明日への標




5.



「おい、いい加減にしろ」
ククールらしからぬ凄みのある低い声で言われ、呪文を放とうとしていた腕を掴まれた。
「何するのよ!」
「それはこっちの台詞だ。無闇に呪文を放つんじゃない」
むっとしたけど、気が削がれて小さな炎が城壁に当たり、消えた。
「攻撃呪文がお得意だってことは分かるが、大したことでもないのに使うんじゃ、気狂いに持たせた刃物も同じだ。慎め」
かつて兄さんと同じことを頭ごなしに言われ、自分でもちょっとは悪かったかなと思っていたせいもあって余計腹が立った。
「何であんたにそんなこと言われなきゃならないの。兄さんでもないのに!」
「じゃあ勝手にしろ!」
腕が乱暴に放され、少しよろめいた。
「いつまでも兄さん、兄さんって死者に頼るのも程々にしろ」
「そんなこと言わないで!」
あまりの言われ様にぐっと胸が詰まる。
「…だって、生きているもの。ここに。でなければ、ここに」
そう言って自分の胸を、そして頭を叩いた。
「心がどこにあるのか知らないけど、そこにいるの。忘れたくないの!」
「そうじゃない」
知らず知らす俯きかけていた顎に手が掛かり、ぐっと引き上げられた。
「おまえのは、忘れまいとしているんじゃない。頼っているんだ」
目を覗き込まれ、たじろいだ。いつになく真面目な顔をしていたから。
「そうやって頼っていると、魂は行くべきところへ行けなくなってさまようことになるんだ」
ちょっとためらって付け加える。
「永遠に」
「嘘!」
「嘘じゃない。実際にそうなってしまった魂をどうにかするのも教会の仕事だ」
「じゃあ…」
怖いことを想像してしまった。それを言いたくない思いと事実を知りたいという思いに挟まれて口篭っていると、苦い笑いを浮かべて話してくれた。
「でもちょっと祈ってやったくらいで行くべきところへ行ける魂はほとんどなくて、大抵は強制的に消滅させるってところかな」
「そんな…」
信じたくない。でも淡々と語られているだけに妙に説得力があって、思わず身震いした。
「魔物か何かのように?」
そう訊ねる声も震えて掠れた。
「まあ、そんなところだ。キツい話で悪かったな」
私、頼っていたのかな。結果的に兄さんをそんなことにしてしまうのかな。
「思い出すくらいならいいさ」
心を読んだかのようにククールが言った。
「忘れる必要もない。思い出すことと頼ることは別物だ」
「うん…」
ちょっとしんみりした空気が流れる。が、次の瞬間ククールが食ってかかってきた。
「それはいいとして、何でお前に八つ当たりされなきゃなんねーんだ」
「当たり前でしょ?!それに何よ、八つ当たりって。こっちはちゃんと理由があって怒っているんだから!」
私も負けじと反撃する。本当に腹が立つ。ククールがその辺の女に粉かけて歩いているのを見ると。
「じゃ、言ってみろよ。言っておくが、しょうもない言いがかりだったらオレも言い返させてもらうからな」
口の減らないってこのことだわ。が、言い返そうとしてはたと言葉が続かなくなってしまった。
「それは…その」
ふっとあの時のメイドの言葉と顔が頭を過ぎった。その途端、怒りがむらむらと込み上げてくる。こんな男のどこがいいのよ、よく考えなさいよ!
「何で手当たり次第女の人を口説くのよ。隠し子なんていないって言ったけど、人のいいエイトは騙せても私は騙されないわ!」
ククールは鼻で笑った。
「手当たり次第?美しい物を美しいと言って何が悪い。っていうか言うのが男の義務ってもんだ。
それにオレの隠し子なんて産もうなんて物好き、いる訳ないだろ」
「そ、そう?」
予想外の反撃にたじろぐ。それに対してククールは余裕の表情だ。
「そうだろ。聖堂騎士団だった頃なら、子供を認知したらオレはその場で破門だ。無職のオレと乳飲み子を抱えることになる。今だってそうだ。気ままな旅人の子供を産んで、どうやって食っていくんだ?頭のまともな女ならそんなことはしないし、子供でオレを繋ぎ止めようなんていう頭の悪い女は端から相手にしない」
長々としゃべった後で、ククールは私の眼を覗き込んできた。
「…頭の悪い女は相手にしない」
いつもは軽薄な光が踊っているくせに、今日はいつになく真剣な眼をしていた。
「ゼシカ」
「それって」
沈黙に耐え切れず、何か言いかけたククールを遮って話し出す。
「『頭のいいゼシカなら分かるよな。オレは次から次へ女をとっかえひっかえするのが好きなんだ、って。だからもう、何も口出しするな』って言いたいのかしら」
行儀悪いって分かってたけど、ふんと鼻を鳴らして腕組みする。もうくだらない言い訳なんて聞きたくないから。
「違う」
が、ククールは引き下がらなかった。ぐっと身を乗り出すと二の腕を掴んでくる。
「最後まで言わせろよ…本当はもっと早く言うべきだったんだ。でもつい躊躇っちまったせいでここまで来ちまった」
そう言いながらもなお、次の言葉を探すかのように視線をさまよわせた。
「迷うくらいなら言わなきゃいいわ」
「ゼシカ」
腕を振り解く。何なのよ、もう。子犬のような顔をして。
「私ももう、待たない」
そう。もう待つことはやめる。欲しいものはこの手で掴む。私の必要なものは何か分かったの。一晩考えて、どうにも認めたくなかったけれど、でもこれしかなかった。もう逃さない。
「あんたが言おうとしていることなんて、私、知っているんだから」
その時のククールの顔ったら!虚を突かれて一瞬ぽかんとし(顔がいいと自慢している人のぽかんとした顔を見るのはおもしろい)、次いで「何だよー」と言わんばかりに脱力し、最後には意表を突かれたことに笑い出した。それも身を捩る程の大笑い。
「何笑ってるのよ」
「いや、ゼシカを笑ってる訳じゃないんだ。気に障ったんだったら悪かった。ただ自分がおかしくてさ。それも必死で言おうとしていたこともバレてるし」
「おかしかったわよ」
「手厳しいな。だけど気の利いた言葉なんてどうにも出てこねえんだ。いい女過ぎてさ」
情けなさそうに頭を掻く。
「風の噂でお前が結婚するらしいって聞いた時には一瞬気が遠くなった」
「あらそう」
あえて素っ気無く相槌を打つ。
「お前に相応しい男はこの世にオレ一人だってのにな」
「何その自信。どこから出てくる訳?」
くるっと身を翻す。肩越しに付け加えた。
「そこまで言うんだったら、繋ぎとめてみせなさいよ。私の心を」
丘の上にエイトたちが見える。青い空も。でも何も見てはいなかった。ただ、風だけを感じていた。
「一生かけて分からせてやるさ」
草を踏む音がして、背後から腕が回されてきた。
「オレが愛しているのはお前一人だってことをな」
「…バカ」
首を仰け反らせ、肩に頭を預ける。
「魚臭くなっちまうな」
「今回だけは特別鼻を摘まんでいるわ」
こんな時に何言ってるのかしら。でもすぐ横でくすりと笑う気配がした。
「負けないんだから」
だけど気を抜く暇なんて絶対ない。手に入れて、安心していられる相手なんかじゃないもの。
全力で捉まえてみせるわ。明日も、その明日も、ずっと。


                                           (終)




2010.2.24 初出 






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