真夜中の散歩〜雪野原篇〜




ある日エイトからメモを渡された。いつもはこんなことはしないので不思議に思って開くとこう書いてあった。


  ミーティアへ


  昼のうちに温かい服を用意しておいてください。
  後、夕食は控え目にしててね。
  着替えしないで待ってて。

  こうやって手紙を書くのは何だか変な感じです。

  それでは夜に。

                   エイト


そういえば手紙をもらったことって今までなかった。人目を憚ってはっきりしたことは何も言えずにいたし、手紙も書けなかったから。あの頃は想いを伝え合う術は限られていて、それを思うと今は本当に幸せ。
でも今更手紙って何かしら。それに防寒着って?…もしかしてまたどこか行くの?今回は前もって分かっているし、行ってもいいかしら。でもまたお父様に心配おかけするのは悪いわ。
この前の夜もお父様に許可を貰うって言っていたけれど、無理だと思う。エイトったら二人でお父様に怒られている時も私をつついて笑わせるんですもの、あれではお父様がますます怒っても仕方ないわ。
でももしかしたら行けるかもしれないし、準備だけはしておきましょう。


夕食後、エイトが部屋にやって来た。いつもと違い長いマントを羽織っている。
「手紙読んでくれた?…準備良さそうだね、じゃ行こうか」
そう言いながら手を取ろうとするので、
「待って。どういうこと?」
と聞くと嬉しそうに答えた。
「色々交渉して決まったんだ、見張りを立てない場所を作るって。要するにこっそり出掛けて見つからないように帰ってくればいいんだよ」
「まあ」
「だから早速お出掛け」
エイトと二人きりでどこかに行けるなんて嬉しい。
「ええ、行くわ…行きたいわ」


ルーラで着いた先は…空気が冷たい?
「ここは…」
と口にした瞬間、凍りつくような空気が流れ込み、咳込む。
「オークニスの近く。寒いから慣れるまでゆっくり息を吸って」
そう言いながらエイトは私の口と鼻の前に手を翳してくれた。エイトの手の温もりで息が楽になる。
「もう冬も終わりだし、雪遊びしようと思って」
そういえば一面の雪景色を見たのはここが初めてだった。トロデーンはほとんど雪が降らない。もし子供の頃こんなに雪がたくさんあったらきっとエイトと雪遊びしていたのかしら?
「オークニスの中で見たんだ、雪だるま。作ってみようよ」
「どんな形だったの?」
「おっきい雪玉が二つで、上に顔が付いてた」
子供みたいな会話がとても楽しい。真夜中だったけれど、辺りは星明かりに照らされた雪でほんのりと明るい。私たちは雪だるまを作ったり追いかけっこをしたりして遊び回った。


「小腹空いてきたんじゃない?一緒に食べようと思ってちょっとだけど持ってきたんだ」
追いかけっこの果て、二人とも足を取られて雪の中に倒れ込んだ後、エイトが私を抱き起こしながら言う。
「ええ、ちょっと休みたいかも」
エイトの手料理を食べるなんてひさしぶり。トラペッタへ遊びに行くためにお弁当を用意してもらった時以来かしら。
風を遮るような場所に移動してエイトはふくろから鍋を取り出し、調理を始めた。小さな竈を作り、火を起こして鍋を掛け、温まったところでベーコンの脂身を溶かす。脂が出てきたら鍋を竈の横に移して削ったチーズと白ワインを入れると、代わりにやかんを火に掛けてお茶を沸かした。
「冷えたでしょう。はい、ヌーク草のお茶。変なカップしかなくてごめんね」
差し出されたカップは確かに武骨なものだったけれどとてもエイトらしい言い方に口元がほころぶ。
「ありがとう。…とってもおいしいわ」
「あまりたいしたことはできないけど、チーズフォンデュしよう。祖父からたくさんチーズを貰ったんだ」
二人で食べるチーズフォンデュはとても美味しい。先程のお茶の効き目もあって、すっかり温まった私たちは火の側に座って楽しくおしゃべりした。
ふと話が途切れた時、エイトが、
「こっちおいでよ、寒いでしょ」
と手招きする。火に面した側は温かいけれど、確かに背中側は寒い。私はエイトの隣へ座ろうとした。
と思ったらあっという間に抱き寄せられ、マントの中にしっかりと包み込まれてしまった。
「こうしていれば温かいよ」
エイトの息が耳元にかかる。
「あ、ありがとう…とても温かいわ」
最初は驚いたけれど、慣れてしまうと伝わってくるエイトの温もりが心地よい。寒さに強張っていた身体も安らぎ、私はエイトの肩に頭を持たせかけた。
「もしかしたら、明け方にあるものが見えるかもしれないんだ。それまでここにいてもいい?」
何かしら、エイトが見たいものって。でも私もここでこうしていたい…
「いいわ。エイトの見たいものって何かしら」
そう言うとちょっと笑った気配がした。
「今はまだ秘密」


それから明け方までそこにいた。よく話の種が尽きないと不思議に思うくらいいつまでも話し続けた。何を話したのか覚えていられたらよかったのに、話す端からどんどん忘れてしまう、そんな他愛もない、でも幸せなことを。
そうこうしているうちに東の空が白み始めた。空気は身を切るように冷たく澄んでいる。すぐ側のエイトの顔を見上げると、エイトは「しーっ」とでも言うかのように指をそっと私の唇に乗せた。
お互いの温もりだけを感じながらそのまま夜明けの光を待つ。やがて山の端が輝き始め、太陽が顔を出す。暁の光が私たちに届いた瞬間、辺りの様子は一変した。
何か、透明なものが光り輝きながら空を漂っている。雪ではない、完全に無色透明なもの。無数のそれが太陽の光を受けて燦然ときらめく。
「エイト…」
「すごい…こんなだったなんて…」
私たちはただ言葉もなく眼前の光景に見蕩れていた。
そういえばかつて城の図書館で見た、世界の不思議な現象を集めた本の中に書かれていた。うんと寒い地方では、空気の中の水が凍ってこういうことが起こる時があるって。そう、エイトと一緒に見ていて、いつか見たいね、って話していたこと。
「見られてよかった…」
「ええ、見ることができて本当によかった…」
かつての思いを紛れこませたことに気付いたのか、エイトは優しく頬を寄せる。
無言のまま見詰め続けることしばし、エイトがぽつりと呟いた。
「そろそろ帰ろうか」
「ええ」
帰ろうと二人で立ち上がった時、一陣の風が巻き起こる。辺りの空気はかき乱され、空中の結晶も吹き払われるかと思った瞬間、眼前で光の柱が天へ立ち上った。
朝日に輝く黄金の柱。無数の氷の欠片が風に吹き集められそこに太陽の光が当った、ただそれだけなのに、こんな夢にも思わないことが起こるなんて。
ほんの一瞬のことだった。けれど、しっかりと心に刻み付けたわ。
「エイト…ここに来ることができて本当によかった」
「うん」
「エイトと一緒ならどこへでもついていくわ」
エイトは背後から強く私を抱き締める。
「僕もミーティアと一緒ならばどこへでも行ける。一緒にいよう、いつまでも」
そう言った後、ちょっと笑ってこう付け加えた。
「さしあたっては家へ帰って温かい朝食を食べようか」
家。温かい朝食と、何よりお互いの思いに包まれた部屋が待っている、私たちの家、トロデーン。「ただいま」とエイトと二人帰っていける場所。
時々なら出かけてもいいかしら、真夜中の散歩。だって二人で同じ場所に帰っていけるんですものね。


                                             (終)




2005.3.9 初出 2007.2.23 改定









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