうするんだよ!」


                                              (終)

2008.4.8 初出 






トップへ  目次へ