primavera




その日のミーティア姫は明らかに挙動不審だった。
廊下に出る時は辺りを窺い、人影が見えようものなら物陰に隠れようとする。名を呼ばれる度にびく、と身を震わせ物に怯えたような表情を覗かせる。
余りにおかしいので食事の席でトロデ王が、
「何かあったのか?具合でも悪いのか?」
と心配する程であった。
「い、いいえ、あの、何でもありませんわ」
そう答える姫の頬は薄紅に染まる。
「…ふむ。最近忙しかったからの…そうじゃ、今日の午後は勉強を休みにせい。その分少し多めに散歩したらどうじゃ」
「えっ、あの……はい」
父王の言葉に蚊の鳴くような声で返答すると、姫の頬はますます赤くなってしまった。
「うむ、近衛の方にもそのように通達を出しておくからの。気晴らしするがよいぞ」

           ※          ※          ※

本来なら楽しみな筈だった。散歩の時だけはあまり人目を気にせずエイトと話すことができるのだから。
だが、昨日のことを思うとミーティア姫の心は晴れない。誰にも知られなければ、と眠るエイトに口づけしようとしたところ当の本人が眼を覚ましてしまったのである。あまつさえエイトに素っ気無く―むしろ怒っているようにさえ見えた―こちらを見返され、恥ずかしくなって逃げてしまったのだった。
(せめて護衛がエイトでなけれぱ)
でも本当にそれを望んでいるのかどうかミーティア姫自身にも分からなかった。エイトと一緒にいられるのはほんの一時のこと。この散歩が姫にとって本当に貴重な時間だった。顔を合わせるのは恥ずかしい、でもこの機会を逃したら一緒にいられるのはいつになるだろう。
そう思うと姫の心は相反する思いに引き裂かれるのだった。


ついに午後の散歩の時間が来てしまった。エイトがいて欲しいのかいて欲しくないのか分からぬまま、部屋を出る。
「護衛仕ります」
扉の前で控えていたのはやはりエイトだった。
「あ、あの…よろしくね」
動揺しているミーティア姫に怪訝そうな顔をしたが、エイトの様子はいつもと変わりない。
「で、では、行きましょうか」
顔を合わせた瞬間跳ね上がったかに思えた心臓がまだ姫の薄い肋骨を打ち鳴らしていたが、何とか言い切って身を翻す。数歩下がってエイトの靴音が従った。


歩いて行くうち、ミーティア姫は自分一人動揺していることが馬鹿らしく思えてきた。
(覚えていないのかしら)
あんなにぱっちり眼を開けてこちらを見たのに、と疑問に思ったが、エイトはいつもと全く変わらず淡々としている。
「あの…」
「はい」
聞いてみようかとは思ったものの、上手い言葉が見付からない。下手に突いて薮蛇になったら、と思うと結局出てきたのは無難な言葉だった。
「…陽射しは、暖かくなってきたけれど、風は冷たいわね」
「はい、そうですね。今日はちょっと風が強いですし」
返答もいつもと全く変わらない。
(やっぱり気付いていなかったのかも)
そう考えると何だかちょっとだけ楽になったような気がした。
「あら」
ふと眼を上げると、どこから飛んで来たのか薄紅色の何かの花びらが一枚、風に舞っていた。
「どこから飛んで来たのかしら」
「城の外でしょうか。庭の花はまだ咲いておりませんから」
エイトも姫の言葉につられるように花びらに眼を遣る。
と、その時。
「きゃっ!」
一陣の強い風が巻き起こり、咄嗟に姫は眼を閉じた。砂埃が顔に打ちつける。
が、風が止んだことにふと気付いて眼を開くと、エイトが前に立っていた。
「あの…髪に何か」
さりげなく風上に立って姫を庇いながらそう言う。
「あ…」
ミーティア姫は急いで髪に手を遣ったが、分かる筈もない。
「…取りましょうか?」
「ええ、お願い」
エイトの手が伸びて耳の後ろの髪を梳く。地肌に触れることはなかったが、さやさやと揺らされる髪の感触が心地良く、姫は目を閉じた。
「あの…取れました」
無限とも思える一瞬の後、手が離れたことに一抹の寂しさを感じつつ、姫は目を開いた。
「埃かと思ったんですが、花びらでした」
エイトの指先には先程のものであろうか、薄紅の花びらが乗っている。
「ここにおられると埃塗れになってしまわれます。あちらの方がよろしいかと」
エイトの言葉はもっともだった。
「そうね。そちらに行ってみましょうか」
ミーティア姫は頷くと、エイトの指し示す方へ足を向けた。エイトもそれに従う。


だからミーティア姫は気付かなかった。背後でエイトが姫の髪に絡んだ花びらにそっと唇を当てたことに。


                                    (終)




2005.3.26 初出









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