シロツメクサの約束





私はトロデーン西教会で働いているシスターでございます。最近、こちらの教会へ派遣されて参りました。
この世界には街中の教会の他、辺境の地にも教会がいくつかあります。それらは本来旅人たちのために建てられたものですが、時々訳ありの人々がやってきては懺悔をしたり、こっそり結婚式を挙げたりしています。
こういった辺境の教会はいわゆる出世コースから外れた人が派遣されると言われていますが、私は出世には全く興味がなかった上、そういった人生模様を垣間見たかったのでこちらの教会を選びました。
少し歩けばトロデーン城がありますが辺りに集落はなく、これはのんびりとできるかな、と思っていたのですが意外にも人はたくさんやってきました。猟に出て毒を受けた狩人や、怪し気な物を拾って呪われてしまった人など、教会を訪れる人が途絶えることはありません。
新米の私と、年老いた神父様の二人しかそういった治療はできないので、割合忙しい日々を送っています。でも期待していた駆け落ちカップル二人きりの結婚式という状況には未だ行き当たらず、ちょっと残念な気もしていました。
ところがある朝のこと、ついに期待していたことが起こったのです。人目を忍ぶように一組の男女が入ってきて、神父様に式を挙げてくれるよう頼みました。神父様は一つ二つ二人に確認をとると式を挙げることを承諾し、私にブーケを作ってあげるよう命じました。
私は事の成りゆきにすっかりわくわくしながら花を摘もうと外に出ました。急いで野に咲く雛菊<や野ばら、きんぽうげなどを集めていると、子供たちが駆け寄ってきました。
「お姉さん、教会の方?」
碧色の瞳が印象的な女の子が話し掛けて来ました。すると、
「しーっ、シスターさんって呼ぶんだよ」
しっかりした感じの連れの男の子が注意しました。
「あっ、そうだったわ。ごめんなさい、シスターさん」
「いいのよ、好きなように呼んでくださいな。ところで何かご用かしら?」
そう言うと女の子の方がにっこりして手に持っていた花束を差し出しました。
「もしよかったらこれを使ってください。シスターさんお花を集めているみたいだったから」
ここに来るまで集めたのかとても色鮮やかな花束でした。
「まあ、どうもありがとう。この花束を持つ人もきっと喜んでくれるでしょう」
お礼を言うと二人は顔を見合わせました。
「誰かにあげるの?教会に飾るんだと思ってた」
「これから教会で結婚式を挙げる人たちがいるのよ。これは花嫁さんが持つブーケなの。あなたたちもよかったら教会でお祝いしてあげて」
そう言うと女の子の方がぱっと嬉しそうな顔になりました。
「ほんと?ねえエイト、見に行ってもいいでしょう?」
「うん、いいよ」
エイトと呼ばれた男の子が頷くと、女の子は小さく手を打ち合わせ、
「結婚式を見るのは初めてよ。わくわくするわ」
「わくわくしてもいいけど教会の中では静かにしててよ。この前みたいにきょろきょろしてると変だよ」
「ひどいわ、きょろきょろしていたのはエイトじゃない。何を見ているのか気になったんですもの」
兄妹かしら?仲良しの幼馴染ってところかしら?男の子の方がお兄さんかな?二人のやり取りを聞きながら私は急いでブーケを作って、
「さっ、できた。二人とも、式を見たかったら一緒にいらっしゃいな」
と、教会へ二人を連れて行きました。


式の準備は調っているようでした。教会の扉の前に新郎と何とか持ち出したらしい白いドレスに着替えた花嫁が待っていましたので、ブーケを渡し、
「この子供たちも式に参列してもいいでしょうか」
と言いますと
「まあ、可愛い子供たちですこと。私たちの結婚を祝ってくれる人などいないと思っておりましたのに、本当に嬉しいですわ」
と言ってちょっとだけ涙ぐんでいました。
「花嫁さんが泣いてはいけませんよ。扉が開いたらまっすぐに祭壇へ進まれて、後は神父様の問いにはっきりとお答えください。
私たちは一足お先に入らせていただきます」
是非一度言ってみたかった台詞が言えて若干興奮気味な私と、さっきまで口げんかしていたけれどここにきて急に神妙な顔になった二人の子供は先に教会の中へ入りました。
子供たちは後ろの方に腰掛け、私は式の補助のため内陣へ入ります。神父様は私に頷きかけると、扉を開けるよう指示して式を始めました。


式は恙無く進み、子供たちも見守るなか、二人は指輪を交換して誓いの口付けを交わしました。
「二人の行く末に神のご加護のあらんことを」
神父様の祝福を受け、二人は一礼して式は終わりました。華やかなことは何もないひっそりとした式でしたが、夫婦になったばかりの二人はとても幸せそうでした。神父様、宿屋のおかみ、子供たち、そして私に見送られ、新婚の二人は教会を出て行きます。去り際にブーケを女の子に手渡して。そして扉を出たところで花婿が、
「皆さん本当にありがとうございました」
と一礼すると花嫁を抱き寄せ、ルーラでいずことも知れず去っていったのでした。
なんだかいいことをしたような気持ちで、教会の外で二人の去った空を見送っていると裾を引く者があります。見るとさっきの女の子が私を見上げていました。屈み込んで、
「どうしたの」
と聞いてみました。
「あのねシスターさん、ミーティアたちも結婚したいの」
「えっ」
ちょっとびっくりしたけれどそれは子供の言うこと。きっとさっきの式を見て自分たちもしてみたくなったのでしょう。まだ結婚の意味も知らない子供ですし。
「あのね、結婚は大人にならないとできないのよ」
がっかりさせないよう優しく言った後で、これならいいかな?ということを思いつきました。
「そうね、今すぐ結婚はできないけれど結婚のお約束ならできるかな。どうする?」
「本当?!」
「でも結婚って二人がしたいって思わないとできないのよ。二人ともいいの?」
男の子の方はそっぽを向いています。女の子──ミーティアって言ったかしら?──が、
「いいわよね、エイト?」
と顔を覗き込むと、ますますそっぽを向きましたが、
「う、うん」
と顔を赤くして頷きました。
「お約束ってどうするの?」
「さっきの結婚式みたいなことするんでしょう。でも僕たち指輪なんて持ってないよ」
「うーん、じゃ何か代わりになるもの、例えばこのお花なんていいんじゃない?」
ことの成り行きがすっかり面白くなった私がそう言うと女の子が手を叩きました。
「あっ、いいことを思いついたわ」
と、駆け出していきました。しばらくして戻ってきたその手にはシロツメクサが握られています。
「これで指輪を作るわ。いいかしら?」
そう言うと花を絡めて指輪を作り始めました。私は男の子と顔を見合わせその様子を見守ります。男の子は渋々といった顔を作っていましたけれど、口の端が笑っていましたとも。
「シスターさん、あのね、この指輪でいいかしら?ちゃんとお約束できる?」
女の子はとても真剣な眼差しで私にそう聞いてきます。その横で男の子も真面目な顔で私を窺っていました。あまり真剣なのでちょっと可笑しかったのですが、笑っては可哀相なので、
「いいですとも。約束しますって誓った印ですもの」
真面目に答えてあげると二人の顔がぱっと輝きました。嬉しそうな顔を見ると幸せな気持ちになれます。そう言えばさっきの二人もそうでした。
今日はいい日だわ、と思いながら、
「ではエイトくん、あなたは将来この人と結婚すると誓いますか?」
と問い掛けると、さっきまでもじもじしていたはずの男の子は女の子の顔を見てしっかりと、
「はい、誓います」
と答えました。
「ミーティアちゃん、あなたは将来この人と結婚すると誓いますか?」
女の子も男の子に向かってにっこりして、
「はい、誓います」
とはっきり答えました。あまりにかわいらしい様子に口が綻びながらも厳かに、
「お約束の印に指輪の交換を」
と言いますと二人ともさっきのシロツメクサの指輪をお互いの薬指に嵌めあいました。
「僕の気持ちです」
「ミーティアの気持ちです」
と言いあいながら。
「では誓いの口付けを」
さてこの子たちはどうするのかな?きっとほっぺにするのよね、と思いながら見ていると、もじもじと見合っていたと思ったら男の子が手を取ったかと思うといきなり唇に接吻したのです。
さすがに女の子もびっくりしたらしく一瞬目を見開きましたがそのまま瞳を閉じて誓いの口いの口付け──ままごとみたいなものですけれど──を受けていました。
時間にすれば大して長くはありませんが唇を離した時、女の子の方は頬を染め、男の子の方はにこにこ顔で、
「将来お嫁さんになってね」
と言ったものでした。最近の子供ってませているわね、と見ていると女の子も、
「絶対ミーティアをお嫁さんにしてね」
と答えたのでした。
「大人になったらいらっしゃい。その時は本当の結婚式をしてあげる」
「はい」
幼いながら、いえ、幼いからこそまっすぐに好きな気持ちを示せる二人を羨ましく思いながらそう言うと、二人は深く頷いたのでした。

            ※            ※           ※

あれから十年近い年月が過ぎました。あの時の子供たちは時々教会に遊びに来ては、
「もう結婚してもいい?」
と聞いてきたものですが、ここ数年はぱったりと姿を見掛けなくなりました。それもそうかもしれません。きっとあの時の子供たちも今では年頃になっているでしょう。幼い日の約束を忘れ別の道を歩いているのかもしれません。それもまた世の常です。それに納得がいかず神職の道を選んだ私ですが…これは個人的なことでしたね。
そのようにかつてに思いを馳せつつ日々の勤めを果たしていましたが、ある日トロデーン城に恐ろしい災厄が降り懸かり城は一夜にして滅び去りました。人々の往来も途絶え、教会はすっかり淋しくなってしまいました。城の様子を窺いたくとも強い魔物が城内に溢れ、無事に帰ることすら覚束ない有様。
そんなこんなで城の人々を案じていたある日、一組の旅人たちが教会を訪れました。先頭に立っていた男性には見覚えがあります。背も伸びて凛々しい様子でしたが、あの時の男の子でした。連れの中にあの時の女の子は…いませんでした。やはり時の流れに負けてしまったのねと見ていると、こちらに気付いた様です。
「ご無沙汰していました、シスターさん」
すっかり大人びた様子でした。
「これからトロデーン城へ行くんです」
「まあ、魔物が徘徊して危険なのに。悪いことは言いません、止めた方がいいのでは」
私は引き止めましたが彼はきっぱり
「いいんです。何としても行かなくては」
そう言った後、小さく、
「あの日の約束の為にも…」
と呟いたような。いえ、気のせいということにしておきましょう。忘れていなかったということになぜか泣きたくなるのでした。人ごとの筈なんですが。
「旅の平安をお祈りいたしましょう」
「ありがとうございます、シスターさん…また来ます」
そう答えて彼らはトロデーン城へ向かいます。戸口で見送りながら私は心から旅の無事を祈ったのでした。


                                          (終)



2005.2.14 初出  2006.8.31 改定




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