荒野の幻影




この島に閉じ込められてもう何日になるんだろう。
ここには昼も夜もない。ただ時の経過を見張りの交替で知るのみ。
外はどうなっている?暗黒神は復活してしまったのか?法皇様は?そして王様は?あの方は、…御無事なんだろうか?
体力温存のためにみな交替で眠りを取っているけど、それは役に立つんだろうか。もう二度と地上に出ることはできないかもしれないのに。


そんな昼とも夜ともつかない眠りの中、僕は見覚えのない荒れ地に立っていた。
見渡す限り何もない、ただごつごつした岩と枯れ草と痩せ切った土ばかり。夢の中でさえこんな荒涼とした景色しか見られないのか…
いや、あちらに光が見える。あれは?
不審に思いながらも近付くとあの月の人、イシュマウリが立っていた。そしてその隣には──
「ようこそ。あの後色々思い出したことがあってあなた方をお招きしたのだ。辛い旅をしなくとも呪いを解く方法があったのだよ」
人の姿のあの方がとても嬉しそうに微笑んでいる。もう話を聞いていたようだ。僕もすっかり嬉しくなってならばすぐに、と急いで聞いた。
「教えてください、僕はどうすればいいのでしょう」
「なに、簡単なことだ」
そう言うとイシュマウリは僕に向かって杖を掲げる。あれ、あんなの持っていたっけかな…
「この呪いにかかった姫君とまぐわうだけでよいのだ」
「まぐわ…?えっ、えええっ!」
言葉の意味が分かった瞬間頭の中が真っ白になる。ちょっ、ちょっと待て!それって要するにその…
「エイト」
僕の動揺を無視してミーティアが手を差し伸べる。
「ミーティアを助けて」
その微笑みの美しさに思わず見蕩れていると、その手は頬を撫で、そのまま首に廻された。はっとした時には既に遅く、柔らかな唇が押し当てられ熱い舌が口の中に滑り込む。夢、夢だよな?時々見るあの夢じゃないよな?
「疑っているのね?」
いつの間にか唇は解放されていて、目の前でミーティアが微笑んでいた。でもその表情はいつもと違ってやけに艶かしい。よく見ると着ているものもいつもとは違っていて、着衣の意味も為さないような透けんばかりの薄衣を一枚羽織っているばかり。
「でも本物よ。ほら!」
そう叫ぶなり僕の手をその胸に導く。信じられない程柔らかな乳房の真ん中にやや硬くなり始めた乳首の存在を感じてしまって思わず身を固くする。手を離さなければ。だけどなんて柔らかいんだ…離すことなんてで…きな…い…
「力を抜いて…快楽に身を委ねればもっと楽になるわ」
切な気な吐息混じりの言葉の後、もう一度僕の唇を奪う。また舌が口を割ったかと思うと、
「う…」
今度は歯列をなぞる。自分の歯の形を描き出される奇妙な、でも抗い難い快感に痺れたようになって動けない。
唇が離れた時、どちらのものとも知れない唾液がつ、と細く筋を引いた。吸い込まれるような妖しい微笑みを浮かべ、ミーティアが僕の唇を指でなぞりながら問い掛ける。
「気持ちよかったでしょう?」
違う。何かが違う。これはミーティアじゃないような気がする。でもどう見てもミーティアだし、それになんて…ああ…
「これからもっともっと気持ちよくなるのよ」
いつの間にか上着も、その下のチュニックも脱がされて上半身は裸だった。そこへ薄衣一枚のミーティアが抱きつく。その身体の生々しい感触。ずっと堪えていたけどもう我慢できそうにない。
「止めてくれ…」
「嫌よ。だってエイトも本当は望んでいることでしょう?」
胸から離せずにいる手に触れると上から揉むように動かす。さっきよりもっと強い刺激が僕の思考を奪っていく。身体を寄せ合いたい、もっと近くに。隙間の全てをなくしてしまいたい!
「ミーティアも望んでいるのよ」
つ、と空いている方の指が胸を滑り下りる。と思うと止まって臍を優しくなぞる。
「エイトのおへそってかわいいわ」
そんな目で僕を見ないで。いけないことだと分かっているんだ。でもその身体が欲…し…い…
葛藤する僕を無視して指がくるりと臍の周囲をなぞり、さらに下へと下りて行く。
「止め…て……」
「嘘ついちゃ駄目」
そう言うとその手が服の上から僕の下腹部に触れた。
「ぐっ!」
細く華奢な指がそれを絡み付くように撫で上げる。その凄まじい快感。もう駄目…だ…!
「だってほら、こんなに私を欲しがっているんですもの!」
ミーティアがそう言った途端、異質感の正体に気付く。そうだ、違う。目の前にいるこの人はミーティアじゃない!
「あら…どうして?」
違うと分かった瞬間、一気に醒めてそれは萎えていた。がっかりしたような声を出す彼女を振り払う。
「離れろ…その姿で僕を惑わすな…」
正直言ってまだ息は乱れている。でも言う、言わなければ。
「あなたは…ミーティアじゃない。よく似ていても別人だ。そしてイシュマウリ、おまえもだ!」
そう言いざま足元に落ちていた槍を拾い上げ、一気に薙ぎ払う。そうだ、あの杖は!
「…クックック、よく分かったな」
穂先で確かに捉えた、と思ったけど躱されていた。いや、その身を闇に変えて槍を素通りさせていたのだ。封印の杖だけがその闇の中に浮かんで僕を嘲笑する。
「お前の勇気に免じて二度と戻れぬ快楽の中に溺れさせてやろうと思ったのに、残念なことよ」
やはり。危なくヤツの術中に陥るところだった。
「僕はそんなまやかしに溺れたりしない!」
「そうかな?あの者自体はお前の願望から造り出したもの。望んでおったのだろう?あの者との情交を」
「偽りのあの方など望んでいない。僕が欲しているのは…」
そう言って振り返る。そこには涙を一杯に溜めて僕を見つめるミーティアがいた。偽物だと分かっていても心惹かれてしまう、その姿。でも違う、微かな違和感が僕の心に突き刺さる。
「真実のあの方の幸せ、ただ一つだけだ!」
その言葉を発した途端、その姿は宙にかき消えた。涙を一雫、残して。それと同時に身体に残っていた痺れるような感覚も全部消え去った。
「それさえあれば何もいらない。地位も名誉も、僕の命だって!
何としてもお前を倒し、あの方の呪いを解く!」
怒りを込め、地獄の雷を呼ぶべく槍を構える。けれども闇は広がって僕を包み込み、哄笑した。
「ふははははははは、愚か者め、その身は地の底、我を倒すことなどできんわ!そのまま指をくわえて世界の終末を待つがよい!ふははははははは!」

          ※           ※           ※

「兄貴、兄貴…」
はっと気付くとヤンガスの心配そうな顔が目の前にあった。
「大丈夫でがすか?随分うなされていたでげすよ」
「あ…ありがとう。大丈夫だよ。」
嫌な汗をかいた。冷たい地面にべっとり濡れたチュニックが気持ち悪い。
だけど…あれは本当に僕が望んでいることだったんだろうか。誘惑されてその身体を貪りたいと思っているんだろうか。そうなんだろうか…
「顔色も悪いでがすよ」
「何か寝言言ってなかった、よね?」
まさかと思いつつも一応確認する。
「『止めろ』とか言っていたようでがすが、はっきりとは…」
「そっか」
よかった。こんな醜い思いを明らかにしてしまわなくて。そしてあの夢が僕一人だけのもので。あんな思いを抱いているなんてあの方にだけは知られたくない。
「外はどうなっているんだろう。何とかしてここを脱出しなければ…」
「そうでがすね…」
二人で「はあ」と溜息をついた時、「ガラガラガラガラ…」と頭上から物音がし始めた。
「また一日が過ぎたんでげすね…」
「これでかれこれ一月か…」
壁に一日の過ぎた印を付けながら呟く。
早く地上に戻らないと。王様もあの方もさぞ心細い思いをなさっているだろうに。
だけど一体どうすれば…!

                                  (終)


2005.6.15 初出 






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