3.

あれから何年が過ぎたことでしょう。
父の野望と自分の愚かしさにほとほと愛想が尽きていた私はある夜家を抜け出し、とある僧院の門を叩いたのです。そして俗世との縁を断ち、神職への道を歩むこととなったのでした。
宮廷の生活に慣れた身では修行は辛く、厳しいものでした。ですが馴染むにつれてかつての華やかな生活よりこの修道院での生活の方が有意義で実り多いもののように感じるようになったので
す。思索の中、己の醜さや愚かさを見詰め返すことは時に辛いものでしたが、それを悔い改めていくという行為にはどこか清々しささえありました。実際私はこの生活が肌に合っていたのかもしれません。
修行の甲斐あって、傷の手当て程度の簡単な呪文の他に難しいとされている蘇生呪文をも身に着けた私は僧院を出ることになりました。俗界の困っている人々の力になるために。
丁度雪越しの教会と呼ばれているリブルアーチから雪国へと向かう街道沿いの教会の神父様が、高齢を理由に退任を願い出ておりました。私はそこに派遣されることとなったのです。
最初は仕事に慣れるまでと一緒に働いておりましたが、その方は一年足らずでご退任になり、それからはずっと私一人でこの教会を切り盛りしております。街と街を結ぶ重要な地点にあり、また、街と街の間隔が長く休む場所もないので人の出入りは割合頻繁でした。リブルアーチやオークニスの方へは船を使って行くことができなかったためです。
旅の商人もやってきては俗界を離れてしまった私にも世の動きを教えてくれます。商売に必要だとかで彼らはかなり詳しい情報を持っていました。地理的なこともありこの西の大陸の各国の話を特によく聞くこととなりました。
エルトリオ様が出奔なさった後、国王陛下は体調を崩されてクラビウス様が摂政として政を見ておられたのだとか。未だ行方知れずとなった兄君を探しておられるとかでこちらの教会へも見覚えのあるサザンビーク兵の制服を着た者たちがやって来たことがあります。
「エルトリオ様の消息を知る者はおらぬか」
と。ですがあの方の消息は城門を出てベルガラック方面へ向かったという門番の証言の後はぷっつりと途絶えてしまったのでした。
しばらくすると今度はオークニスから来た旅人の一団が教会に立ち寄りました。皆、腕に喪章を巻いています。この方々はサザンビークへの弔問使なのでした。長く病床にあられた国王陛下がお隠れになられたのです。私もかつてのこともあり、こちらからひっそりと御霊の安らかなることをお祈り申し上げました。
そのうち崩御遊ばされた時のご様子が漏れ伝わって参りました。クラビウス様にサザンビークの良き王となるようにとのご遺言の後、誰かのお名前を呼ばれてそれを一期となったのだそうです。その名は先に亡くされた二人の王妃様でも、行方を案じ続けたご子息でもなく、北の大陸、今は退位遊ばされた先のトロデーン女王のお名前でした。かつて昔語りに聞いていたようにずっとその方の面影を心に抱いていらっしゃったのでしょう。
ですが子まで成した妃より、ご自分の血を分けた御子より今際の際にその方の名を呼ばれたことに何とも言えぬ寂しさを感じてしまったのでした。


そのような悲しい使いもあれば喜びに満ちた使いもありました。
言い遅れましたが、クラビウス様はエルトリオ様が城から出て行かれた後すぐにご結婚なさっておられました。お妃様は、おしゃべりな商人の言うには「容姿は十人並み」だったそうですが、夫婦仲は大変良かったそうです。とても陽気な明るい方で、兄君を失い王国を支える重責を担っておられるクラビウス様の良き伴侶であられたとか。
やがて玉のような御子を授かったとかでそのお祝いの使いが教会の前を通って行きました。ころころと太った、金髪の巻き毛のそれは可愛らしい王子様でいらっしゃったそうです。クラビウス様も王妃様も世継ぎの御子を目に入れても痛くない程溺愛していらっしゃる、という噂もこちらに伝わっておりました。
が、その後私にとって衝撃的な知らせが飛び込んできました。御代替わりしても引き続き大臣の座にあった父が急に罷免されパルミドへ亡命したというのです。軍の武器納入の際に賄賂を受け取ったというのが直接の罪状でしたが、政敵の仕掛けた罠に引っ掛かったというのが実情のようでした。その政敵が父に替わって大臣の椅子を手に入れたのです。北の大陸の名家、アルバート家との縁が強かったその新大臣はその筋から今までより安く質のよい武器を仕入れることができました。そのため、
「今までずっと武器商人と癒着して差額を懐に入れていたに違いない」
と罪に問われたのです。
世俗の縁を断ち切って神職の道に入った私ですが、そこはやはり親のこと。会いに行くことは叶いませんが南の大陸から来る旅人には父の様子を聞くようにしております。時には言付けすることも。それによると父は粗食になったせいか持病の痛風が大分良くなったとかで、むしろ以前よりお元気なのだとか。そして訪れる客に新しく大臣になった男の悪口を吹き込んでいるのだそうです。
そんなこともありましたが、街から離れたこの地は概ね平穏でした。世間の風はこの教会を吹き過ぎるだけで内部まで掻き乱すことはありません。辺境の地故、教会内の派閥抗争や権力争いもなく、ひたすら穏やかに月日は流れていったのです。
そうなると俗界のことはますます遠く感じられるようになりました。クラビウス王のお妃様が落馬して運悪く溝にはまり、頚の骨を折ってお亡くなりになったことも、南の大陸の一部で恐ろしい伝染病が流行ってどこだかの領主夫妻が揃ってお亡くなりになったことも、皆遠い世界のように思えてなりません。


そんなある日のこと、黄昏の光に紛れるように旅人の一団が教会の中へ入って参りました。新たな土地へ向かうために旅の安全を祈念しようというのでしょう。最近は行き交う旅人も少なくなっております。早速勤めを果たそうとした私は先頭に立っていた青年と目が合いました。その瞬間私は凍り付いたように動けなくなってしまいました。懐かしいあの方がそこに立っていらっしゃる…何もかも昔のまま…
昔のまま?そう思った時私は我に返りました。あれからもう二十年、あの方が生きておられたらもう四十歳を過ぎていらっしゃる筈。目の前に立ってこちらを怪訝そうに見ているこの方はまだ二十歳前でしょう。
ざわめく心を鎮め、常の通り旅の平安を祈ります。そう、この方はエルトリオ様ではございません。よく見れば違っているではありませんか。ですが…
「おい、こんな素敵なシスターさんと知り合いなのか?見忘れるだなんてつれない奴だな」
そんな様子を見ていたのか、連れの中の銀髪の青年がにやにやしながらそんなことを言いました。
ちょっと困ったような顔をしているのを見て、私は慌てて助け舟を出しました。
「これは失礼いたしました。ちょっとぼんやりしてしまいまして」
「ああ、あの、いいんです」
と青年が手を振る横で連れの中の女の方が首を傾げました。
「そう言えばあそこでもそんなことがあったわよね」
「どこでがす?」
背の低い丸っこい体格の男が問い返します。
「ほら、サザンビークで」
懐かしい土地の名にはっとしましたが、同時にしっかりと我に返りました。私の知っているあの方が他の女の方を連れている筈がございません。そのために約束された未来までも捨てて出て行かれたのではなかったのでしょうか。
「ああ、そう言えばそんなこともあったね。でもあの後すぐ『やっぱり似ていない』って言われたじゃないか」
「そうだったな。色々あったからすっかり忘れていたぜ。ところでシスター、この後のご予定は?もしよろしければ星空を眺めながら愛と信仰について忌憚ない意見を…」
銀髪の方が私に向かって何事か言いかけましたが、女の方に背後からむんずと襟首を掴まれ、教会の外へ引き摺って行かれました。何か言い訳しているような声がしましたが、しばらくするとドゴーンという衝撃音と共に、
「ふぎゃーっ!」
という叫び声が上がります。
「…またか」
青年は首を竦めると──この仕草もあの方に似ておりました──残っていた連れの男に
「今日はここに泊まろう。見知らぬ土地に行くのに体力も魔力も消耗した状態だと危ないし」
と言って側廊に併設している宿屋へと行ったのでした。

           ※          ※          ※

次の朝、彼らは早くに発とうとしています。私は勇気を振り絞り話し掛けてみました。
「皆様の旅に幸多からんことを」 「ありがとうございます、シスターさん」
その方はにっこりとして答えてくれました。その微笑み方は記憶の中のあの方とは違っていて、私は落胆しつつもどこかで安堵したのです。どこまでもそっくりでは夢か現か分からなくなりそうでしたから…
でもその微笑み方はどこかで見たことがあるような気がします。それが誰のものだったのか、そしてもう一つの可能性に思い当たったのは青年が馬の轡を優しく取って出発した後のことでした。
エルトリオ様はウィニア様にお会いすることができたのでしょうか。今もお元気でいらっしゃるのでしょうか。もしお二方にお子様が授かっていらっしゃればあの青年ぐらいのお年頃になっていること
でしょう。世俗を離れた身とは言え、気になります。あの方に家名を捨てさせたことの責任の一端は間違いなく私にもあったのですから。
次に会うことがあれば、と思っておりましたが、彼らがこの教会に立ち寄ることは二度とありませんでした。今は何処を旅しておられるのか、最早知る術はありません。


ここは雪越しの教会、旅人のための場所。私はただ、神に祈るばかりです。どの方の旅も、無事に終えられますように。あの方と、あの方に似た青年の旅が、無事に終わりますように。

                                          (終)




2005.11.18〜2005.11.24 初出 2006.8.26 改定









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