秘密のおでかけ7





7.

「おう、エイト。遅かったな」
へとへとになって城門に辿り着くと、衛兵がエイトに向かって陽気な声を掛けてきました。
「姫様が行方不明になっちまってよ、井戸の中まで浚って大騒ぎだったんだぜ。お前はいいよな、お祭りに行って、その上女連れで…あっ!」
エイトの背後に立つ女の子が誰なのか漸く分かったようです。
「姫様?!姫様でいらっしゃいますな?すっ、すぐこちらへ」
と兵士に言われたのですが、ミーティア姫はぺたんと座り込んでしまいました。城へ上る道で最後の体力を使い果たしてしまったのです。それに何とか家に帰り着いたという安堵感で緊張の糸が切れてしまったのでした。
「お、とう、さま…」
姫の目から涙が一筋、流れました。そうなると悲しい訳でも、怖い訳でもないのにぽろぽろと次から次へ涙が零れてきます。それを慰めようとエイトは手を伸ばしました。が、そのままぱったりと倒れてしまったのです。
「エイト!」
「うわっ、どっ、どうしよう。…誰か!姫様がいらっしゃったぞ!王様の元へお連れ申せ!」
兵士の狼狽え騒ぐ声を聞きながらエイトの意識は遠くなっていったのでした。


ミーティア姫と気を失ったエイトは駆け付けた兵士の手によってトロデ王の部屋に運ばれました。
「お父様!」
「姫!」
抱きかかえられていた兵士の手から滑り降り、姫はトロデ王にしがみつきます。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お父様。心配をおかけして。ミーティアがわがままを言ったせいでエイトが、エイトが…」
「うむ、よしよし泣くでないぞ」
王は姫の頭を撫で、
「誰ぞ」
と控えていた侍従に呼びかけました。
「神父殿をこちらへ。…おぬしはご苦労だった。その者は長椅子の上へ」
二人を抱きかかえて連れてきた兵士を労います。兵士が下がると入れ違いに王宮付きの神父がやってきました。
「あっ、神父様。あの、あのね、エイトがね…」
ミーティア姫は一生懸命どうしてエイトがそうなったのか話そうとしました。でも気が急いて上手く言葉が出ません。
「大丈夫でございます。この者は…ふむ、どこかで毒を受けたのでしょう。手当ても無しに動き回って毒が身体に回ってしまったようですな」
「エイト、エイトは死んじゃうの?!」
「どうか姫様、お鎮まりを。ただ気絶しておるだけでございます。ならばまず毒を抜いて…ほい!」
神父は続け様に呪文を二つ唱えます。柔らかな光がエイトの身体を包み込んだかと思うと、たちまち蒼ざめたエイトの頬に血の気が戻ってきたのでした。
「エイト、よかった!…神父様、どうもありがとうございました」
「なんの、なんの。神に仕えるものの心得でございます」
「うむ、ご苦労であった」
「ははっ」
王の言葉を機に神父は一礼すると部屋を出ていきました。


「…」
エイトが目を開けると霞がかかったような視界のはじに誰かの顔が見えました。涙を一杯に溜めてこちらを見ているのは…
「エイト!」
ミーティア姫です。
「よかった…エイト、急に倒れたから、死んじゃうんじゃないかって心配していたの」
「あ…」
城門に辿り着いたその後の記憶があやふやなのはそのせいだったようです。それにしてもここはどこなのでしょう。
「ここ、お父様のお部屋よ」
だんだん目が慣れてきました。豪華な調度が並んでいるのが見えます。と、姫の頭が引っ込み、代わってトロデ王が顔を出しました。
「気分はどうじゃ」
「はっ、はい、あのっ、も、申し訳ありませんでした」
慌ててエイトは身を起こし、深くお辞儀しました。まだちょっとふらついていて、勢い余って頭をぶつけてしまいましたが。
「うむ。では二人とも」
突然王の口調が一変します。
「そこに直れ」
こんなに厳しい様子のトロデ王を見るのはミーティア姫にとって初めてでした。以前に夜、寝台から抜け出してエイトと城の中を歩き回った時以上です。エイトに至っては、
「ああもうこれでここから追い出されるのか」
と覚悟がついてしまったのか、跪いて項垂れました。
「全く、心配をかけよってからに。トロデーンでも今日は祝いの正餐があることは知っておったじゃろう。ワシゃ随分前から姫と一緒に卓を囲むものと楽しみにしておったのじゃぞ。なのに朝から姿が見えない、日が暮れても帰ってこない。もしや井戸に落ちたか、矢狭から身を乗り出して海に落ちたかともう胸が潰れんばかりじゃった」
「ごめんなさい…」
「それにエイトもじゃ。姫の願いとは言え、勝手に城の外に連れ出して危険な目に遭わせるとは。誘拐罪に問われても文句は言えんのじゃぞ」
「お父様!だってそれはミーティアがわがまま言ったから…」
「それに姫の様子ときたら…」
薮の中を走ったせいか、エイトもミーティア姫も頬や手首を枝に掻かれてみみず腫れになっていました。その上姫の膝には崖から転げ落ちた時の擦り傷があります。
「王族に怪我を負わせた者は問答無用で死刑じゃ」
「いやっ!だってこれはミーティアが勝手に転んだのですもの。エイトは悪くないもの」
姫の抗議も聞かぬ風でトロデ王は重々しく言いました。
「来るのじゃ」
「…はい」
エイトはしおしおと王の前に進み出ました。
「覚悟はよいな」
「…はい」
「お父様!」
ああ、王様自らお手討ちになるのかな、とエイトが思ったその時です。いきなり腰を持ち上げられ、思いきり尻を打たれました。
「あいたっ!」
「このバカタレが!大人に心配掛けよってからに!姫に大過なかったからよかったようなものの、何かあったらどうするつもりだったのじゃ!」
「も、申し訳、あいたっ、ありません…」
「じゃが」
トロデ王はそう言ってエイトを床に下ろしました。
「今回は姫のわがままが原因じゃったし、大事には至らなかった。よって死刑になるべきところ、お尻ぺんぺんの刑にいたす」
「あ、ありがとうございました…」
「…よかったわ…」
「よくはないぞ。姫、おぬしもこっちへ来るのじゃ。城の者に心配させ、大迷惑を掛けたのじゃぞ」
「ごめんなさい…」
「エイトの怪我もじゃ。姫のわがままがどれ程の者を困らせたのかよーく考えてみるがよい」
と王は言うなりミーティア姫も横抱きにしてお尻を打ちます。
「いたっ!ごめんなさい、お父様。もう、わがまま言いません!」
「心配した、のじゃぞ…」
トロデ王の呟きは姫にも聞こえ、申し訳なくてぽろぽろと涙を零してしまったのでした。
「さて、二人とも、罰として今晩の食事は無しじゃ」
王はちょっと赤くなった手に息を吹き掛けながら言い渡します。二人ともそれを聞いてがっくり肩を落としました。仕方ない、とは分かっていてももうお腹ぺこぺこです。
「と言いたいところじゃが、それでは身体に悪い。厨房にパンとミルクを用意させた。今夜はそれを食べたらすぐ寝るのじゃ。明日の朝一番で城の者皆に謝るのじゃぞ」
「はい」
「はい、お父様」
二人はその言葉に深く頷いて部屋を出たのでした。


厨房に行くと、隅のテーブルに二人分の夕食が置かれていました。が、どうしたことか、予想していたような簡素なものではありません。こんがり焼けたパンの上にはチーズが蕩け、ミルクは蜂蜜入りでほかほかと湯気を立てています。おまけに無花果のシロップ漬けまで付いていました。
「お父様…」
「料理長さん…」
二人は感謝してその夕食を食べたのでした。


次の日、トロデ王に言われた通り二人は城の人たちの前で謝りました。姫は教育係からたっぷり小言を頂戴し、エイトは厨房のおばさんに怒られ、料理長からは拳骨を頂戴してしまいました。
その後、仕事に行こうとするエイトの袖をミーティア姫が掴みました。
「エイト…」
「どうしたの?」
姫はしょんぼりしています。
「ごめんなさい、ミーティアのせいで」
「ううん、いいよ」
「でも」
「一緒にトラペッタに行けて楽しかったし、平気だよ、これくらい」
エイトの言葉に姫はこっくり頷きました。
「ありがとう、エイト。ううん、エイトお兄様」
にっこり笑ってそう言うと姫はエイトの頬にちょんと接吻して行ってしまいました。
「…」
姫が行ってしまった後、エイトは頬に手を当てました。けれども今は頬を赤らめていません。姫に「お兄様」と呼ばれて思い出したのです。森の中でちゃんと守ってやれなかったことを。
「ごめんなさい」と言われましたが、謝らなければならないのは自分の方だ、とエイトは思いました。でも同時に姫を守るには力も、経験も圧倒的に不足しているこということも今回思い知らされたのです。最後の最後にミーティア姫が「お父様」と泣いたことは、自分が頼みにするには足りない存在であると言われたも同然でした。それにトラペッタでも攫われそうになった姫を助けてくれたのはどこかの少年だったではありませんか。
「…頑張ろう」
強くなって、ちゃんと姫を守れるようになろう。エイトはそう心に誓ったのでした。

                                       (終)



2006.1.1〜2006.2.3 初出 2006.11.5 改定










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