好奇心の代償





しかしこの馬が本当は人だなんて、誰が信じるだろう。気品のある佇まいに従順そうな様子。事情を知らない奴が見たらよく躾の行き届いた馬だとしか思わないに違いない。
さて、それにしてもどんなご面相なんだか。普通お姫様と言ったら美人だと相場が決まっているように思われているが、その内情はそうでもないことは身を以て知っている。そういえば王族の血を引いているとか言っていた某公爵家の姫君、確かに顔は可愛かったけど口臭が酷かったな…虫も死に絶えるって、あれは。おまけに気位ばかり高くて最悪だったっけ。
うーん、でもまあ現在の様子から推測する分では悪くはなさそうだな。一国の王女様がおとなしく馬車を曵いている辺り、本当に従順なのかも知れん。
…とここまで考えた時、ふと横の馬車を曵く馬を人形で想像するとその絵面がいかにもまずいことに気付いた。うら若い─エイトと同い年だと言っていたからな─乙女が馬車の…おっと、これ以上深く考えない方がよさそうだ。
「何にやにやしてるのよ」
おまけに隣のレディに怪しまれてしまった。そうでなくても中々上手く行かないのに、こんな鼻の下を伸ばしているところなんて見られたらそれこそ一巻の終わりだ。
「それにしてもアスカンタを出てから随分歩いたな。ヤンガスの言っていた街まで結構あるんじゃないのか?」
素知らぬ顔で話を逸らす。
「ああ。アスカンタからはちょっとあるぜ」
どうやら奴の地元のようだ。土地勘もあるらしい。
「…うーん…そろそろ日も暮れるし、どこか宿を取れればいいんだけど」
地図を睨みながらエイトが言う。
「それでしたら兄貴、そこの丘を越えて湖に出ると小さな宿屋があるんでげすよ」
…オレとエイトで態度があからさまに違うのな。
「うむ、今夜はそこで宿を取ろうぞ」
どう見ても魔物面のトロデ王がそう言って、今夜の宿は決まった。

              ※          ※          ※

ヤンガスの言う通り湖畔に小さな宿があった。しっかしまたえらく寂れた場所だな。こんなんでやっていけるのかね。景色はいいんだからそれをウリにすりゃいいのに。
「あーっ、久々のベッドだわ!」
寝転がったゼシカが嬉しそうに身体を伸ばしている。
「別に野宿だって構わないんだけど、ここのところちゃんとした寝床で寝てないし、こういうのってほっとするわ」
「…」
「あら、どこ行くの?」
黙って部屋を出ようとしたらゼシカが声を掛けてくる。
「ちょっと、外」
そういう無防備な格好するなっての。相部屋なんだから少しは気を遣えよ。全く、エイトもヤンガスもゼシカのことは眼中にないもんだから増長しやがって…


外に出ると姫様が一人、ぽつんと佇んで願いの丘の彼方へ沈む夕日を眺めていた。珍しいな、普通エイトがべったりくっついているのに。
「こんばんは」
一応声を掛けてはみたが、やっぱり人とは思えないんだよなあ。「ブルルルル」と鼻を鳴らされ耳だけをこちらに向けている様子はどう見ても馬だ。呪いがかかっているからってこんなにも人が馬らしくなるもんかね。
とか考えているうち、ふと昔の事を思い出した。修道院に入る前、ドニの領主の館に住んでいた頃のことを。
オレも一応貴族の生まれだったから、小さいうちから乗馬の稽古をやらされていたんだよな。
専用の子馬なんて与えられていたっけ。馬丁とも仲良くなって色んなことを教えて貰ったな。馬の耳で感情を読み取る方法とか、正しい蹄鉄の置き方(輪になっている方を下にする)とか。
そういえばその中で結構笑えるのもあったな。馬をニヤニヤさせる方法だっけか。
「馬は変な臭いを嗅ぐと歯を剥き出しにして笑うんですぜ」
ガキんちょだったオレは早速馬小屋の馬全部にちょっと悪くなったワインの臭いを嗅がせて遊んだんだっけ。
…そうだ、どこまで馬なんだか試してみるか。酸っぱいワインはないが、お誂え向きに一日履きっぱなしのブーツがあるぞ。これはきっと相当臭うに違いない。
思い立ったが吉日、オレは早速靴を脱ぎ始めた。馬は怪訝そうな顔をしてこちらを窺ってはいるが、逃げる気配はない。
よし、これはいける─と鼻先に靴を差し出そうとしたその時。
「ククール!」
「げっ、エイト!とっ、突然何だよ」
「何だよはこっちの台詞だよ。靴なんか脱いで姫様に何しようとしていたんだ?」
どこかの街で調達してきたのだろう、カラスムギや豆といった飼料の入った袋を地面に置くとおっかない顔でこちらに向かってくる。
「何ってこれはその…」
これはまずい。魔物と戦う時より厳しい顔をしている。はっきり言って怖い。正直に答えたらどうなるか考えるのも怖い。
「僕には姫様に靴の臭いを嗅がせようとしているように見えるんだけど?」
「ちっ、違う!誤解だ!」
「じゃあ何だよ、その靴は」
「こっ、これは…」
まずい。奴の手が背中の剣に掛かっている。どうするオレ!どうすんのオレ!
「これはその…そう、そうだ、て、天気予報をしようかと」
オレも必死だ。咄嗟にそんな言葉が出てきてしまった。
「天気予報?」
エイトも明らかに虚を突かれたらしい。きょとんとした顔になった。
「そそそそうだ、天気予報だよ。オレのこのブーツで占うと百発百中でさ、明日の天気をばっちり当てることができるんだぜ」
一度思い付くとすらすら言葉が出てくる。ふん、オレだって伊達に修羅場を潜り抜けてねえ。
「ふーん、天気予報ね…」
が、話していくうちにエイトの眼から表情が消えていった。言葉が終わると同時にひんやりとした空気がオレの周りに立ち篭める。
「そんなに自信があるんだったら、占ってもらおうか。いや、ククールがわざわざ投げる必要はないよ。僕がしっかり投げてあげるから」
にこやかに言い放つ…けど眼が笑ってない!怖ええ、怖ええよエイト!
「あ、その、それくらいオレが」
言い繕おうとしたけど無駄だった。笑っていない眼でこちらに近付いてきて、あっという間に靴を分捕られた。
「さー、明日の天気は何かなーっ」
楽しそうな声で力一杯ぶん投げるんじゃねーっ!
「うわーっ、やめろぉぉぉぉ!っつーか火噴いてるって!オレの自慢のブーツが!」


                                    (終)




2006.3.17 初出









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