秘密基地





城壁の外側に二人の子供がおりました。
「まって、まって、おにいたま、まって!」
三、四歳くらいの小さな女の子が先を行く男の子──六、七歳くらいでしょうか──を懸命に追いかけております。
「付いて来れないんだったら置いてくぞ!」
「いやっ!ひめもいくの」
振り返りざま男の子がそう言うと、半べそになりながらも女の子は一生懸命走って追いつこうとするのでした。
「しょうがないなあ」
呆れたように男の子はそう言って、ちょっとだけ女の子を待ってやりました。
「ほら、行くぞ。ないしょで外出たんだから、そんな大声出したらばあやに見つかるだろ」
「うんっ」
男の子──二人は兄妹なのでしょう──が待っていてくれた嬉しさに女の子は大きく頷きました。
「おにいたま、どこいくの?」
内緒のお出かけ、と聞いて女の子がわくわくしたような声で男の子に問いかけます。
「ひみつ基地だよ」
えっへん!と言わんばかりに男の子は胸を張りました。
「ひみつきち?」
「そうだよ、ひみつ基地。本当は男だけだけど、とくべつお前も子分にしてやるから」
「わーい、こぶん、こぶん!」
子分、の意味がよく分かっていないらしい女の子が手を叩いて喜びました。
「じゃあ、おにいたまは?」
「僕はあにきだよ」
どうも男の子の方もよく分かっていないようです。
「おにいたまのあにきね。やんがしゅおいたまもそういってたもん」
「そうだよ」
でもそう呼ばれてとても嬉しそうでした。
「こっちだよ」
と男の子は丘の上を指差しました。緑の草がそよぐ丘の上には、大きな石が積み上がって確かに秘密基地にはうってつけのようです。
「ひみつ基地だから、他の人には見つからないようにしないと。お父さまやお母さまにも言っちゃだめだぞ」
「はーい」
二人は一生懸命丘の急な坂を登って行きました。


「着いたぞ!」
「ついた!」
丘を登りきって、二人は歓声を上げました。いつもはちょうど目線の高さにその丘の頂きが見えるのでそんなに高いと思っていなかったのですが、実際登ると結構な高さがあります。
「ここ、おにいたまのひみつきちね」
「うん、そうだよ」
女の子は丘の上からの眺めが気に入ったのか、あちこちきょろきょろと見渡しています。一方男の子は自分のものとなった(と思っている)秘密基地の周りを検分し始めました。
大きな岩が数個、組み合わさったような状態です。牧童たちがたまにここまで登ってきては石を積んだりしていたのか、一際大きな岩の上には何個かの石が乗っていました。タンポポが揺れる草むらを掻き分けると岩陰には子供の手が入る程度の隙間があって、何か宝物を隠しておくにはうってつけのように思われました。おまけに大きな岩と岩の間には一人二人の子供なら身を潜めることができそうな空間が開いています。
男の子は大きく頷きました。
「ここは今日から僕のひみつ基地だ」
「わーいわーい、おにいたまのあにきのひみつきち!」
男の子が重々しくそう宣言すると、横で女の子が手を叩きます。
「僕のものなんだから、名前書いておかなくちゃ」
変なところで律儀な男の子はあちこち見回して白っぽい石を拾うと、岩の間に身体を入れて名前を書こうとしました。
「あれ…?何か書いてある。名前かな?」
と岩肌に消えかけた文字のようなものを見つけたのです。
「えっ、そうなの?」
岩の上からあちこちに手を振っていた女の子が岩から降りて来て男の子の横から覗き込みました。
「ちぇっ、僕が最初に見つけたと思ってたのになあ」
「だあれ?」
「消えかけてて読みにくいな…うーんと…『えーととみてあのおうち』?だれだろ」
首を捻る男の子の横で女の子も真似して首を捻ります。
「あ、まだ書いてある。んーと…『へんじん』?これ、へんじんって読むんだっけ」
男の子の指す先の文字は微かでしたが確かに「変人」と書かれておりました。
「変なの」
肩を竦め、男の子と女の子は岩の隙間から外に出ました。
と、
「王子さまー!王女さまー!そちらにいらっしゃいますかー!」
と丘の麓から呼びかける声がします。
「あっ、しまった。見つかっちゃったよ」
「みつかっちゃった」
二人は顔を見合わせ、声の方へ手を振り丘を下っていったのでした。

            ※             ※             ※

呼び戻された二人は、教育係から「勝手に外に出てはいけません」と午後いっぱい注意されて少々うんざり顔になってしまいました。
「ちょっと外に出ただけなのにな」
家族だけの夕餐も終わり、大人たちはお茶を飲みながら寛ぐその時、男の子が誰に言うともなしに呟くと隣に座っていた母親らしき女性が頭に手を乗せて諭してきました。
「でもね、皆心配したのよ。もし井戸に落ちてしまったりしていたら大変でしょう」
「そんなことしないよ」
そんなとろくさいことなんてするもんかとばかりに男の子が言い返します。
「城壁の横の丘の上がちょっと気になったんだ。それだけ」
誰かの名前が書いてあったにせよ、あの場所は秘密基地だと思っていたのでどうしてそこに行こうと思ったのかは省いてそう答えました。
「ひみつきちなのよね」
でも女の子にはそれが分かりません。あっさり秘密を話してしまいました。
「あっ、ばか。ひみつなんだってば!」
「ふうん、秘密基地ね」
とそこまで黙って聞いていた二人の父親らしき男性が口を開きました。
「それで、秘密基地にしたのか?」
「ううん…そうしようと思っていたんだけど」
ここまできてしまったからには仕方ない、と男の子は仔細を話し出します。
「だれか先に来ていた人がいたみたいだったんだ。名前みたいなの書いてあって」
「そうか。それは残念だったね」
「うん…」
父親の言葉によって男の子の心に今更ながらがっかりした感覚が甦ってきました。
「ねえおかあたま」
急に女の子が母親に話しかけました。
「なあに」
「『へんじん』ってなあに?」
「変わっている人のことよ。それがどうかしたの?」
急な問いに首を傾げながらも母親は女の子の疑問に答えてやります。
「あのね、おにいたまのひみつきちにそうかいてあったの」
「そうそう。うーんと、『えーととみてあのおうち』で、『変人』だっけ。でも変な名前だよね。変人だからかな」
二人の他意のない言葉に両親の顔色が変わったのですが、子供たちはそれに気付きませんでした。
「そ、そう」
母親の頬は真っ赤です。
「そうか」
父親は何故か笑いを堪えておりました。
「今日は随分遊んで疲れただろう。早くお休み」
「そ、そうね。あの丘を登ったのだったら大変だったでしょう」
慌てて子供たちを部屋に送り出そうとすると、男の子が母親の言葉に気付きました。
「えっ、お母さま、あの丘に行ったことあるの?」
母親はますます慌てました。
「えっ、その…ええ、行ったことあるわ。でもそのお話は後でね」
後ろで父親がにやにやしております。ちら、とそちらに眼を遣って、
「明日のお茶の時間にゆっくりお話ししましょうね。さ、おやすみなさい」
「はーい。おやすみなさい、お父さま、お母さま」
「おやちゅみなさい、おとうたま、おかあたま」


メイドの手によって二人の子供が部屋を出て行った後、母親が父親に向き直りました。
「もう、そんなに笑わないで」
「だってあれ…」
父親は今や爆笑しております。
「書いたのミーティアだったでしょ。あの頃時々間違えてたよね、自分の名前の綴り」
「そういうエイトだって」
つられたように母親──ミーティアも声に笑いが混じります。
「『変人』って書いたの、エイトよね。あの時難しい言葉を知っているのねって感心したんですもの。形が似ていたから、ずっと正しいのだと思っていたけれど…」
父親──エイトが頬をつねろうとするのをかわし、笑い続けています。
「いいよ、どうせ『へんじん』だし」
拗ねた振りしてそっぽを向くエイトの髪を引っ張って向き直らせると優しく笑いかけました。
「うふふ。エイトが『へんじん』ならミーティアも『へんじん』よ」


二人で一頻り笑いあった後、エイトがこっそり耳打ちしました。
「あれを書いたってことは子供たちには黙っていよう」


                                          (終)



2007.5.18 初出




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