夕陽




最近ミーティアを前にするとなぜか気持ちが落ち着かなくなる。いつものように仲良くしていたいのに、つい意地を張ったり、意地悪なことを言ったりしてしまう。
そうやってミーティアを悲しそうな顔で俯かせてしまうたび、
「なんで意地悪してしまうんだろう。本当は仲良くしたいのに」
と思って落ち込んでしまう。
でもなぜかミーティアに、
「エイト」
と呼ばれるとむずむずするようなくすぐったい感触がして、それがなんだか恥ずかしい。どうして恥ずかしいなんて思うのか分からないんだけど。
そうやって僕が心の中でもじもじしているのにミーティアが平気な顔で近寄ってきて話し掛けてきたり手を繋ごうとするので狼狽えてしまう。そして狼狽えているっていうことを知られたくないからつい不愛想な態度を取ってしまうんだ。多分。
僕はここに来るまでの記憶がない。トロデーンに来てしばらくは人に話し掛けられることが嫌で、随分「不愛想だ」と言われてしまった。だけど記憶がなくて色々聞かれてもそのほとんどに答えることができなかったから、とても誰かと話す気にはなれなかったんだ。
でもミーティアと知り合って友達になってからようやく人と話せるようになった。一緒に何かすることでどんどん新しい記憶ができていったから…難しい字を教えてもらったり、本を貸してもらったり、こっそり城のそとへ遊びに行ったりして広がった世界を他の人に話すのはとても楽しかった。ミーティアと友達にならなかったらきっとこんなに楽しく生活できなかったと思う。
なのにどうして意地を張ってしまうんだろう。次会う時は絶対仲良くしようと思うのに、どうして意地悪してしまうんだろう。


稽古中だというのにそんな雑念が入ったせいか先生の斬撃をかわしそこねてしまった。
もちろん僕も先生も真剣は使ってない。練習用の木刀と盾なんだけど、先生の斬撃は重く、まともに受けたら腕が折れてしまうだろう。先生もちゃんと分かっていて、攻撃は受け流すように言われている。それすら僕にはかなり難しいんだけどね。
だから雑念を抱く余裕なんてないのに、ミーティアのことなんか考えていたせいでついかわしそこねて左肩に思いきり先生の剣を受けてしまった。
「お前稽古中に余計なことを考えていたな?大方姫様のことでも考えていたんだろ?」
先生にはっきり指摘され、僕は顔から火が出そうになった。
「違います!」
否定したものの、ちょっとむきになり過ぎたような気がする。
「…まあいい。誰を好きになろうと俺は知らん。稽古中に余計なことを考えて怪我するのもお前の勝手だ」
先生はにやりとしてそう言った後、真面目な顔でこう付け加えた。
「だが姫様はこの国の王女様だ。そのことを忘れるな。自分を制御できるようになれよ。
今日の稽古は終わりだ。打ったところはよく冷やしておけ」
そう言って立ち去ろうとしたので、僕は慌てて、
「ありがとうございましたっ」
と勢いよく頭を下げた。その途端、また肩がずきりと痛んだ。
「痛ってぇ…」
それにしても何でミーティアのことなんか考えてしまったんだろう?


結局、夕方の仕事は休ませてもらって水場で怪我を冷やすことにした。
明日も仕事と稽古がある。今日の内に痛みだけでも抑えておきたかった。でもかなり強く打ったらしく、ずきずきと脈打つような痛みはいくら冷やしても中々引いてはくれなかった。
痛みをこらえ水場の石畳にうずくまっているうち、ふと「ミーティアと僕とは身分違いだ」という言葉を思い出した。最近よくこの言葉を聞かされる。そして「あまり親しくしないほうがいいよ。後で辛い思いをするから」と続く。
身分が違うということは分かっているけど、辛い思いってなんのことだろう。ミーティアと仲良くしているのはずっと前からなのになぜ急にそんなことを言われるようになったのかさっぱり分からない。
一つ、ため息を落とすと痛がっていると思ったのかトーポが僕の膝に乗り、心配そうな眼で僕を見上げた。
「ごめんねトーポ、心配かけて。後で厨房からチーズ貰ってきてやるから」
そう言ってやると僕の言葉が分かるかのように、トーポは小さく鳴いてポケットの中に戻った。そう、いつまでもここにこうしてはいられない、早く厨房に戻らないと。この時間はすごく忙しいのに、今日は休んでしまったからその分働かなければ。
そう思い痛む肩を庇って立ち上がろうとした時、誰かの気配を感じた。
ミーティアだった。金色の夕日をいっぱいに受けながら心配そうに僕を見つめていた。もうそんな時間だったんだ。多少痛くても戻らないと。でもどうしてミーティアがここに?会えてちょっと嬉しいけど。
「どうしたの」
「エイト…昼間怪我したんじゃないかと思って。薬を持ってきたの」
そう言ってミーティアは薬壷を差し出した。そのトロデーンの紋章入りの銀製の壷を見た途端、なぜか「身分違い」の言葉が頭を過った。
「大丈夫だよ」
心配してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと恥ずかしい。それを隠そうと思ったらずいぶん素っ気無い言い方になってしまった。それにこんな怪我ぐらいで(特にミーティアに)あれこれ言われるのは嫌だったし。でもミーティアには通じなかった。
「どこが大丈夫なの!痛そうにしているじゃない」
そう言うなり襟に手をかけようとした。でも青痣なんて見せたくなかったし、同情されたくなかったから抵抗したかったんだけど、できなかった。
肩が痛かったこともあった。ミーティア相手に本気で掴み合うこともできないし。でもそれ以上にミーティアが僕に向かって腕を伸ばした時の二の腕が、何て言うのか…とにかく見た時すごくどきどきしてしまって、振り払うことができなかった。
その途端痛めた肩を捻ってしまい、片膝をついてしまった。襟もはだけて肩が剥き出しになり、ミーティアの手がかかって、ああこれは薬を塗られてしまう、と思ったけどミーティアの手は動かなかった。そんなにひどい怪我だったかな、でもそれにしては様子が変だ。肩に置かれた手が震えているし、何よりミーティアの頬が赤い…?
「ごめんなさい…ただ無理してほしくなかっただけなの…」
ミーティアはようやくそう言って手を離してくれた。でもその声は今までと違っていて、さっきの頬の赤らみと合わせて僕を不安定な気持ちにさせた。
何とか、
「うん…意地張ってごめん。薬、どうもありがとう」
とだけ言って薬を受け取ったけど、もうミーティアの顔を見ることはできなかった。見てしまったら、どうなるのか自分でも自信が持てなかったから。できるだけ目を合わせないようにしながらただただ早く立ち去ろうと──どうしてそんなことを考えるのか分からなかったけど──した。
そんな僕の様子を変に思ったらしい。背を向けた僕にミーティアが叫んできた。
「行かないで!どうして目を合わせてくれないの?お願い、ミーティアを見て」
そのまま立ち去ればよかった。目を合わせたらどうなるか分からないのに。でも僕は振り返り、恐る恐る顔を上げた。
金色の夕日に照らされたミーティアと目が合った瞬間、僕は動けなくなってしまった。このままずっとミーティアだけを見つめていたい。でも同時に得体の知れない感情──ミーティアのもっと近くに寄りたい──が込み上げ、どうすればいいのか分からなくなった。
「ごめんなさい、エイト。昼間からずっと心配していたの」
そう言うミーティアの声もいつもと違って聞こえる。
「ありがとう。…ごめん、心配かけて」
掠れないように、震えないように、何より自分でも抑え切れない行動にでないようにゆっくりと答える。でもそう答えた瞬間、ミーティアの顔がぱっと輝いた。その様子があまりにもかわいらしくて僕は思わず手を伸ばしかけた。手を伸ばして、そして…
何を考えているんだ、僕は!今ミーティアに何をしようとした?自分で自分の気持ちを制御できないなんて!こんな気持ちを抱いているなんて知られたくない。城のお姫様なのだから、そして、そう、大切な人だから…。
「御迷惑お掛けしたことをお詫び申し上げます、ミーティア…様」
動揺を押し隠し、一語一語自分の心に打ち付けるように言い、踵を返した。無謀な行動をしてはいけないと戒めるために。甘えてしまわないように。身分が違うということを忘れぬように。
すっかり忘れていた肩の痛みがぶり返す。でもそれ以上にミーティアを置き去りにして立ち去ることの方が辛かった。だけどあれ以上あの場にいたら自分が何をしてしまったか分からない。抗うことができないほど強い感情に揺り動かされて、きっとミーティアを傷つけるようなことをしてしまっただろう。


ポケットからトーポが顔をのぞかせたが、いつものように話し掛けてやることができなかった。ただ頭を一つ撫でてやり、僕は一人城へ戻った。振り返ってミーティアの側へ駆け寄りたいという衝動を抑えつつ。


                                         (終)




2005.3.18 初出  2006.9.9 改定








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