ある女の肖像




1.

私が初めてお城の舞踏会に出たのは十四の時でした。
大臣だった父は、
「世継の王子でいらっしゃるエルトリオ様はまだ定まった妃がおられぬ。もしかしたら我が家から王妃を出せるかもしれん」
と私に強い期待をかけていたようです。ですが幼稚だった私はただ、新調の美しいドレスを身に纏ってダンスができるという喜びの方が大きくてそんな可能性は思ってもおりませんでした。
初お目見え、ということで父もかなりこだわって衣装を誂えてくださいました。慣例となっている白のドレスは柔らかな絹のタフタ地に真珠で刺繍が施され、大きく開いた胸元はリボンで飾られています。髪に冬薔薇を挿し、首には代々伝わる首飾りを巻き、衣装や飾りの重さで立っているのもやっとでした。
「おお、我が娘ながら何と美しい。これならば必ずや王子様のお目にも留まろう」
と父は言ったものです。
「お父様、私は舞踏会に行くのでございます。そんな王子様のお気を引こうなどということは考えておりません」
生意気にもそんな口答えをいたしましたが、
「よいよい、おぬしにも今に分かる。エルトリオ様が駄目でもクラビウス様もいらっしゃるからな。くれぐれも無礼な真似だけはせんでくれよ」
上機嫌な父には通じませんでした。きっとその時既に王妃の父として、そして次代の王の外祖父として権勢を誇る姿を脳裏に描いていたのでしょう。

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舞踏会の前に国王陛下から謁見を賜るということで私と父は玉座の間に向かいました。
扉が開き、廷臣たちが居並ぶ中をしずしずと進み出て、玉座の前で腰をかがめ深々と頭を垂れます。心の中でゆっくり十を数え、顔を上げますと、玉座にはすっかり銀髪になられた国王陛下がおわしました。その両隣にはご子息である二人の王子殿下が。その時は分からなかったので
すが、今ここで語ってしまっても差しつかえはないでしょう。
陛下の右隣にいらっしゃった方が第一王子のエルトリオ様でした。濃い茶色の髪に同じ色の目。すらりとして細身ではありましたが、王者の儀式では歴代の王の中でも最大級のアルゴンハートを持ち帰られたとか。
左にいらっしゃった弟君のクラビウス様は兄君と違って金髪の美しい巻き毛に薄青い目をしておられました。背はエルトリオ様と同じくらいでしたが、若干がっしりとしていらっしゃるようです。ご兄弟であるにも関わらずお二方のご様子が異なっているのは母君が違っていらしたからなのでした。とは言えどちらかが妾腹である、という訳ではありません。「サザンビーク王子」の称号は王嫡出の男子にのみ授けられるものでございます。エルトリオ様の母君が身罷られた後、新しい王妃を娶られてクラビウス様を授かったのだとか。その王妃様も亡くなられて、もう何年も国王陛下は一人身でいらっしゃいました。
それはさておき、その時分は緊張のあまり王家の方々のご様子を窺うことすらできませんでした。
それでも恙無く謁見を済ませ退出しますと下の大広間ではもう楽隊が調律の音を出しております。初めての体験に頭がぼうっとなって、夢見心地のままダンス、の筈だったのですが…
最初の楽の音に一歩踏み出そうとした時です。誰かに長い裳裾を踏まれてよろめきました。慌てて体勢を立て直そうとしましたが、さらに肘で突き飛ばされたのです。あっという間に床に倒れ伏してしまいました。遠巻きに嘲笑が広がり、いたたまれなさに身を震わせていると、
「お怪我はありませんか」
と手が差し出されたのです。はっと振仰ぐとその声の主こそ王家の色である緑を基調とした礼服をお召しになったエルトリオ様だったのです。間近で拝見したそのお顔はそれは凛々しく、目には優しい光を湛えていらして─―私は一目で恋に落ちてしまったのでした。

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ですが私はその想いを表すことはありませんでした。エルトリオ様とはその時のご縁で懇意にさせていただいておりましたが、どちらかと言えば私を歳の離れた妹か何かのようなつもりで遇しておられたのかもしれません。すでに二十歳を過ぎておられましたから。私も下手に波風を立ててそのご好意すら失ったら、と恐れていたのでした。
それにエルトリオ様にはいつもお見合いの話がございました。未だ定まる妃のおられぬ世継ぎの王子には各国の王侯から野心的な貴族まで、お相手候補には事欠きません。ですがあの方はそれらをことごとく断っておいででした。
一度、無邪気を装って聞いてみたことがあります。
「どうしてご結婚ならさらないの」
と。本当は、
「それはあなたを妻にしたいと思っているからなのだよ」
と言ってくれることを期待して。でも答えは意に反するものでした。
「結婚したくない訳ではないのだよ。まだ相手が現れないだけなのだ」
つまり私は相手ではないのだと…でもお城を訪れる全ての姫君たちを退けておいでのあの方のご様子に一縷の望みをかけていたのです。
しかしそれもつかの間のことでございました。ある日お出かけになられたエルトリオ様が何者とも知れぬ女を連れて城に帰っていらしたのです。さらにその者を妻とする、と宣言するに及んで城は大騒ぎとなりました。
北の大陸にあるというトロデーン王家にも比肩する、由緒正しいサザンビークの王后に素性の知れぬ庶民がなれましょうか。その上その者は人ですらありませんでした。人形をしていても本性は竜だというのです。いえ、城の魔術師が言うには人、竜双方が本性であり、二形を持つ者である、ということらしいのですが…
国王陛下、クラビウス様、私の父も含めた重臣の皆が結婚に反対したのだそうです。でもエルトリオ様は根気強く説得を続け、ついには許可を取り付けてしまったのでした。
ご結婚が決まられた後、エルトリオ様は直々にその方を紹介してくださいました。身分を持たぬ賤しき者よと侮っていた筈だったのに、実際お会いしてみるとそれとは信じられない程気高く美しい方でした。辺りを払うような威厳を持ちながら、にっこりと微笑むと驚く程可憐な表情を覘かせます。私は敗北感で一杯になりました。
ですがその方と目が合った時、何か黒い闇のようなものが心に萌したのです。その方──ウィニア様というお名前でした──の目の中にはヒトならぬ炎が燃えているように見えました。何者をも焼き尽くす竜の炎が。エルトリオ様の妃となられるこの方はヒトではない、とその時改めて確信したのです。ヒトではないのなら、いつか私が取って替わることができるかもしれない、と。









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