温泉に行こう!(後編)




ちょっとしたごたごたもあったけど温泉にも入ったし、豪勢な夕食も堪能できて大満足だ。
さすがに日中あれだけ騒いだせいか、部屋に戻った途端二人はばったりと眠り込んでしまった。
でも僕はまだ眠くなかったし、こっそり寝床から抜け出して部屋を出る。
「エイト」
と、そこにミーティアがいた。本当は夕食後こっそり耳打ちしていたんだ。
「秘密のお風呂があるんですって?」
「うん。ちっちゃいけどそういうのがあるんだってよ」
そっと促して手を繋ぎ、そこへ向かう。
「昼間の露天風呂、とっても気持ちよかったわ。トロデーンにもああいうお風呂、作れないかしら」
よっぽど気に入ったんだろうなあ。普段は何かを気に入ったとか気に入らないとかはっきり言わないんだよね。何か言ったことに対して何が起きるかを考えて、軽々しく口にしないようにしているらしいんだ。
「どうだろう。でもトロデーンにも温泉があればいいのにね」
「本当に。そうすればお父様も温泉に入れるのに」
そんなことを話しているうちに「隠し湯」と書いてある看板の前に着いた。
「ここ?」
「うん」
そこは今までと打って変わって薄暗くて細い廊下だった。僕は看板を裏返してからそのまま進む。すこし行くと小さな脱衣所に辿り着いた。扉があって、ここも露天風呂みたいだ。
「ここも露天風呂なのね、きっと」
「うん、そうみたいだね」
ミーティアは何かを探す風だ。
「どうしたの?」
「あの…ここ、一つしかないのかしら…」
ためらいがちにそう呟く。
「うん。一緒に入ろう」
「でも…人が来たら…」
「大丈夫。来ないよ。看板を裏返しておくと、他の人は入れないんだって」
そう言ったんだけどまだ何だか恥ずかしそうにしている。
「でも…」
「いつも一緒に入っているでしょ」
「……」
そうやって恥ずかしそうにされると僕も何だか恥ずかしいじゃないか。
「さ、濡れないように髪結ぶから」
恥ずかしいのを振り払うように、努めて元気よくそう言ってミーティアの黒髪を丁寧に編んで結い上げる。と、ほっそりとしたうなじが姿を現した。見慣れているはずなんだけど、でも何だかいつもよりも格段に色っぽい。今着ているゆかたのせいかな。
「ありがとう、エイト」
振り返るミーティアの横顔も美しい。
「エイト?」
ついうっかり見蕩れてしまった。いかんいかん。
「入ろうか」


隠し湯というだけあって湯舟ははっきり言って小さい。二人で入ろうと思うと抱き合った状態でないと入れなさそうだった。
「狭くないかしら?先にエイトが入った方がいいかしら」
ミーティアも気付いた。でもそれがいいんだ。そうでなかったら一緒に入るメリットなんてないし。
「いいからいいから」
「えっ?あっ、きゃっ」
戸惑うミーティアの身体と一緒にお湯を被り、抱き締めたまま湯舟に浸かった。最初は落ち着きなく身じろぎばかりしていたけど、漸く落ち着く体勢を見つけたのか僕の頚に腕を廻し胸にもたれるようにして息を吐く。
「気持ちいいね…」
「ええ、とっても…」
傍から見れば「お風呂で何をしている!」と言われそうな状態だったけど、不思議といやらしい気持ちにはならなかった。ただ、安らかで、幸せな気持ちだった。
「不思議…とっても穏やかで幸せな気持ちなの…」
僕の胸の中でミーティアが呟く。ああ、ミーティアも同じことを感じているんだ…
「僕も…」
お湯は温かかったけど、剥き出しの肩が冷え始めている。僕はお湯を掬ってミーティアの肩に掛けてやり、腕を肩に廻して冷えないようにしてやった。
「ありがとう、エイト」
ミーティアが頬に口づけする。そして同じように腕を廻して僕の肩を冷やさないようにしてくれた。
「ありがとう、ミーティア。温かいよ」
「本当に、いつまでもこうしていたいの…」
「うん…」
せせらぎの音と虫の音ばかりが聞こえ、時間だけが静かに過ぎていく。




「そろそろ戻ろうか?のぼせてしまうし」
「ええ、そうね」
ミーティアはちょっと残念そうだったけど、いつまでも入っている訳にもいかないことは分かっているので、素直に頷いた。
湯舟から上がり、手近にあった柔らかな布でミーティアの身体を包み込み、優しく水気を拭った。眼を瞑り、小さな子供に戻ったかのように僕の手に身を委ねているミーティアがただもう愛おしくて丁寧に丁寧に拭いてやる。
身体を拭き終わると今度はミーティアが僕の身体を拭いてくれた。僕も何だか子供に戻ってしまったかのような感じがする。
一生懸命僕の身体を拭いているミーティアを見ていたら目が合った。「なあに?」と言いた気なその目に笑いかけ、額にちょん、と口づけを落とす。
「どうしたの?」
「ん…ありがとう」
「どういたしまして」
澄まして答えるミーティアが可愛らしくてぷっと吹き出した。
「戻ろう。今日はここに来てよかったね」
「ええ、本当に。また来たいわ」
ミーティアは深く頷く。
「今度来る時はもっと人が増えているかもしれないわね」
その言葉の意味するところが頭に届くまで、ちょっと時間がかかった。
「えっ」
澄ました顔でミーティアが続ける。
「あら、お父様のことよ」
山の宿の夜は深々と更けていくのだった。


                                             (終)


2005.9.2 初出






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