2.

それからはずっと、密かに反ウィニア包囲網を敷くことに持てる力の全てを注ぎ込んでおりました。これには父の立場も大きく物言いました。絶対的な王権の前に押し黙ってはおりましたが、本当は私を未来の王妃にしたくて仕方なかったのですから。私はただ、それとは気付かせずに父の野心を煽るだけでよかったのです。そして恥ずべきことに、対外的にはお二方のご結婚を心から祝福しているふりをしていたのでした。
ですが神様はそんな私の醜い心もお見通しだったのでしょう。ついに罰が下る日がやってきたのです。


ある夜、城に巨大な影が降り立ちました。竜です。地上最強と言われながらも直に見た者は誰もいない、伝説の生き物がサザンビーク城のテラスで咆哮しています。私はその時城ではなく家にいたのですが、その声ははっきりと聞こえました。
「娘を返せ」
と。ではあれがウィニア様の父君か、と思う間もなく新たな声が重なります。
「殺すのなら私だけを殺せ!他の者は巻き込むな!」
エルトリオ様のお声でした。風向きが悪く確とは分かりませんでしたが。
「…いい覚悟だ。我が娘を誑かした報い、その身に受けるがよい!」
「エルトリオ様!」
竜の炎は城一つをも容易く焼き滅ぼすとか。そのようなものを身に受けてはいかにお強いあの方であってもひとたまりもないでしょう。私は思わず部屋のテラスから身を乗り出して叫んでおりました。聞こえる筈もないというのに。
が、しかしその後続くと思われた破壊と殺戮の炎は起こりませんでした。時折低く竜が鳴く音がするばかりで後はしんとして何も聞こえません。居ても立ってもいられなくなってお城へ向かおうとしたのですが、親に止められてそれは叶いませんでした。
状況が全く分からずただじりじりと城を見上げることしかできぬうち、竜は不意に空へ飛び立ちました。その背には夜目にも白い何かが乗っています。
「ウィニア!」
ウィニア様でした。城壁に駆け寄るエルトリオ様──これは下からも見えました──を振り返りつつも、そのまま西の空へと消えて行ったのでした。

            ※           ※          ※

恐怖の一夜が明け、その日の朝議は紛糾したと聞いています。父の一派は勿論、
「直ちにウィニア様を離縁し、新たなる妃をお求めになるべきである。」
と主張したそうです。かねてからの下工作もあって、この意見が大勢を占めておりました。
「ウィニア様の離縁には王家の法に従いアルゴンリングを取り戻すことが先決。殿下がそれを望まれないのであれば離縁は叶わぬと心されよ」
ですが父に対抗する一派はこう主張して一歩も譲りません。さらにこの混乱に乗じて弟君のクラビウス様を王太子に、との動きすら出始めたとか。
そんな中、エルトリオ様ご本人はただ、自室に籠られているばかりでした。兄君を心配なさってクラビウス様がお訪ねになっても、扉を開こうともいたしません。ただ、
「大丈夫だ、何事もない」
というお返事ばかりだったとか。
そのような状態が数日続いた後、エルトリオ様は漸く自室からお出ましになられました。が、何としたことか、旅姿でいらっしゃったのです。
「我が妃を取り戻しに行く」
と。驚いた国王陛下とクラビウス様は引き止めようといたしました。陛下は父と王の威を以て、クラビウス様は兄弟の情で。ですがあの方はその場で王位継承権を捨てられ、只人となられて城をお出でになったのでした。
その知らせを父から受けた私は急いであの方を追いました。あちこち探し回り、漸く教会から出ていらしたところに行き会ったのです。
「エルトリオ様」
息も絶え絶えになり、髪も乱れたままの私なのにエルトリオ様はいつものようににっこりと微笑まれます。
「よかった、最後に会うことができて」
その言葉に身体が震えました。
「では、やはり行かれるのですね……」
「もう聞いていたのだね。……その通りだ。もう出発する。本当はもっと早く発ちたかったのだが、世話になった人たちに一言お礼を言いたくてね。すっかり遅くなってしまった」
恐る恐る発した問いにも事も無げに答えます。あまりにいつもと変わり無く、
「ちょっとベルガラックまで」
とか、
「サザン湖まで遠乗りに」
とでも言うような気軽なご様子でした。
「ですがエルトリオ様は次代の王となられるお方。そのような身で城を離れては」
「このまま王位を継いでも私には妻も子もない。ならば弟に継いでもらう方が面倒がなくてよいのだ」
「新しいお妃様をお迎えになればよろしいではありませんか!緊急事態ですもの、指輪のことは構うことはありませんでしょう。お持ち帰りになられたアルゴンハートはまだ残っているのでしょう?」
城門の方へ向かうエルトリオ様を引き止めようと私は必死でした。アルゴンハートは結婚指輪に作られた後、贈られた妃が亡くなるまで嵌め続け、そのまま柩の中に収められます。その後新たに妃を迎える場合は残っているアルゴンハートを切り出して新しい指輪を作るのだと聞き及んでおりました。
「私の妻はウィニアただ一人だ。それ以外の何者も私の腕の中に入れることはできぬ。彼女を認めぬと言うのならこちらが城を出ていくまで」
「そんな。だってあの方は人ですらないではありませんか。そんな者に執着なさるなんて。どうかお目を覚ましてくださいませ!」
はた、と先を行くエルトリオ様の足が止まりこちらを振り返りました。
「それがそなたの本心か」
色々言い募っていくうち、言うまいと思っていたことまで言ってしまったのです。はっと気付いた時にはもう、取り返しのつかないことになっていました。
「我が妻を侮辱するは我を侮辱するも同じ」
今までの優しく親し気な様子は失せ、冷え冷えと近寄り難いまでの威に溢れたかつての王位継承者の姿だけがそこにありました。只人の私には到底真似することのできぬ威厳に満ちたエルトリオ様が。
「エルトリオ様…お、お許しくださいませ!先程のことは失言でございました。どうかお忘れになってくださいませ」
「一度口から出た言葉を取り戻す術はないのだ。そなたの本心、しかと心に刻んでおこう」
その威の前に腰をかがめ許しを請う私に向かって冷たく言い放つと、踵を返します。
「エルトリオ様!」
「そなたと知り合うてからずっと、歳の離れた妹がいたようで楽しい日を過ごすことができた。礼を言う。
さらばだ、みすこやかに」
と振り返りもせず仰ったエルトリオ様の、涙に滲む後ろ姿をお見送りしたのが最後だったのでございます。

            ※           ※           ※

もう二度と会えないであろうあの方との別れの時にどうしてあのようなことを言ってしまったのかと激しい後悔に身を苛まれつつ、私は虚脱した毎日を送っておりました。最後の最後になって楽しかった日々を全て台無しにした愚かな私。いっそどこかに深い穴でも掘ってそこに死ぬまで落ち込んでいようかと思っていたある日、父が言いました。
「エルトリオ様は帰ってくる見込みもないし、王位継承権も持っておらん。そこでどうだ、クラビウス様の妃は。まだ決まった方もおられないというし」
私は何も言えませんでした。それが政治というものなのだとは分かっていても、心では納得できません。慕っていた人をあのような形で失いながらどうしてすぐ他の方に心を移せましょう。
「うむ、そうだ。そうすればあやつらの鼻を明かすことができる。エルトリオ様がおらずともクラビウス様に嫁がせることができれば次代の王妃の父になれるぞ」
父はもうその考えで頭が一杯のようでした。
「よいな、殿下のお心を掴めるよう、努力するのだぞ」
その言葉を聞いた時、私の心は決まったのです。穴を掘らずとももっといい方法があると。そこにこの身を捨ててしまいましょう、あの方を傷つけた罪を償うために。












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