黄昏のテラス




ベルガラックの黄昏時、一人の男がレストランのテラス席に座っていた。がっちりとした体格のいかにも格闘家といった風情の大男だったが意外に優しい目をしていて、暗くなってしまったことに慌てて家路を急ぐ子供たちに
「気を付けて帰れよ」
と声をかけてやっている。すると子供たちは、暗がりに不安げな表情を見せていても
「はーい、ありがとうございます、ギャリングさん」
と安堵の表情を覗かせまた走りだす。
「待たせたな、ギャリング」
ふと、背後から声が掛かった。
「よう、王子様」
振り返りもせず男─ギャリングは答える。この男こそこの街のカジノとそれに付帯する諸々の施設のオーナー、ギャリング氏であった。
「その呼び方は止せ。ここではただのエルトリオだ」
にやりと笑ってそう返す男は二十代前半といったところだろうか。涼やかな目許に黒に近い茶色の髪、黒っぽい眼には悪戯な光を宿しつつもどこか高貴な雰囲気が滲み出る。すらりとした身体は飾り気のない服で包まれていたが、黄昏の光の中でも分かる絹地の光沢が身分の高さを物語っていた。
「王子様」と呼ばれたことも故なきことではない。この青年はベルガラック南東の大国サザンビークの第一王子、エルトリオであった。
「それにしてもいいのか?お前、サザンビークのお世継ぎなんだろ。よく親父殿が城から出してくれるもんだ」
色々と因縁めいたものがあって二人は身分を越えて友人、と言うよりは悪友のような仲であった。
「構うものか。私の父も若い時に身分を隠して諸国漫遊の旅をしたらしいからな。それにカジノにのめり込んで国庫に穴を空けている訳でもなし」
エルトリオはギャリングの向かいに座り、こともなげにそう言いながらワインを注文する。
「お前みたいに節度ある楽しみ方をしてくれる客ばかりなら俺も気が楽なんだが…」
ギャリングはふと少し離れたところにあるテーブルに目を遣り顔を曇らせた。そこにはかつては美青年と呼ばれていただろうが、今となっては弛んだ印象の方が強い男が酒場の女を何人も従えて座っている。男が何か言う度に嬌声が上がり、静かに飲みたい客からは眉を顰められていた。
「あの男…見たことあるな。どこだかの領主じゃなかったか?」
「ドニだったかな。うちのお得意さんだ」
その言い方はおや、と思う程苦々し気だった。
「…なんだ、何かあったのか」
普段は屈託のない陽気な人柄なのだが、今宵の彼は様子がおかしい。
「嫌な話を聞いちまったぜ」
吐き捨てるように言うと男から目を逸らす。
「話してみろよ、楽になるかもしれんぞ?」
「お前も嫌な気持ちになるかもしれんがな」
だがその言葉に少し調子を取り戻したのか、いつもの口調に戻ってギャリングは話し始めた。
「あの男、よくここにきてカジノで豪遊していくんだが、その金はどうやら自分の領地を担保にして借りているらしい。負けが込むというよりはああやって女引き連れて金を使っているというのが実情のようだがな。
今日もああやって遊んでいるようだが、国元で跡取りの息子が生まれたばかりなんだとよ」
「ほう。でもまあよくある話なんじゃないのか。誉められた話ではないが」
「話はここからだ。その跡取り息子の上にはさらにメイドに産ませた男の子がいて、最初はそっちを跡取りにしようとしていたらしいんだが、正妻に子供ができてお払い箱さ。メイドはクビ、子供はどこだかの修道院に放り込まれてあの男の中では一件落着なんだとよ」
「…嫌な話だな、確かに」
「それもまた嫌なクビの仕方だったらしいぜ。髪の色がどう見ても違う、金髪の自分の子がなぜ黒髪なんだ、本当は俺の子じゃないだろうとか今更何をと言いたくなるような言い掛かりをつけたらしい」
「…」
ギャリングの言葉にエルトリオの顔も渋くなる。
「何が他人の子だ。一度見たことがあるが他人の俺からみてもそっくりだったぜ。嫌味ったらしい目許なんて特にな」
ようやくギャリングはにやりとした。
「おいおい、それは子供に可哀想だろう」
エルトリオは呆れたような声を出す。それでも内心はいつもの調子を取り戻したギャリングに安堵していた。
「まあ、それもそうだな。
…おっ、酒が来たようだ。嫌な話は流しちまおうぜ」
「そうだな」
ちょうど運ばれてきたワインを注ぎ合い、
「勝負の女神に乾杯」
「子供たちの未来に乾杯」
とグラスを掲げ合う。
「まあなんだ、お前もいい歳の王族なんだし、結婚相手は慎重に選べってこった。色々縁談が来ているんだろ?」
最初の盃を干し、二杯目を注ぎながらギャリングは言った。
「おいおい、止めてくれよ。それが嫌でここに逃げて来ているというのに」
エルトリオは大袈裟に身を竦めてみせる。
「下手に城にいるとすぐ見合いを兼ねた舞踏会だからな。勘弁して欲しいものだ」
「何だ、俺に会いに来てくれているんじゃないのか。お世辞でもそう言っておけよ」
わざとらしくギャリングが溜息をつく。
「ああ、悪い悪い。そんなことは言わないでも分かっていると思っていたもので。ここに来ると城の窮屈な作法を気にせず話せるし、手加減なしで武術の手合わせができるので嬉しいよ」
「まったく王族っていうのも窮屈な生き物だなあ。どうだ、王子辞めてうちのボディーガードになってみないか。気に入らない結婚なんてせずにすむぞ」
にやにやとしながら言うギャリングに一つ肩を竦めてエルトリオは答えた。
「…ま、結婚が嫌なんじゃないんだけどね。子供の時から『王族の義務』を叩き込まれて育った訳だし。いつかは結婚しなければ、とは思っているさ」
「ほう」
「でも城に来る自称お姫様とやらは化粧は濃いは、やたらにやにや笑いしているわでどうも気に食わない」
「まあ、一国の王妃の座が懸かっているんだ、当人たちも必死だろうよ。愛想笑いぐらい許してやれ」
ギャリングに諭されながらエルトリオは形の良い唇を歪めてグラスを傾けた。
「聞いてくれよ。この前来たお姫様、心優しく全ての生き物にも愛を注ぐとかいう触れ込みだったのに部屋に出た蝿を乗馬用の鞭で打ち落としていたぞ。それも私も及ばない程の腕前で」
「ぷぷっ」
「あんな細いものでよく蝿のような小さい虫を叩けるものだ。思わず尊敬しかけたけれど私の顔を見てすぐ『嫌ですわ、蝿が怖くって』としなを作ったのには呆れたよ」
呆れたように言うエルトリオの向かいでギャリングが腹を抱えて大爆笑している。その様子が可笑しくてエルトリオも一緒になって笑った。
漸く笑いが収まった後、ギャリングがしみじみと言った。
「…ま、そのうちちゃんとした人と知り合えるさ。俺は駄目だったがな」
「諦めることはないだろう」
「当主の証を得る時に言われていたんだが、どうも女の前に出るとびくついてしまってな。そら、お前の言っていた化粧の匂いがし始めるともう駄目だ。軽々口説き文句の出るお前が羨ましいよ」
「あんなのは社交辞令さ。あっちも分かっているんだ。何ならちょっと練習してみるか?あそこのお姉さん方で」
今度はエルトリオがにやにやとする番だった。視線を投げ掛けられた女たちがこちらに微笑を返してくる。
「…止めておく。
ところで今夜は酒だけ飲んで過ごすつもりか?この前いい戦斧を手に入れたんで手合わせ願いたいんだが」
あっさりとエルトリオの提案を断り、実に嬉しそうに手合わせを言い出すギャリングに、
「やれやれ、斧を振り上げた途端に蹌踉けても手加減しないからな!」
と言いつつも本当はいつもの様子に戻って嬉しいエルトリオであった。

         ※       ※       ※

(懐かしいものだ、あれからもう二十年、いや、それ以上経つのか)
ベルガラックの黄昏時、あの時と同じレストランの同じテラス席に腰掛けてギャリングは思う。
思えば長いようであっという間の二十年であった。友人─悪友ともいう─であったエルトリオはあの後すぐ結婚した。ベルガラックの有力者としての立場もあって式にはもちろん参列したのだが、エルトリオが一目で惚れ込んだという娘は美しく飾り気のないおおらかな性格で、「この人ならば」とギャリングも納得したものだった。
だがしかし、それは長くは続かなかった。結婚して数ヶ月も経たないうちにサザンビーク城に竜が現れその娘が攫われたという噂が流れた。さらにその後すぐに「エルトリオ失踪」の報が届いたのである。ギャリングは仰天してすぐに人を使って探索させたものの、それ以来友人の姿を見た者は誰もいない。
(なあエルトリオ、知っているか?あれからお前の親父さん、亡くなったんだぞ。それで弟さんが後を継いだそうだ。最後までお前の行方を気にしていたって聞いたぞ)
あの時と同じ産地のワイン。けれどもあの時の友はいない。
(結局俺は結婚はしなかったけどな、子供ができたよ。それも二人。気の毒にも教会の前に捨てられていた子供たちなんだ。可愛いものだな、子供というものは。
お前はウィニアさんを取り戻してどこかで幸せに暮らしているのかな。子供もいるんだろうか)
ギャリングの頭には白い物が混じり始めている。けれども思い出の中のエルトリオは若いままだった。
(最近魔物が暴れるようになって街の警備も大変だよ。お前程の使い手がおればいいのになあ)
記憶の中でエルトリオが屈託のない笑顔を見せる。
(何を言う、お前が一番強いだろ。警備する奴よりされる奴の方が強いなんて笑い話にしかならんだろうが)
「どこでどうしているんだかな」
つい、口から言葉として洩れてしまったようだった。
ギャリングは一つ、溜息を吐いてウェイターにチップを弾むと、屋敷へと帰って行った。



ベルガラックの黄昏時、ひっそりと闇に紛れるようにギャリングを見つめる道化師がいたことに気付いた者はまだ誰もいない。

                          (終)




2005.7.21 初出 






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