星辰




王家の者の身体には青い血が流れているという。
勿論それは比喩に過ぎない。庶民に王家への畏怖と王権への畏敬の念を起こさせるために生み出された説だ。王権が神から授けられたものであり、余人に犯すべからざる神聖なものであると知らしめるための。
それでも僕は幼い頃、それが真実であると信じていた。トロデ王様もあの方─ミーティアにも、青い血が流れていると。どんなに親しくなっても赤い血の流れる僕とは世界の違う方々なのだと心のどこかで一線を画してきた。
なのに、どうして今になって─
今、僕の手の内にある指輪が全てを物語る。身体の中を流れる血の半分は王族のものであると。それもアルゴンリングを戴く正式な妃から生まれた正嫡であると。
だがそれに何の意味があろうか?父は約束されていた玉座への道を捨て、母を追って竜神族の里の近くで命を落とした。僕の存在を知ることもなく。
それに今更「お前はサザンビークの王族で王位継承権を持つ可能性がある」と言われても、それがどうした、という気にしかなれない。父祖の国かもしれないし、父には申し訳ないとは思うが、僕の故郷はトロデーン。明るい南国の光が降り注ぐあの国ではなく、北の荒波に洗われるこの国だとしか思えない。
だからこそ僕は、自分の出生を知り旅が終わってもトロデーンに留まり続けた。トロデ王様もをそれを了とし、今まで通り仕えることをお許しくださっている。ありがたいことに特別扱いはしない、とも仰ってくださった。
その代り、
「決して自らの出生を明かすでないぞ」
と厳命された。サザンビーク王家の血を引く僕がこの国に存在することが知られれば、国際的な紛争の火種になるだろう。例え僕にその気がなくとも、トロデーンが意の侭になる王位継承者を担ぎ出し、サザンビークの玉座を狙っていると思われてしまうだろう。
「ワシも、ミーティアも他言はせん。己の血は己の内にのみ留めておくがよい」
本当にありがたい仰せだった。この国を守るために追い出されるかもしれない、と思っていたのに。ただ「他言無用」とだけ仰せになられて引き続き置いてくださる。このご恩に報いるべく、この先もずっと、トロデーンの為に身命を捧げようと誓っていた筈だった…
でも今夜、その誓いを破る。自分の生まれを明らかにする。トロデーンに居られなくなるかもしれない。でもこの身を以てあの方のこの先に待ち受ける運命を打ち消すことができるのなら!
そう、この指輪を見せれば。僕の出生を明らかにするただ一つの証、アルゴンリング。父から母に贈られた、正式に婚姻を結んだ印。
「我が真実を汝に捧ぐ」
指輪の内側にはそう刻まれている。その言葉通り捧げよう、僕の真実を。王位が欲しいのではない、ただあの方との結婚だけを許して欲しい、トロデーンとサザンビークの血を一つにというのならこの僕に振り替えてくれ、と。

           ※          ※         ※

だが、その考えはやはり甘かった。
まず話すべきはトロデ王様、と思い座所へ伺ったものの、王は口を開く暇も与えず、
「下がれ」
と仰せになられた。未来の婿に対してここに来てもいい感情を持っていないことだけはお示しになったが…
通路を挟んで向い側にあの方がいらっしゃることは知っていたが、この遅い時間に訪うことは憚られた。それに逢ってどうするというのだろう。話すべきは両国国王、婚姻という名の同盟を結ぶお二方だ。トロデ王様には話を切り出すことができなかった。ならば。
「サザンビーク国王、クラビウス様。夜分遅く参上仕る非礼をお許しください」
「ややっ、お前は確かエイト、だな?」
思えばこの方は最初から僕の中に父の俤を見ていたのかもしれない。大国の王が、初対面の旅人に声をかけることなどまずないのだから。
ならば…通じるだろうか?
「折り入って申し上げたき儀あって、罷り越しました」
「うむ、何だ。申してみよ」
僕の父がこの方の兄なのか。ならばクラビウス様は叔父、ということになる。そんな途方もない話を信じてもらえるのだろうか。
「お話しの前にこちらを」
手の内に握りしめていた指輪を差し出す。怪訝そうな顔で受け取ったクラビウス様だったが、さっと表情が改まった。
「これは…何故お前の手にある。これをどうしたのだ」
「はい、父と母の形見、です」
「形見だと!」
そう叫んで絶句したクラビウス王の顔は、夜目にもはっきり分かる程蒼ざめていた。
「…どうも混乱しているようだ。済まぬが最初から順を追って話してくれ。そなたらが最初にサザンビークを訪れた時、この指輪のことはおくびにも出さなかったではないか?」
「はい、あの時はまだ、自分の生まれが何処にあるのか存じておりませんでした。ですがその後…」
できる限り筋道立てて事の経緯を話す。偶然迷い込んだ世界、荒涼とした景色の中、ただ一つ緑に囲まれた小さな墓標とそこに眠る人たち。竜神王と祖父から聞いた父亡き後いかにして僕が生まれ母が身罷ったかということを。
「なんと…」
話している間ずっと唖然とした様子だった漸くクラビウス王が口を挟んだ。旅人だとばかり思っていた者が自分の甥であり、探し求めていた兄はもう、既にこの世の者ではないというのだから無理もない。
「…虫のいい話であることは充分承知しております。ですがどうか、明日の婚儀、ミーティア姫の相手はこの私に」
語れば語る程身勝手な願いに思えてならない。でも他にどんな道が残されているというのだろう。
「…」
クラビウス王は黙って僕の方を見た。その眼はもう、冷徹な王者のものに戻っている。
「どうかお許しください。先代の方々の願いを、というのならこの私でも」
「ならん」
が、一刀の下に僕の願いは切り捨てられた。
「そこを曲げて、何卒」
どんなに見苦しいか、自分でも分かっている。でも願わずにはいられなかった。
「そなたは自分が何をしたのか分かっておるのか。真実兄の子であるというのなら、サザンビークの玉座を要求したも同然の行為なのだぞ」
「王位など望んではおりません!」
「そなたがそうであっても、他の者はどう取るか?何時何処で反乱分子に担ぎ出されてもおかしくはないのだぞ?……ならぬ、サザンビークを統べる者としてそれだけは断じてならぬ」
「そんな…せめて指輪だけは返していただけないでしょうか」
「ならぬ」
「父母のたった一つの形見なのです。どうか」
必死で食い下がったが、クラビウス王の頚が縦に振られることはなかった。
何もかも無駄になってしまうのか。僕の存在も、託された指輪も。
「王としてお前の存在を許すことはできん。だが、例の儀式の時の恩義もある。以後、サザンビークに関知せぬと誓うのならば不問に附そう。どうだ?」
冷徹なる王の慈悲、か。国一つ守るためなら血を流すことも厭わない、通例なら死を賜るところ、特別存在を許してやるという。
一瞬、目の前にある物全てを破壊し尽くてやりたいという衝動に突き動かされる。この僕がサザンビークの正統な王だ、全て僕のものだ、僕に従え、と。ミーティアを得る術はもう、それしか残されていないのならば、その道を進むまで。
でもその狂熱はすぐに醒めた。新たな暗黒神に成り代わってどうする?全てを得ようとした男の成れの果てを旅の中で見たのではなかったか?死と破壊、権力に執着した者が巻き起こした混乱はただそればかりを残した。あの惨事から何も得られないというのなら、僕は愚か者でしかない。
「…お耳汚し失礼いたしました。お許しを」
身の内に残る熱を抑え漸く絞り出した言葉は震えていた。
「うむ」
もう何も残されてはいない。指輪も、僕の存在も。でもせめて願ってはいけないだろうか。
「恐れながら」
「何だ」
「もし事情が許すのであれば、指輪はミーティア姫にお渡しくださいますよう」
クラビウス王の表情が一瞬揺らいだ。そこをさらに言い募る。
「名前を出していただかなくとも結構です。ただ、渡していただければ。私が持っていることは問題でしょうが、あの方が持っている分には何の不都合もない筈です」
「…考えておこう」
そう言ってクラビウス王は背を向けた。
「さあ、もういいだろう。下がってくれ」
僕はただ、頭を下げることしかできなかった。

           ※          ※         ※

部屋を出て、階段を下る時になって初めて拳を握りしめていたことに気付いた。開こうとすると、関節が軋む。掌にはくっきりと食い込んだ爪の痕が残っていた。
物心ついてからこの方、己について弁えているつもりだった。どんなに親しくなってもミーティアは別の世界の人、決して交わることのない場所にあの方はいらっしゃるのだと心に言い聞かせてきた筈だった。それがどんなに苦しい葛藤を心に産み出そうとも。
でもあの方は匂やかに微笑みかけ、やすやすと隔てを乗り越えてこちらへいらっしゃる。その微笑みにつられてそんな壁があることをつい忘れてしまう。そしていつの間にか、あの方に対して抱いてはならない筈の想いが心の中に萌していた。
そんな想いは禁じられている。身を挺してお守り申し上げるトロデーン王家の方々の中の一人、それがミーティアなのだ。夜空に輝き渡る月の光の美しさを讃えるようにあの方の美しさを讃え、いと高き天におわす神を崇めるように観念だけの存在になって誠心尽くしてお仕え申し上げなければならないのに、いつの間にか僕はミーティアに恋い焦がれていた。
そしていつの頃からだっただろう、僕に真直ぐに注がれるミーティアの視線が苦しくなったのは。どうして他の人は平気で受け止められるのか不思議で仕方なかった。躍り上がるような喜びと胸を刺し貫かれるような苦しみを伴うあの方の視線。見つめ合う喜びと苦しみの大波に揺さぶられてどうして冷静でいられるのか、と。
こんな時になってやっと分かった。ミーティアと同じものを持つ者はこの世で一人しかいない。身分の大海に隔てられ、人の妻となってしまうあの方こそが僕の魂の半分を持つ人だったのだと。
なのにどうしてそれに堪えられよう、心理的にも、物理的にも引き離されることに。遠く離れてしまったら、僕の肋骨の下に結ばれている細い弦が切れて血が吹き出すような気がしてならない。せめて、このことだけでも伝えることができたなら…
そう、階段を降りたその先にあの方がお休みになっている部屋がある。想いの一端なりと伝えなければ。きっとこれが最後。次に見える時にはあの方はもう、隣にサザンビークの王を配したトロデーンの女王。
「まあ、近衛隊長ではありませんか!」
だが、それはまたも阻まれた。
「ミーティア姫様はもう、お休みになられています。急ぎの用件であっても、明日にしてくださいませ」
何も言えなかった。
ミーティアは、眠ってなんかいない。それは僕が知っている。この僕が眠れずにいるのだから。だけどここで逢って、何ができる?百も万も言葉を連ねて想いを伝えたとしても、海に降る雪のように積もることなく暗い水底に消えていくだけだというのに。
項垂れて部屋を出て行くしか選択肢は残されていなかった。

           ※          ※         ※

それからどうやって宿に辿り着いたのか覚えていない。よくもあの崖から落ちなかったものだと思う。
ヤンガスとゼシカはもう、眠っていた。無理もない、とっくに真夜中を過ぎていたんだから。ククールだけが起きていてあれこれ追求してきたけど、もうどうしようもないことだけを伝えて─本当は現実から目を逸らしたくて、振り払う。
寝台を前にすると急にどっと疲れが出て、服を着替えもせず横たわる。でも眼ばかり冴えて眠りが訪れることはなかった。


自分のしてきたことは何だったのだろう。自分の生まれを否定され、指輪を取り上げられ、ミーティアにも会えなかった。明日の今頃はもう、ミーティアはあの男のもの。そしていつの日かあの方が帰っていらっしゃる時には、あの男を王配として忠誠を誓わなければならない。
それに堪えられるのか?一瞬なりとも全てを破壊してミーティアを奪い取ろうかと考えてしまうようなこの僕に。
いっそこの心に永遠の石化の呪いを掛けて欲しい。そうすれば何事にも動じることはないだろう。心の奥で血を流すような思いもしなくて済む。あの男の子供を抱くあの方の微笑みを守っていけるだろう。いつまでも、永遠に。
そうしていつまでもミーティアの盾になろう。それが僕に残された、愛を捧げるただ一つの手段なのだから。


                                            (終)




2007.3.28 初出









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