夜想曲





深夜、一人の青年が教会に入ってきました。人目を避けるようにひっそりと内陣の椅子に腰を下ろし、何か熱心に、でもどこか悲し気に祈りを捧げておりました。
この青年には見覚えがあります。数カ月前、ここに立ち寄って、
「トロデーン城へ行く」
と告げた人でした。あの時は埃に塗れ疲れていても仲間がいて、その表情には力がありました。
けれども今は…
「旅は終わったのですか」
そっと声をかけると驚いたように顔を上げました。
「はい。シスターさんの祈りのおかげで無事に」
そう言って控え目に微笑みます。つい、立ち入ったことを聞いてみたくなりました。
「そう言えば、昔よく遊びに来ていた方ですよね。あの時一緒に来ていた女の子はお元気でいらっしゃいますか」
何の気なしに言ったことでしたがそれに対する答えは重いものでした。
「その人は…もうすぐ結婚して遠くへ行ってしまうんです」
一瞬言葉が揺らいだもののきっぱりと言い切ったその横顔は苦しそうで、見ている私も胸苦しくなります。
「せめてその人の…幸せを祈ってあげようと思って」
膝の上に乗せられた拳が小刻みに震えていました。
「そうでしたか…では微力ながら私からも祈りを捧げましょう」
と答えたものの、何とも悲しい気持ちになってしまいました。
勝手な思い込みだったのでしょう、この方々が世の習いを超えて幼い日の約束を叶えていくだろう、というのは。改めて時の流れがいかに重いかを思い知らされたような気がしました。
「あの」
いつの間にか物思いに耽っていたようです。
「今日はもう一つお願いがあって来ました。神様の前で懺悔したいのです」

             ※          ※          ※

懺悔の内容をここに記すことはできません。あくまでも神様と懺悔する者との会話なのですから。ですがそれについての所感を述べることについては神様もお許しくださるでしょう。
この世に人を造り出された時、どうして恋心などという感情をお授けになったのでしょう。どうして夫婦となる者以外にも恋情を抱けてしまうのでしょう。それよりもなぜ神の御心が定める者以外と結婚できてしまうのでしょう。
神職について十年以上になりますが未だに答えを出せずにいます。
その前に目の前にいるこの青年に言葉をかけてやらないと…個人的には赦してあげたい、というよりこの程度で罪ならば他の者はどうすればいいのでしょうか。「ただ人を恋うこと」が罪に値するとは到底思えません。
「あなたの言ったことに嘘偽りがなければ言葉は神の御元に届き、御心に適えば赦しが与えられましょう」
「どうもありがとうございました」
相変わらず自分の中から湧き出る想いに辛そうな様子でしたが、言葉にして誰かに話すことで楽にはなったようです。
「あまり思い詰めたりなさらぬよう。教会の扉はいつでも開かれております」
「はい。夜更けにお手数おかけいたしました」
頭を下げ、教会を出ていきがてらその人は小さく呟きました。
「あの時の約束、守れませんでした」
「…」
とっさに何も言うことができませんでした。けれどもどう返せばよかったのでしょう。
「でも真実だったんです、僕たちにとっては」
少なくとも二人の想いだけは真実だったのでしょう。ただそれだけが救いでした。
「さようなら、シスターさん。お元気で」
彼はきっぱりそう言うと夜闇の中へ消えていきました。


あの青年に神の恩寵のあらんことを……


                                            (終)




2005.6.11 初出









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