そんな二月のある日、僕はトラペッタの街へ行く用事があって、一人で─まだ外の風は冷たいからミーティアは城に居てもらって─出かけた。
城と街の間には深い谷があって長い吊り橋が架かっていたんだけど、ヤンガスと知り合った時に落ちてしまったんだよね。今はあまりに不便なので仮の吊り橋を架けているけど、将来的にはちゃんとした落ちない橋にしようとしているんだ。それでリブルアーチの石工さんたちに協力してもらって、その準備のためにトラペッタの街に集まってもらっている。
今日はその進捗状況を見るために馬でトラペッタへと向かった。計画は順調に進んでいて、何の問題もなかった。これなら春になればすぐにでも着工できるだろう。
会合は予定よりも早く終わったので、少し遠回りして城に帰ることにした。
かつて二人で遊んだ草原、暗くなって道を見失った僕たちが怯えながら通った森、仲間たちと遠い目標に向かって出発した道…
ふと、日だまりの中に白い花が群がって咲いているのに気付いた。春に先駆けて咲く、スノードロップだった。
ああ、もうすぐ春なんだな、と思った時、幼い日の思い出が鮮やかに蘇った。
遠い記憶の中からミーティアが真剣な眼差しで僕に話し掛ける。
『お父様にお花を差し上げたいの。お父様は「冬は嫌いじゃ、神経痛がひどくてかなわん。早く春にならんかのう」とずっとおっしゃっていて、とても可哀想。お花を持っていったら、もしかしたら元気を出してくださるかもしれないわ。
お願い、エイト、一緒にお花を探して欲しいの』
あの日、まだ寒いなかを一生懸命探し回って漸くこの花を見つけた。ほの暗い森の中、ぽっかりと開いた日だまりの中に真っ白なこの花がたくさん咲いていて二人して歓声を上げたんだった。
この花をミーティアに見せてあげたい。今日は一緒に来れなくてここで見る事ができなかったから少し持っていってあげよう、といくつか手折って花束を作った。
『ミーティア、スノードロップが大好きよ。だって春一番に咲くんですもの。花言葉はね…』
そう、僕もこの花が好きだった。一緒に摘んだ思い出があったから特に。
帰り道は冷たい風が吹き付けてきたが、花を懐に抱き明るい気持ちで城へと馬を向けた。


城に戻るとミーティアが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、エイト。待ってたわ」
何だか楽しそうだ。そしてとても甘い香りがミーティアからするような…
「あのね、ちょっと目をつぶっていて欲しいの」
えっ、何だろう。不審に思いながらも目をつぶるといきなり目隠しされた。
「ごめんなさい、エイト。途中で目を開けたら嫌だから、目隠しさせてね」
多分ミーティアのハンカチかな、ここからも甘い香り─お菓子の香りかな─がした。
そのまま手を引かれて廊下を歩き、階段を昇り、多分ミーティアの部屋かな、という部屋に入った。目隠しされていたんだけど、ミーティアから漂う甘い香りのせいか不思議と不安感はなかった。
「はいっ、到着よ。口を開けて」
目隠ししたままそう言われてさすがに不安になり、
「な、なんで」
と言いかけた時、蕩けるように甘く、少しほろ苦く、温かく香ばしい舌触りとちょっと熱い蕩けたものが口の中に押し込まれた。
いきなりだったので、
「うわっ!?」
と思わず叫んでしまった。でもよく味わってみると、
「…すごく美味しい」
これ何だったっけ、と思いながら口を動かしていると目隠しが外された。
「びっくりさせてしまったかしら?ミーティアからのプレゼントよ」
目の前の丸テーブルの上には濃い茶色のお菓子が香ばしい香りを放っている。中からとろりとショコラが溢れるフォンダンショコラだった。
「うん、すごく美味しいよ。これ、もしかしてミーティアが作ったの?」
そう言うと、ミーティアはとても嬉しそうに、
「今日エイトが出かけることは分かっていたから、その間に作ったのよ」
と答えた。
「異国では、恋人たちが想いを込めて贈り物をしあう日があるんですって。ある国では女の方から男の方へ甘いお菓子を贈るのだそうよ。ゼシカさんから聞いて、ミーティアも真似してみようと思ったの。
それでゼシカさんからお菓子のご本を貸してもらって、夜中にこっそり作り方の練習していたのよ」
やっぱりゼシカだったんだな。
「でもどうして秘密にしていたの?」
これだけは聞いておきたくて訊ねると、
「ごめんなさい、どうしてもびっくりさせたかったの。でもエイトとはいつも一緒だし、内緒で準備するには夜中しかなくて」
ちょっとしょんぼりしたように答えるミーティアにそっと腕を廻した。
「ありがとう、とっても嬉しいよ。でも心配したんだ。僕のために無理しないで」
ごめんなさい、という小さな声がして僕の頬に唇がよせられる。
「もういいんだ。たいしたことは起こらなかったんだし」
そのまましばらくお互いの身体に腕を廻し、無言のまま抱き合っていたが、ふとミーティアが顔をあげ、にっこりして囁いた。
「もしかしてミーティアはエイトを困らせたのかしら?」
ちょっとだけ悪戯な微笑みを浮かべるミーティアの顔は初めて見た。でも何だかとてもかわいらしい。こういうことだったらたまには困らせられるのもいいかな。
「うん、とっても困った」
「でもエイトはいつもミーティアを困らせているんですもの、おあいこよ」
ふふ、と微笑むミーティアに小鳥が啄むように口づけする。
「ミーティアにだったらいくら困らせられてもいいかな」
「もう、エイトったら」
そうだ、と思い出して懐から花を取り出す。
「僕からもプレゼント。たいしたものでなくてごめんね」
その花をみた瞬間、ミーティアの顔がぱっと輝いたように思えた。
「ありがとう、エイト。…もしかしてあの時を覚えていたの?」
「うん。それで」
僕たちのささやかな、でも大切な思い出の一つ。
「いつまでも忘れないよ。大切なものの一つなんだから」
きっと忘れることはないだろう。二人で互いを想い合いながら生きていく限り。
そう、スノードロップの花言葉は「希望」。僕たちの進んでいく道筋の一歩先に必ず咲き続けていてくれるだろう。

                                (終)



2005.1.21〜26 初出 2007.2.3 改定









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