日輪




結局、眠ることはできなかった。意識を閉じ、何も考えまいとしてもミーティアの笑顔が脳裏に甦る。うとうととしかかっては浅い夢の中でミーティアが張り詰めた顔をしてこちらを見詰める。トロデーンを出発する時の、あの顔で。
優しく、穏やかな口調だった。
「トロデーンに、お父様に仕えて」
と言った時のミーティアは。その声だけを聞いた人はきっと勘違いするだろう。あの方は、何の迷いもなくサザンビークへ嫁いで行くのだ、と。
でも、本当は違う。その言葉を発するミーティアは何かを堪え、押し隠そうと必死だった。見開かれた眼には言葉に反するような感情が揺らめき、唇の端が震えていた。身体の中に潜む想いが押さえつけられたが故に噴出するかのように。
いっそ手を取り呪文で逃げてしまおうかと何度思ったことか!冷静に、何の感情も出すまいとしつつも僕の心も揺らいでいた。こんな顔をさせるために僕はあの旅をしたんじゃない。ただ、呪いで姿を変えられたお二方と茨の中で悪夢を見続けるこの城を助けたかっただけなのに!
またしても僕は呪いを防ぐことができないのか。あの時誓い通り付き従ってさえいれば盾となって呪いを跳ね返せただろうに。あの時点でドルマゲスに拮抗する力はなかったけど、お二方を逃がすくらいはできただろう。
真実を知ってなおさら、その思いが胸から離れない。ならば今度こそ、守り抜くと心に刻んでいたのではなかったか。なのに…
あの男は何も変わってはいない。このままミーティアがサザンビークへ嫁いで幸せになれるのか。王族の結婚なんて義務だと人は言う。神の御前で結び合わされるだけの同盟なのだ、と。
ミーティアもそれを分かっている。だからこそ、ああ言ったのだと思う。人として正しい道を行くより王族の義務を果たすためだけに結婚するのだと。
僕も分かっているつもりだった。でも大聖堂の島へ渡る船の揺れるように、僕の想いも揺れる。ミーティアを連れ去ってしまいたい。僕一人のものにしてしまいたい。だけどただ一時の邪念だけであの方の未来とトロデーンの未来を潰していいものか。迷いつつ出した指輪は、そのまま失われてしまった…

いつの間にかうとうとしていたらしい。ふと気付くと窓から朝の光が差し込んでいた。
「おはようごぜえやす、兄貴」
眼を開けてぼんやりと天井を見ていると、声がかかる。
「ああ、おはよう、ヤンガス」
身体を起こし、なるべくいつも通りを心がけつつそう言うと、
「もうじきミーティア姫様の結婚式が始まるでがすよ。せっかくここまで来たんだし、式に出れなくてもせめて近くまで行ってみましょうや」
と言われた。
結婚式…行きたいのか行きたくないのか、寝不足の頭でヤンガスにどう答えたものかとぼんやり思ううち、何となく曖昧な言葉が口を吐く。
「ああ…」
それを肯定と捉えたのか、ヤンガスは頷いて、
「じゃっ、あっしは一足先に大聖堂の前へ行ってるでがすよ」
と、さっさと宿を出て行ってしまった。

ヤンガスの言葉のままに宿の外に出た。朝の光が眩し過ぎて、目が眩む。少し目が慣れたところで何となく歩き出した。
このまま大聖堂へ行ってどうなるというのだろう。でも足は勝手にそちらの方へ向かっている。この婚礼を一目見ようとするたくさんの人々の声に物売りの声が重なる。辺りのそんな物音が耳に入ってはいたものの、どこか遠いものとして認識していた。
しっかり歩いているつもりだったけど、どうもよろよろしているように見えたらしい。向こうの方で何か話していたククールとゼシカが、僕の姿を見つけるなり寄ってきた。
「やっと来たか、エイト。もう結婚式は始まっているようだぜ」
確かにこの場所は人の姿もまばらだった。皆、もう上の方へ行ってしまったのだろう。
ぼんやり眺めていると、ククールが耳打ちしてきた。
「あんだけ人が多けりゃよ、どさくさに紛れて何かやらかしても大丈夫なんじゃねーかな」
意味ありげに階段の上を見遣った後、
「昨日オレが言ったこと覚えてるか?姫の幸せを守るのも近衛隊長の仕事だって。後、オレたちは仲間だ。お前が何かするつもりなら力を貸すぜ」
と付け足した。
近衛兵の務め、か…
近衛の務めとは、王をお守りすることだろう。そんなこと、ククールに言われなくたって分かっている。だからこそ、昨夜の行為は近衛隊長としてあるまじきことだった。仕える主を窮地に追いやるような行いだったのだから。
「どうしても納得いかないのよね」
ゼシカがその横で憤慨していたけど、そういうものなんだ。そうやって自分の心に折り合いをつけていかなければどうしようもないんだ。
もう、帰ろう。帰るべきところへ。最期までトロデーンに在って力の限り守り続けよう。決して逃げることなく、最期まで。あの方の言葉のままに。
なのに足は勝手に階段を上り、大聖堂の方へと向かっている。行きたくない、と思っているのに抗い難い力─あの方への想いにも似て─に押し流されていく。この階段の上に何があるというのだろう。何もないというのに。

大聖堂の前の広場にはそれこそ立錐の余地もなくぎっしりと詰め掛けた群衆が王族の結婚式を一目見ようとしていた。
こんなにたくさんの人がいるのなら僕はミーティアに見つけられずに済むだろう、と思った。でもそれと同時にミーティアには僕を見つけてもらえないだろうという思いも湧き上がる。逢いたいのか、逢いたくないのか、自分でも分からなかった。それでもなお、足は止まらず進み続ける。
(ミーティア)
心の中だけでその名を叫ぶ。
(ミーティア!)
視線の先には大聖堂内部への扉。けれどもそこまでの距離は絶望的に遠い。
何とかして自分の心に折り合いをつけて諦めようとした時だった。
「兄貴―!」
人並みの合間からヤンガスが手を振る。
「ヤンガス」
と応えると、人を掻き分けつつこちらへ来てくれた。
「来てくれると信じていたでがすよ!」
と言った後で、
「もしかしたら来ねえんじゃねえかと心配してたんでげす」
と躊躇いつつも付け足した。
「ああ、うん…」
どう答えたものか、曖昧に言葉を濁していると不意に腕を取られた。
「さあ、こっちこっち!」
「あっ、ちょっ、ちょっと待って」
僕の抗議もものともせず、ぐいぐい前へ引っ張っていく。あっという間に僕たちは大聖堂の扉の前まで来てしまった。
「さてと、ここまで来たら後はあの邪魔くさい見張りをどうするかでがすが…」
「どうするって…」
ヤンガスの言葉に眼を上げると、最後の階段の上、扉の前には聖堂騎士団の制服を着た兵士が立っている。
「このままでいいんでげすか、兄貴」
この喧騒の中でもヤンガスの言葉ははっきりと僕の耳に突き刺さった。
このまま?そうだ、僕は行くんだ。そしてミーティアもこのままの道を。この先決して交わることのない道を行くんだ。互いに互いを喪ったまま…
互いに互いを喪って?どうしてそれに耐えられよう。
こんな時になって分かった。あの方への想いは一時の感情の昂りなんかじゃない。同じ魂を共有する、この世で只一人存在するという自分に等しい人への想いだった。自分の魂の片割れを永遠に失って、どうして生きていけよう。それはミーティアにとっても同じ筈。同じ魂を持ちながら別々の道を行くなんて。
「無礼者、招待客でもないのにこの中に入ろうとするのか?」
扉の前に出てきた僕を見張りの騎士が睨み付ける。それには答えず、僕はただ扉を見詰めていた。
ずっとそうだと信じていた。いや、いたかった。僕がトロデーンを守っていると。この剣を以って戦い、王家の盾になっていると。
でも真実は違っていた。この国を守っていた、そしてこれからも守ろうとしているのはあの方、ミーティアだった。剣一つ取ることなく、婚姻という例え法王であっても破棄することのできない両国の民を確実に守る手段で。ミーティア一人が犠牲になって得られる平和。
そんな道を行かないで。どうか一人で重荷を背負わないで。最後まで僕を、あなたを守る近衛でいさせてほしい。茨の道を進むのは、僕だけでいい。この背に背負う剣に懸けてあなたを助け出す。あなたを縛る最後の呪い、この身を以って解く。
そうだ、答えは最初から僕の中にあったんだ。
「力ずくでも罷り通る!」
「止まれ!止まるんだ!」
剣を抜こうとする騎士に向かって背負う剣に手を掛ける。と、
「ここはあっしに任せて兄貴は行ってくだせえ!」
気合を込めて護衛の騎士に当て身を喰らわせ、ヤンガスが頷きかけてきた。
「頼む」
短くそう言うと、
「合点でがす!」
勢いのいい返事がくる。
ヤンガスの言葉に頷き返し、大聖堂の扉に向き直った。
さあ、開けるんだ、あの方のために。そして、僕自身のために。


                                                (終)




2007.9.2 初出









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