かつての花、名前、追憶




2.


「全く、無理をなさる」
サザンビーク城の豪華な王の私室で、クラビウス王は客人を前に苦笑した。相対する若い、いかにも洒落者といった風の青年貴族はそれに優雅に一礼することで応じた。
「変装した方がよいとの仰せでしたので」
そう答える声は、予想されるものよりはやや高い。そして作っているような感じがあった。羽根飾りついた華麗な帽子を小脇に抱え控える様は完璧な青年貴族だったのだが。緋赤のコートは豪華な金糸の刺繍があり、大きく折り返されたカフスには金糸と銀糸のレースが張られていた。内側のベストは対照的に地味なベージュだったが、漂う香りからすると丁子で染めたもので、白絹との繻子織で連続模様を打ち出し金糸の刺繍がアクセントを添えていた。膝丈のキュロットから伸びる脛は白絹のショースに覆われ、黒繻子に金糸と宝石で飾られたパンプスが輝いている。視線を上げれば白金色の巻き毛と深い碧色の眼が印象的だった。
「こちらには見知る方もいるかと思いまして。勅使の随行員として何人もトロデーンでお会いいたしましたし」
と悪戯めいた笑みを浮かべながら青年は答えた。
「いや、それにしても男装で来るとは……こちらで用意した旅券が男のものだからとはいえ女性の姿でも説明のしようがあったろうに。
まあよい。そこに掛けられよ、トラペッタ公妃殿」
「ありがたき仰せではございますが、今の私は一介の伯爵家の縁者。王陛下の御前で椅子を使える身分ではございません」
王の言葉に青年貴族──ミーティアはにこやかに答えた。彼女がこの状況を楽しんでいるのは明らかだった。
「そなたがそう考えるというのならそのように致そう。
ああ、人払いはしてある。この部屋の物音がはっきり漏れ聞こえる場所に人はおらんので寛がれよ」
「ありがたきご配慮、感謝申し上げます」
あくまで青年貴族の体を保つというのだな、とクラビウスは二度目の苦笑を漏らした。
「それで、例の件だが。公式に描かれたものに関しては手放すことはできん。兄上は王位継承権を捨てて行ってしまったが公式には行方不明ということになっておるし、ウィニア殿も兄上の正妃でこれもまた公式には行方不明になっているだけ、という扱いになっておる。記録上二人とも王室の一員である以上、その公式に描かれた肖像画は王家が蔵するものであって他者がみだりに有するものではないのだ」
「ええ、存じております」
渋い顔のクラビウスにミーティアも真剣な面持ちで応えた。ここまでは彼女も予想していた通りの流れである。
「ですが、非公式に描かれたものならば問題はないかと。肖像画を描く際にはいくつかポーズを取り、その下書きなりと残る筈ですが」
「うむ。だが……」
王の顔色は冴えない。
「実は探したことがあったのだ。我が父先王陛下が崩ぜられた後、兄上に関わるものを集めようと思い立ってな。過去現在を問わず集めれば何か手がかりが見つかるかも知れぬ、と思ったのだ」
とクラビウス王は少し哀しげな顔をした。
「今にして思えば空しい試みであったのだが。だがその中で手放すことはできないが二人の肖像画を所有していると連絡してきた者が二人おった」
「二人、ですか」
ミーティアは怪訝そうな顔をした。一人は心当たりがあったのだが、もう一人については予想していなかったのである。
「左様。一人は我が師でもあった宮廷魔術師で今は隠居して西の森の奥深くに住まっておる。今一人はベルガラックのギャリング氏だ。──だった。兄上は個人的に彼の者と親しくしておってな、特別に贈ったらしいのだ」
ギャリング氏、とミーティアは心に深く刻んだ。だが贈られた当人が既に故人である以上、目的が達せられるとは思えなかった。
「それともし残っているとするならば肖像画を描いた画家の工房だろう」
「その方ならば存じ上げております。僭越ながら私どもも先年描いていただきました。ですが──」
「うむ。そな……いや、トロデーン王女の婚礼の肖像画を最後に引退なされたと聞いた。工房自体は弟子の手によって運営されているが、本人は気に入っている絵と未完になっている絵を数点持って旅立ったと」
その経緯はミーティアも知っていた。何しろトロデ王が彼の引退を惜しんでいて、「隠居用の住居も用意するのでトロデーンに留まってくれ」とかなりしつこく言っていたのである。
「未完になっている絵、とは」
その中でふと、気にかかる単語があった。
「おそらくはその中にそなたが探すものがあると思う」
かなり長い沈黙の後でクラビウス王は口を開いた。
「確約はできない。だが、その画家が兄上たちの肖像画を描いた際にいくつか構図の異なる下絵を描いていたことを憶えておる。その中の一枚を仕上げたのだが、実は兄上と画家が推したものと父上が択んだものは違っておってな。どんな構図だったのか私もはっきり憶えている訳ではないのだが、現在王家の肖像の間に飾られておる二人の絵よりずっとくだけた雰囲気だったと思う」
行くべきは画家の工房と隠居所、とミーティアは頷いた。
「まさにそれこそ探していた品に相違ございません。貴重なお話に感謝申し上げます」
あくまで青年貴族の体を取りつつもミーティアは深く謝意を示した。
「役立ったというのなら何よりだ。実は気になっておったのだよ。エ──あの者が指輪以外で兄上に縁のある物を持っていないだろうということにな。だが諸事情を考えればこちらから表立って物を贈れば色々面倒なことになるかと思ってな」
「深いご配慮、傷み入ります」
その言葉に少しばかり愁いを含んでミーティアは一礼した。王家の間では話はついているとはいえ、エイトの出生を考えれば大っぴらに行き来することは憚られるものであったのである。
「ですが形の無いものでございましたら?」
虚を突かれたように顎の辺りを撫でていたクラビウス王の手が止まった。
「形無いもの、とは」
「ずっと考えていたのです」
とミーティアは話し始めた。
「最初は肖像画を、と思っておりました。あるいはお二人所縁の品々を、と。ですがトラペッタ公はお二方を全く存じ上げません。ならばせめて、お二方にまつわる話でもうかがえたら、と思ったのです。どんな宝玉よりそちらの方がいいのではないか、と」
「そうであろうな」
クラビウス王もまた深く頷いた。確かに、兄と過ごした人生最初の十八年は彼にとって何物にも代え難い貴重な時間だったのである。
「少し長くなってしまうかもしれん。茶を用意させるのでしばらく付き合ってもらおう」
と王は先程勧めた椅子を指した。
「謹んでお受けいたします」
今度はミーティアも王の言葉に甘えることにした。


「ところで」
躾の行き届いたメイドの手によって速やかに茶の支度が整えられ、室内は再び二人だけとなったところでクラビウスが口を開いた。
「そなたはこの茶に何か仕込まれているとは思わんのか」
それは少々意地の悪い質問だっただろう。だが、ミーティアもまた涼しい顔で応酬した。
「王族の嗜みとして大抵の毒には耐性をつけておりますので。それに今のこの私を害したとて貴国には何の益もないかと。トラペッタ公妃には未だ子がいない以上は」
「ふむ」
クラビウス王は面白そうに目の前に座る相手を見遣った。おっとりとしているように見えて意外に切れる、と。
「だが、公妃の胎に宿る子の父親がトラペッタ公である必要はないのだぞ」
もちろん、その気はないのだがどう切り返すのがと思いながら更に畳み掛ける。
「その時は我が護衛と共に速やかにここを出るだけでございます」
ミーティアもまた、余裕のある態度を崩さない。さらにその言葉に呼応するかのように部屋の隅でぬいぐるみのようにじっとしていた三匹のスライムが
「ピキ?」
と二人の方を見た。
「なるほど」
と王は頷いた。ここに乗り込むに当たって、かなり周到に準備されている様子に感心したのである。さらに袖口のレースは模様に見せかけて呪文除けの文言が銀糸で織り込まれていて、呪文にも毒物にもできるようになっていた。
「そなたを試すような真似をして済まなかった。もちろん、そのような類のことは一切ないので安心召されよ」
「元より、陛下のなされようを信頼申し上げております」
彼女はにっこりと微笑んだが、見様によっては勝利の笑みに見えなくもなかったかもしれない。
「それで」
客をもてなす主の役として二人分の茶を注ぎ、軽く口を潤してから王は話し始めた。
「どれから話したものか。兄上とはよく一緒に狩りに行ったり遠乗りに出たりしたものだった。残念ながらウィニア殿との思い出は少なくてな。何せ狩りに出ると獲物がみな逃げてしまうのだよ。魔物に出会わずに済むのはありがたいのだが」
「まあ」
野生の生き物はそういう気配に敏いという。地上でも最強の生き物である竜の気配を、例え見たことがなくとも感じ取るのかもしれない。
「一度、まだ婚約中の頃に三人でベルガラックに行ったことがあった。もちろんお忍びだったから私も兄も近衛の宿舎から誰かの服を拝借して、ウィニア殿は一番地味なモスリンのドレスでな。男のように跨って馬に乗ろうとするのには閉口したが。街に着けば何もかもが珍しかったらしくて些細なことにも歓声を上げて喜んでおったよ。そういう姿ばかり見ていたから彼女の出自を意識したことはなかったのだ。王家の谷に行くまでは、な」
王家の谷、と聞いて口を歪めそうになるのを堪えた。
「トラペッタ公から聞いておるかもしれんが、通常あの谷に入ってアルゴリザードに出会うにはトカゲエキスを使わねばならん。だがウィニア殿は『それは要らない』と言ってそのまま入っていったのだ」
そこまで話すと王は再び茶で口を湿した。
「必要などなかったのだよ、彼女には。谷に入るなり向こうからやってきて、頭を下げて撫でられるままになっておった。私も、兄も、我が愚息もあんなに手こずったのに」
「でもエイ……トラペッタ公はそうではなかった、と聞いております」
思わずエイトの名を出しそうになりながらもミーティアは急いでそう言った。実際、どう贔屓目に見てもアルゴリザードは一行を午後のおやつ程度にしかみていないことは明らかだった。
「左様。それは私も気付いておった。もし竜の気配があったなら宮廷魔術師どもが気付いて注進に来ただろうからな」
気付かぬような者を雇っているつもりはないということを言外に匂わせながら王は頷いた。
「そういったこともあったが、ウィニア殿はよい義姉であったよ。正直に言って、兄上を独占したい気持ちがあったあの頃の私は相当うっとおしい義弟だったのではないかと思うのだが。
依怙地な態度を詫びたいと思っていたのだが、最早それは空しい願いだったとはな」
とクラビウスは遠い眼をした。
「ああ、そう言えば二人の名を王室の祈祷書から削って鬼籍に入れねばならんのだな。いつ帰ってきても良いよう父も、私も残しておくつもりだったのだが。覚悟はしていたがもう二度と会えないとはっきり知らされるということは堪えるものだ」
その言葉にミーティアは深い同情を込め、頷いた。
「公夫妻は時々墓参に行っております。もし──」
「うむ。いつか、ついででもよいのでその時には花を手向けてくれ。サザンビークの野に咲く花を。兄はよく白花の菫を愛でていて──」
ミーティアはあっと息を飲んだ。
「その花……!ございました、あの草木の無い場所にお二方の眠る墓所だけは緑に溢れていて、丁度その白い菫が花盛りでございました」
「……そうか」
短くそう答えたクラビウスの眼は赤くなっているように見えた。
「……いや、済まない。少し感傷的になってしまったようだ。兄が馴染みのある花に囲まれているのなら、それでよい」
「いえ、次に行く時にはサザンビークの花を持って行くよう伝えます。菫だけではなく、他の花も」
そろそろ潮時かも知れない、とミーティアは感じた。目の前の王は遠い昔の思い出に浸りたいように見えたのである。
その旨を伝えると、
「気を遣わせて済まなかったな」
とクラビウスは苦々しげに笑った。
「いえ、実を申しますとこのかつらが暑くて。それにだんだん重くなってまいりました」
気を遣う王に対し、それを感じさせないよう諧謔を交えながら辞去の意を伝えた。
「無理をする」
と王は笑った。それにつられるようにミーティアも笑みを零したが、次の瞬間意外な言葉に息を飲むこととなる。
「そなたは、そなたの母君に似ておるな」
「母を……ご存じなのですか」
その様子に内心驚きつつも、王は深く頷いた。
「うむ。一度だけ舞踏会においでになったことがあった。そもそもその会自体体のいい兄上のお見合いだったのだが、媚を売る女どもと違って淡々と礼を取ると後は手頃な場所に座ってずっと音楽を楽しんでおられたので印象に残っておる。あの時分の私は子供というか何というか……手練手管の類が気色悪く感じていたのだよ。だからそういった風を見せなかった者には好意的だったし、記憶にも残ったのだ。こういった方なら兄上の妃になってもよいかと思ったのだが、その後すぐトロデ殿の妃に決まったと聞いて納得したものだったよ。
つまらない話で引き留めて済まなかったな」
「いえ」
最初の衝撃から立ち直っても言葉にはし難い想いが込み上げてきてミーティアはそう答えるのが精一杯だったが、何とか堪えて一礼し自らを立て直した。
「当分は行き来も難しかろうが、手紙を遣り取りするくらいならば問題あるまい。時々は叔父面をさせてくれ、と公に伝えてもらえるだろうか」
「畏まりました。そのお言葉、しかと」
「うむ。では、下がるがよい」
「は」
更なる物思いに耽るためか眼を瞑ったクラビウス王に礼を取ると、ミーティアはスライムたちを呼び寄せて部屋を出た。重い扉を閉めたところで思わず深い溜息を吐く。スライムの中の一匹が心配そうに「ピキ?」と身を寄せてきた。
「ありがとう、大丈夫だから」
人目を気にして短くそう言い、軽く頭を撫でてやる。思っていたよりずっと王との会談が堪えていることを感じていた。
「行きましょう」
近くに立っていた完全装備の鎧武者をちらりと見遣り(これまた不自然なまでにしゃちほこ張っていた)、次の目的地へと向かうべくミーティアたちは歩き出したのだった。


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2014.6.11 初出 






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