歌の翼




自分の想いは自分の中に隠しておこう、そう心に誓っていたはずだった。この想いが禁じられるものであるということを知ってからは特に。けれども想いは日を追うごとに大きくなって私の心を押しつぶしそうになる。
エイト…あなたを好きだと気付かなければよかった。そうすればそのまま自然に毎日を送っていけたはずだったのに。明日もきっと顔を合わせる機会がある。私の想いに気付かれたらどうしましょう。気付いて欲しいけれど、でも気付かれたくない。
矛盾した思いに囚われつつそっとピアノの蓋を開ける。ピアノを弾くことでこのもやもやした思いを晴らしたい、と思ったから。練習中の汚い音を聞かせるのも気の毒なので人払いして弾き始めた。
いくつか楽譜を出して弾いてみたけれど、何かが違う気がする。こんな味も素っ気もない曲じゃなくて、もっと別の何かがあればいいのに。
今日はもう、難しい曲の練習はできそうにないわ、と思い、歌曲集を取り出した。歌の伴奏なので手もそんなに難しくなく、手慣らしによく弾いている曲集だった。
最初からずっと通して弾いているうち、漸く心が静まって曲に集中していく。そうすると手に余裕が生まれて歌も自然に口をついて流れ出す。
でもある曲─恋の歌だった─を弾いている時だった。気分が乗っていてかなり強く弾いていたし、声も出ていたと思う。部屋には誰もいないし心置きなくエイトへの想いを重ね、
「わたしはあなたのことを想います
陽の仄かな光がわたしに
海から差し込んでくる時に…」
と歌っていたら、突然、
「こらっ、エイト!」
という怒鳴り声が窓の外から響いてきた。
「見張り中だろう、ぼんやり姫様のピアノに聞き惚れているんじゃない!」
エイトが壁を隔ててすぐ近くにいたなんて。もしかして、聞かれていたの!?で、でも歌声までは聞こえていないわよね?
「わわ、す、すみません」
エイトが謝っている声が聞こえる。そんなに大きな声でもないのに聞こえるっていうことは、歌も聞かれていたの?それに、声の近さから私の部屋の窓のすぐ下辺りに立っていたみたい。
そうなるともうピアノを弾き続けることなんてできない。震える手で蓋を閉め、楽譜を片付けようとしたけれど、足に力が入らない。
「見ろ、お前がぼさっとしているから姫様の練習のお邪魔をしてしまったじゃないか。見張りがぼんやりするんじゃない」
どうしましょう、これから先どんな顔でエイトに会えばいいの?恥ずかしいわ、どうしたらいいのかしら。
でもエイトに会いたい。すぐ側にいるのならせめて一瞬でもいいの、その姿を見たい。そうだわ、ただピアノを弾いていただけですもの、や、疚しく思うことなんてないわ…
意を決して立ち上がり、そっと窓枠を押した。
「あっ、姫様」
まさに窓のすぐ下にエイトと年長の兵士の二人がいて、私の姿を見ると慌てて片膝を着いた。
「見張り御苦労様です。あの…」
エイトったら槍が長過ぎて背中からやけに飛び出しているわ、兜も大きすぎて目深になっているし、などとつまらないことを思ってしまってちょっと言葉が途切れた。でもまず言うべきことは言わないと。
「私の拙いピアノで迷惑をおかけしてごめんなさい。どうかないものと思っていただけるとありがたいですわ」
「恐れ入ります、姫様」
年長の兵士が答える。エイトは俯いたまま。ああ、やっぱり今日も目を合わせてはくれないのね。さっきまでは顔を合わせることが恥ずかしかったけれど、でもこうしてあなたの姿を見てしまうと「見詰め合いたい、もっと近くにいたい」と思ってしまう。
その時、エイトが顔を上げた。その視線がエイトを見詰めていた私の視線とぶつかる。真摯な眼差しで私を見詰めたかと思うと、唇が微かに動いた。
「…わたしはあなたの近くにいます…」
それは、中断してしまった歌の最後の部分。エイトの唇はそう動いた。ちゃんと音で聞いたわけではないけれど、でも確かに。
とても嬉しかった。涙が出そうなくらい。でもいつまでも浸ってはいられない。
「…どうぞ見張りを続けてください。いつもありがとう」
そう言うことが精一杯だった。頬が染まっているような気がする。他の人もいるのだから変に思われないようにしないと。エイトのためにも。
他の人には絶対に気付かれてはならない私の─私たちの─想いを守るために。
                                           (終)




2005.3.18 初出 






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