林檎の下で




扉を開けるとそこは一面の銀世界でした。
「わあっ」
「まあっ」
エイトとミーティア姫が思わず声を上げたのも無理はありません。城のすぐ隣、王宮の果樹園では林檎の花が盛りを向かえていました。真っ白な地に薄紅の絞りの入った花は、遠くから見るとまるで雪のように見えます。
「雪みたい!ミーティア、本で読んだことあるわ。白くて冷たくてお日様に当たるときらきらするんですって」
姫が言ったように、一面の林檎の樹が花をつけ、風が吹く吹かないに関わらずはらはらと散っている様は本物の雪のようでした。緑の草原に花びらが散り敷いて白く染まっています。
「お城のすぐ側にこんなところがあるなんて、知らなかったわ」
姫は嬉しそうに辺りを見回しています。
「うん、そうだね。…」
が、どうしたことか、エイトの顔色は冴えません。ミーティア姫の言葉に頷いたものの、ふと目を眇めて何かを考えているようでした。
「エイト?」
どうやら姫も気付いたようです。エイトがはっと我に返った時、目の前にあったのはミーティア姫の心配そうな顔でした。
「どうしたの?具合悪いの?」
「ううん、何でもないよ。ただちょっと…」
「ちょっと?」
「ちょっと、見たことがあったかな、って思って」
「そうなの…」
考え込むエイトにつられてミーティア姫も深刻そうな顔になりました。
「あっ、でもやっぱり違うかも。だってここに来たの初めてだし」
姫が心配していることに気付き、エイトは慌てて明るい声を上げました。ミーティア姫が悲しそうにしている様子を見たくありませんでしたから…
「あっ、あの樹」
とその時、エイトの目が何かを捉えました。
「えっ、なあに?」
何を見付けたのかときょろきょろとあちこちを見回す姫を置いて、エイトは駆け出しました。
「この樹、馬っぽくない?」
指差す先にある林檎の樹は横に枝が出ていて、確かに馬の背のように見えなくもありません。
「あっ、そうかも。お馬さんみたいかも」
手を叩く姫に手を振って、エイトはひらりと枝に跨がりました。
「名前は『黒き疾風号』だ!はいどーっ!」
「まあ」
その言葉に姫はくすっと笑い声を漏らしました。『黒き疾風号』は父トロデ王の馬の名前だったのです。厩舎で一番、いえ、トロデーン一の名馬と言っても過言ではないでしょう。引き締まった体格の、青毛の美しいそれは脚の速い賢い馬でした。エイトは厩舎で馬の世話をする時に見て憧れていたのです。
「ミーティアも乗りたいわ」
姫は騎乗の真似事をするエイトの側に駆け寄りました。
「だめだよ、ミーティアはスカートじゃないか」
「いいもの、誰もいないもの」
止めるエイトをにそう言い切って枝によじ登ろうとします。
「だめだって。ほら、ドレスが汚れちゃうよ」
エイトは気が気ではありません。ドレスが汚れるからと言うよりはスカートの裾からペチコートとドロワーズが見えてしまったからでした。
「大丈夫よ」
「大丈夫じゃないよ。ほら、僕の前に横座りして。いつもそうやって乗ってるじゃないか」
はらはらしながらミーティア姫を枝に引き上げ、自分の前に座らせます。
「絶対エイトみたいに乗った方が駆け足や速足しても怖くないのに」
口を尖らせると、エイトが笑った気配がしました。
「そんな必要ないじゃないか。馬車に乗る方が多いでしょ?」
「だって馬車はいっぱい人を連れて行かなきゃいけないんですもの。お馬さんだったら一人で行きたいところに行けるわ」
「ミーティア一人じゃ馬の世話なんてできないよ」
一生懸命言い募る姫にそう言うと、途端に困ったような顔になりました。
「お、覚えるもの。だから…」
話しているうち、やっぱり自分一人では馬の世話はできそうにないことに気付き、声が小さくなりました。
「じゃあさ、僕も一緒に行くよ。こうやって前に乗せて。そうすれば大丈夫でしょ?」
「ほんと?」
「うん」
エイトがそう言ってくれたので、姫の顔はぱっと輝きました。
「ありがとう、エイトと一緒だったらどこまでも平気だわ!約束よ、一緒に行くって」
「うん、約束だよ」
二人は顔を見合わせ指切りしました。



果樹園に子供たちの明るい笑い声が響いています。
「どこ行くの」
「うーんとね、ゴルドの女神像様が見たいの」
そんな会話が聞こえてきます。
暖かな春の日差しが果樹園を包み込んでいました。いつまでもこの春が続くかのように。




                          (終)




2006.4.18 初出 2006.9.14 改定








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