真夜中の散歩




眠りに落ちるまでのわずかな時間、私たちはちょっとだけ話をする。
昼間あったことや城の人々のこと、子供の時のこと、旅の時のこと。色々話すうちにもう一度愛を交わし合うことも。
その夜も私たちは寝台の中でちょっとだけのつもりで話をしていた。今夜は旅の時の話だった。あの頃は呪われていたけれど自由に外を歩くことができて楽しかった、というようなことを話しているうち、エイトが、
「明日は何の予定もないし、真夜中の散歩に行かない?風もなくて穏やかな天気だし」
と言い出した。
「でも大丈夫かしら?明日の朝私たちがいなかったら大騒ぎになるんじゃ…」
「大丈夫。ルーラで行ってすぐ帰ってこられるとこだから。ねえ、行こうよ」
近頃見ない程嬉しそうな顔のエイトを見ているうち、「行ってもいいかしら?」という気持ちになった。
「ええ、行くわ。じゃあ服を出さないと…」
「着替えなくていいよ、人のいないところに行くから。それに服なんか出してたら他の人を起こしちゃうよ」
ますますにこにこ顔でそんなことを言う。でも夜着は薄手だし、ガウンはもう少し厚みはあって透けないけれど、でもとても外を歩けるような物ではないのに。それに大体エイトなんてガウンしかないのにどこへ行くの。人のいないところってもしかして、ど、洞窟かしら?そんなところ、いくらエイトと一緒でもちょっと怖いわ。
「早く行こうよ。もうすぐ歩哨の交替時間でどさくさに紛れて外に出られるから」
エイトはそう言いながら寝台から滑り降りてガウンを羽織り、剣を背負う。私も仕方なく夜着とガウンを着た。でもこんな格好で外に出るなんて…誰もいなくてルーラで行けるところなんて、洞窟しかなかったと思うんだけど、でも洞窟はちょっと…
「じゃ、行こうか」
そう言って私と手を繋ぐと音を立てないように部屋を出る。早速封印の間への扉の前に衛兵がいたけれど、エイトが話しかけて気を逸らしている隙に私がそっと通り抜けるという方法でかわし、城の東翼のテラスに出た。
「僕にしっかり掴まってて」
そう言うエイトの身体に腕を廻すと、エイトも私を抱き寄せるーら呪文を唱えた。


風を切って着いた先は、
「…ふしぎな泉」
「うん。夜だし誰も来ないよ」
ちょっと南へ来ただけなのに夜風は暖かく、夜露もなくて薄着でも平気だった。私たちは並んで泉のほとりに腰をおろした。
不思議な色合いの光を孕んで泉は輝いている。旅の途中、エイトは何度もこの泉へ足を運んでくれた。ほんの一時、私の姿を戻してくれるために。
「ありがとう」
「ん?どうしたの、急に」
エイトへの感謝の気持ちが込み上げて言った私の言葉は唐突に聞こえたらしい。不思議そうな顔で私を見返した。
「あの旅の途中、何度もこの泉に足を運んでくれて、本当に嬉しかったの。わざわざ歩いてくれて…」
そう言うと、エイトは照れ臭そうに笑った。
「あの時は宝箱を探していたんだし、それに回復するのにちょうど良かったから」
ちょっとぶっきらぼうな言い方に自然と微笑みが溢れた。旅の終わりの方は船も神鳥の助けもあったから、歩かなくてもよかったはずなのに。
「でもああやって話すことができて嬉しかったわ。もう何年も色々な話をすることなんてできなかったから」
「…うん、そうだったね」
腕が私の肩に廻される。私もエイトの肩に頭をもたせかけた。
「前はただ怯えていたの。トロデーンを永遠に去って結婚しなければならないこととか、…エイトとお別れしなければならないこととか」
今も思い出す度に身体が震える。エイトの腕に力が込められてより強く私の肩を抱いてくれた。
「じゃあ今は?」
低く優しい声が耳許で囁く。
「今は怖くないわ。…いいえ、たった一つだけ怖いものがあるの」
ふと思い至った私は腕を外して向き直った。
「何よりも怖いのはエイトを失ってしまうこと」
「ミーティア!」
その瞬間、私はエイトに激しく抱き締められた。骨も折れんばかりに強く。
「そんな悲しいことなんて考えないで。僕はミーティアの悲しみを無くしたいのに、ミーティアがそんなこと考えていたら、僕はどうしたらいいの?」
予想外の激しさに何も言えず、ただ為すがままになっているといよいよ強く抱き締められた。
「結婚式の時の『汝のものを我がものとし』という誓いは何だと思っていたの。物だけじゃなくてお互いの喜びや悲しみを共有していこうということじゃなかったの?
ミーティア、言って。僕はその怖れに対してどうしたらいい。僕には何ができる?」
「エイト、ごめんなさい…」
あまりに強く抱き締められて息をすることすら辛い中、ようやくそう呟いた。薄い衣を通してエイトの心臓が激しく鼓動しているのを感じる。こんなに興奮させてしまってごめんなさい。そんなつもりではなかったのに。
「ただ、側にいて。こうして抱き締めてくれるだけでいいの…」
そのまましばらく無言のまま抱き合っていた。心から愛している人の腕の中で互いの鼓動を感じられる幸せを噛み締めながら。
「このまま…死んでしまいたい。一番幸せなこの瞬間に」
小さく呟くとちょっと笑った気配がした。
「駄目だよ、そんなの。ミーティアは僕と一緒に生きていくの」
そうね、そうだったわ。結婚するってそういうことなのよね。私は黙って頷くと、エイトも頷き返した。
「そろそろ戻ろうか」
「ええ。帰る前に泉の水飲んでもいいかしら?今夜の夢でエイトに会えるかもしれないし」
「いいけど…まだ逢い足りないの?」
「そうじゃなくて。夢を見るならエイトの夢がいいなって」
そんな会話をしながら二人で泉のほとりにかがみ、水面を覗き込む。何となくエイトが水を掬って飲んでいる様子を見ていたら、エイトがこちらを向いた。腕が廻されたかと思うと優しい眼差しが近付いてきて、私は瞳を閉じる。ひんやりとした泉の水が熱いエイトの唇から流れ込み、なぜか強いお酒でも飲まされたようにくらくらした。この泉の水ってこんなに甘く強い味だったかしら?…このまま崩折れ溶け合ってエイトでも私でもない一つのものになってしまいたいと思うのはなぜ?
「直に飲んではいけないんでしょ、お姫様」
ようやく唇を離してくれたエイトが私の心を見透かしたかのように悪戯っぽく笑う。
「夢の続きはトロデーンで」


                                             (終)




2005.2.18 初出 2007.2.22 改定









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