サヴェッラの夜
「通してください。どうしても今夜のうちに姫様に話しておきたいことがあるんです」
「ですがこのような時間に。私が罰せられます」
「罰は僕だけが受けます。あなたは僕に脅迫されたとでも」
僕の中の何かを感じ取ったのか侍女は引き下がる。
旅が終わってからも僕は避け続けてきた。ミーティアと話すことを。でもどうしても話しておきたいことがあった。とても大切なことだったから。
頼みの綱のアルゴンリングは取り上げられてしまった。今、話さずしてもう機会はない。夜が明ければミーティアはサザンビークへ嫁いで行ってしまう。
衝立の内側に踏み込むと、ミーティアは起きていた。
「エイト、どうしたの?こんな時間に」
さあ、話さなければ。
「ミーティア様…」
言葉が出てこない。あんなに話さなければ、と焦っていたのに。
「ずっと前から…」
ずっと前から?何を言っているんだ僕は。
「お慕いしておりました…」
「エイト!」
ミーティアの碧の瞳にみるみるうちに涙が溜る。
「どうして今になって…」
そうだ、話すことなんてこれしかない。他に何を話すというんだ?
「好きだ!」
そう叫んでミーティアの身体をひしと抱き締め、唇を奪う。怯えるミーティアの舌を搦め取り、貪る。悪い夢でもみているようなサヴェッラの夜の中、ただ腕の中のミーティアの存在だけが確かなもののように思えた。
僕の胸にミーティアの鼓動が伝わる。生きている証。押し付けられた柔らかな胸の感触。明日には従兄弟のものになってしまうミーティアの身体。
あらゆるものが僕を導き、押し流す。このまま、想いを、遂げてしまえと…!
腕の中でミーティアが啜り泣く。
「離れたくない」
と。離れ難いのは僕も同じ。一度知ってしまったらもう二度と離したくない、ミーティアの肌の感触。身体を包む絹よりも滑らかで、夜目にも白く手に吸い付くような肌。手のひらにすっぽりと収まるその乳房は小振りだけど美しい形。そして白い敷布に点々と散らされた破瓜の印…
「このまま朝までいて、打ち首にでもなってみようかな」
ふと思いついたことを口にする。はっ、とミーティアが腕の中で身を固くした。
「そんな…」
「だってそうでしょ?王族の花嫁を寝取ったんだから」
「だったらミーティアも一緒に」
「駄目。罪は僕だけにあるんだから…」
口づけしながらそう囁く。
本当に死んでしまってもいいような気がした。ミーティアが他の男のものになると思っただけで暴れ狂う、嫉妬の痛みの方が辛かったから…
明日の夜には他の男の腰にその腕を廻すのか、さっきまで僕にしていたように。愛撫の手に熱に浮かされたような声をあげるのか、ついさっきまでのように。見たくない、聞きたくない、知りたくない!ならばいっそ…
「いいえ、」
僕の唇を振り払い、ミーティアがきっぱりと言う。
「ミーティアも同罪だわ。本当はあなたに抱かれることを望んでいたんですもの…婚約者のある身でそのようなことを願うのは罰せられることでしょう?」
「違う」
もう一度口づけしようと抱き寄せようとしたけど、身を捩って逃げる。
「婚約者以外の人と…寝るようなふしだらをしたんですもの、一緒に罰をうけます」
「ミーティア!」
「エイトとなら怖くないもの」
「駄目!」
「どうして?婚約者以外の方の手で快楽を得てしまったミーティアが、どうして罰せられずにいられましょう」
今なんと言った?「快楽を得る」?僕との行為で快楽を?
問いただそうとした時、衝立の陰から密やかな声が僕たちを制した。
「あの、どうか…速やかにお引き取りを…」
「ごめんなさい、もう少しで終わりますから…」
僕が「まだ」と言う前にミーティアが返事する。衝立の向こうで侍女が下がっていく気配がした。
扉が閉まり、部屋の中は再び僕たち二人きりになる。ややあってミーティアが躊躇いがちに口を開いた。
「この結婚は国と国とのもの。ミーティアはどうしても嫁がなければなりません。
この先ずっとあの人をエイトだと思って抱かれていきます。だから…忘れないように…」
やっぱり行ってしまうんだね。ならばその願い通り僕の熱をその身体に刻み付けるよ。僕もあなたの感触を忘れないために抱くよ。一生忘れないために。
下の宿屋に戻ったのは夜も明けようかという頃合だった。仲間たちの寝息が不自然に高かったような気がしたが、疲れきっていたため気にせず布団の中へ潜り込む。一つため息をついて眠りに落ちようかという時、不意にそれは起こった。
ただ一人横たわっていたはずの僕の隣にミーティアがいた。手を伸ばしてもそこにあるのは空漠ばかりなのに、一糸纏わぬ姿のミーティアが僕に縋り付いているということだけが分かる。触れることは叶わないのに、その存在だけを感じ取ってしまう。
『エイト…』
乱れる吐息の中から呼ばれた僕の名も耳朶に蘇る。涙の味の口づけも。
「ミー…ティ…ア…」
…これがこの先ずっと続くのか。でもそれでいいのかもしれない。
きっとこれが僕に下された罰。その存在をまざまざと感じながら、触れることはできない。夢よりも生々しく僕の前に現れて、でも気配ばかり。
もう二度と触れることの叶わないミーティアを思って、僕は心の中で哭くしかなかった。
もうすぐ、夜が明ける。
(終)
2005.4.19 初出 2007.3.3 改定
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