星の夜




その夜僕は突然に呼び出された。急いで近衛兵の制服に着替え、三階へ向かう。
「ごめんなさい、エイト。急に呼び出してしまって」
三階の部屋の前でミーティアが待っていた。普段着の彼女はいつもにも増して悲しげだったので、つい何の用か聞きそびれてしまった。
「ちょっとお散歩したいの。それでお供をお願いしたくて」
「こんな夜に、ですか?」
確かに一緒に歩けるのは嬉しい。でも正式な婚約者のいるミーティアが他の男―それも若い―と夜更けに二人きりというのは人聞きの悪いことだと頭の隅の小さな声が警告する。
「…ええ、星を見たいと思って」
小さな声でそう言う。
「ですが」
「お願い」
ただならぬ気迫に僕はもう何も言えなかった。その眼の中に必死の光を見てしまったから…
「そんなに時間は取らせません」
「…分かりました」
僕がそう答えた途端、ミーティアの顔がぱっと輝いた。そう、越えてはならない境界があるということを忘れてしまいそうになるくらいに。
「では参りましょう」
僕の気持ちを掻き乱したとも知らず、ミーティアは歩き出す。僕も自分を取り戻そうとしつつ、従った。



僕たちは城の東翼、宝物庫の奥にある小さなバルコニーに出た。見張りには適さないこの場所には衛兵の姿はない。庭の篝火は遠く、月齢一日の月はとうに西の空へと沈んでただ星明かりばかり。
そんな夜に人気のない場所でミーティアと二人きり、という事実に思い当たってしまって僕はますます落ち着かない。
「懐かしいわ…」
夢見るようにミーティアが口を開いた。
「覚えているかしら、エイト?昔魔術師のおじいさんにお願いして一緒に星を見たのよね」
覚えている…あれは確か九つの時。図書館で一緒に星の本を読むうちミーティアがどうしても実際に見てみたくなって、星座にも詳しい城仕えの魔術師に頼み込んで夜中に星を見たのだった。
「本で見たのと違って、実際にはこんなにたくさんの星があるってあの時初めて知ったのよ」
「はい。…あの時はおじいさんにいろんな話を聞かせてもらって」
「そうだったわよね…」
懐かし気にそう言うとそのまま黙って空を見上げる。あの時も天頂高く天の川が流れ、夏の星々が輝いていた。その下で聞いた星の物語。もう戻らない、子供だった頃…
ふと見ると、涙がミーティアの頬を伝っていた。
「どこへ行っても、星の姿は同じよね…」
呟きが零れる。咄嗟に返答できずにいると、
「戻りましょうか。あまり夜更かしさせては申し訳ありませんものね」
とやけに快活に言う。けれどもその瞳は潤んだままで、僕はつい目を反らしてしまった。
「はい」
何とか答えて―我ながら間抜けだと思ったけど―扉に手を掛けた時、夜風がミーティアの呟きを運んで来た。
「星たちでさえ、一年に一度は逢うことできるのに…」
もう二度と、二度とこんな夜に二人きりになるまい。いつか必ず、自分の想いを打ち明けてしまうだろうから。越えてはならぬものがあるということを忘れてしまうだろうから。
今ならばまだ、自律できるはず。誰かのものになったミーティアを見ても堪えられる。きっと…

                                       (終)


2005.7.7 初出 






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