恋の名残




白々とした朝の光の中、ミーティアはうっとりと目を開いた。
見開かれた瞳にぼんやりと天葢が映る。いつもと変わらぬ朝の光。昨夜のことが儚い夢幻のように思えたが、身の内に残る鈍い痛みとすぐ隣から聞こえる微かな寝息が、確かな現実だったことを知らせてくれる。
何年も想い続け、昨日漸く結ばれた人、エイトが隣で眠っていた。
身に纏わりつく腕は自分の物なのか相手の物なのか定かではない。眠るエイトを起こさぬよう、気遣いながら頭を廻らせると、黒髪もさらさらと身に添って流れた。
エイトはこちらに顔を向けて眠っていた。無防備なその寝顔をミーティアはしげしげと見つめた。こんなにも間近で彼の顔を見るのは初めてだった。知り合ってもう十年になるというのに。
眉の生え際の清々しさ、きりりと引き締まった頬、衾から覗く剥き出しの肩は意外にがっちりして、細身であってもエイトは武官であることを思い知らされる。ふと触れてみたくなったミーティアは絡み合う腕をそっと引き抜き、指で眉をなぞった。
どうやらくすぐったかったらしい。エイトは目を閉じたまま、ミーティアの手を探るとその手を唇に当てた。「ミーティア」と呟きながら。
「エイト?」
エイトは再び寝入ってしまったようだった。ミーティアは静かに身を起こし−身体が離れたところに朝の空気が冷たかった−そっと夫となった人の唇に口づけた。エイトに触れている部分だけが温かで、なぜか涙が零れた。
「ん…ミーティア?」
「あっ…エイト?」
今の口づけで目を覚ましてしまったのか、エイトがうっすら目を開いた。慌てて涙を拭いて「おはよう」と言おうとしたその瞬間、
「…!」
いきなりその胸に抱きしめられ、唇を奪われた。
眩暈するほど長く激しい口づけの後、エイトはにっこり微笑んで囁いた。
「どうして泣いていたの?」
そう言いながらエイトはミーティアの涙を拭った指を捉らえ、涙を吸う。初めての感触に再び眩暈する。
「…」
ミーティアは何とか答えを探そうとしたが、言葉となる前にみな心から零れ落ちてしまった。きっととても大切なことだった筈なのに。
「…ごめん、もしかして…辛くした?」
ミーティアが沈黙している理由を勘違いしたのか、エイトは微笑みを収め、心配そうに尋ねた。
「違うわ」
思わぬエイトの言葉にミーティアは強く頭を振った。
「…ただ、あまりに幸せで…失うことが怖いの」
漸く見出だした答えに改めて震えた。昨夜はただ恋の叶う喜びばかりで全く気付かなかった深淵を今、意識してしまった。
「ミーティア」
身体に廻されているエイトの腕に力が入るのを感じる。
「これからはいつも僕たち一緒だよ。喜びも、悲しみもいつまでも分かち合って行こうね」
エイトの胸は広く、温かだった。どんなに恐ろしいことがあっても、この先ずっとこの人を頼っていってよいのだ、と思うとまた涙が溢れそうになった。
「ええ、そうね、エイト…」
名前を呼ぶことがこんなに愛おしい。祈りを捧げるようにその名を呼ぶ。
「愛してるわ…エイト…」
「僕もだよ、ミーティア」
愛する人の唇から呼ばれる自分の名前がこんなにも愛おしい。愛する人の腕に抱かれる自分の身体が愛おしい。愛する人に愛されている自分という存在が愛おしい。そして強く思った。自分という存在で生きていて本当によかった、と。
もう一度、今度は優しく長い口づけを交わす。唇を離した時、自然に微笑みが零れた。
「おはよう、エイト」
「おはよう、ミーティア」
朝の光が二人を優しく包む。新しい二人の日々が始まっていた。


                                             (終)




2005.1.19 初出









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