事実と真実





ふと、どこからか子供の泣き声が聞こえた。
それもうんと幼い感じの声だ。このトロデーンにそんな年頃の子供なんていたっけ…
とりあえず声の正体を突き止めなければ。世の中には子供の泣き声をして獲物をおびき寄せる魔物もいる。もしそんな奴がここにいたら…
背負う剣に手を掛けつつ、辺りを窺う。ただ、声が弱々しい上に何かに反響しているせいか場所を探ることが難しい。それでもこの辺りか、と当たりをつけて城壁に囲まれた角の潅木の蔭にそっと廻り込んだ。
「ふえっ、ぐすっ、おばあ、ぐすっ、たまっ、ぐすっ」
一見3、4歳くらいの女の子に見える。でも注意しないと…
「どうしたの?」
もし本物の子供ならきつい物言いではかわいそうだ。できるだけ優しく、でも警戒はしたまま声を掛ける。と、女の子が涙を拭いながらこちらを見た。
「おっ、おにいたまは、だっ、だあれ?」
あれっ、知らない子だと思っていたんだけど何だか見たことあるような…
「僕は…」
と言いかけて止めた。自分の持つ称号をこの子供に言って何になるだろう。舌を噛みそうになる程長ったらしいあれこれの肩書きなんて、子供には通用しない。だから短くこう言うに止めた。
「この城に住んでいる者だよ」
でもその返答は意表を突くものだった。
「そっ、そうなの?でもあなたのこと、ちらないもん」
しゃくりあげながらもそう言ってこちらを改めて見る。そうして(その子にしてみれば)精一杯威張ったつもりでこう言った。
「ここ、みーたんのおうちだからしらないひとはきちゃだめなのっ」
「みーたんのおうちなの?」
みーたん?誰だろう、この子。あれ、でもやっぱり会ったことあるような…
「ちがうの、みーたん!」
どうやら名前が違っていたらしい。一字ずつ強調しながら言ったんだけど、どう聞いても「みーたん」にしか聞こえない。みーたん?舌足らずな子供の言葉だし…あっ!
「もしかして、ミーティア?」
「そう!」
そうだ、その碧の眼は確かにミーティアのもの。だけど何でこんな子供になっているんだ。
「ミーティアは今、何歳かな?」
「よんちゃいよ。だかられりいなの」
よんちゃいって…ぷぷ、笑っちゃいけないかな。それに得意気に出した指は三本だし。
「それで、どうしてここにいらっしゃるのでしょう、ミーティア姫さま?」
れりいってレディのことかな。そう言っているのならちゃんと扱ってあげようか。そう思って礼儀正しく問いかけると、途端に悲しそうな顔になってしまった。
「あのね…おばあたまにね、あわせてくれないの。きのうね、あそんでくれるって言ったのにね、おとうたまがね、だめだって言うの」
そう言いながらまた悲しくなってきたのか涙目になってきた。
「お、おめしかえをってくろいドレスになったの。そしてね、おばあたまのおへやにいったらね、おばあたまおやすみになってて、おきてくださらないの」
「そうですか」 我ながら間の抜けた返答になってしまったけど、どうしようもない。そう、確かミーティアのお祖母様、先代のトロデーン女王は退位なさった後、ミーティアが四つの時に亡くなられたと聞いたことがある。もしかしてその時に行き会ったんだろうか。
「それにね、おわかれしなさいって言われたの。どうしておわかれするの?おばあたまはおやすみになっているだけでしょ?」
「うーんと…」
何て言ったらいいんだ、こんな時。死んでしまったらもう眼を開けることはないし、本当のお別れだってことなんて分からないだろうなあ。なんて悶々としていると、さらに衝撃的なことを言った。
「おとうたまとなかよくないからいなくなってしまわれるの?」
「えっ」
この話も聞いたことがある。でもそれは厨房の、使用人同士の噂話から聞き知っていたことでミーティア自身の口からは聞いたことがない。でもこんな小さい時に気付いていたんだ…
「あのね」
落ち着いてゆっくり話してあげよう。
「お祖母様はね、行かなければならないところに行ってしまわれたんだよ。もう眼を覚ますことはないし、一緒に遊んでくださることもないけれど、でもちゃんとミーティア姫さまを見守っていてくださるよ」
「じゃあもうあえないの?」
あ、まずい。俯いてしまって今にも泣き出しそうだ。
「あのね、ちゃんとお会いできるんだよ。ただ、今すぐは難しいかな。ちょっと時間がかかると思うけど…」
こんな適当なこと言っちゃっていいんだろうか。聖職者でもないのに。破戒僧っぷりを披露してくれたククールでもいいからいてくれたらよかったのに。
「ほんと?」
だけどミーティアは涙の一杯に溜まった眼を見開き、僕を振り仰いだ。
「ほんとにおばあたまにおあいできるの?」
そう言った途端涙が零れ落ちたが、それを拭ってこちらを見ている。その眼差しは真剣で、子供であっても言い抜けできないと悟った。
「お会いできるよ。きっと、お会いできるよ」
覚悟を決めてゆっくりそう言う。会えるかどうかなんて、多分誰にも分からない。あの天界を見たっていう賢者の方なら分かるかもしれないけど。この子に必要なのは分からない、という事実ではなくて納得できる答えという真実なんだろう。
「ほんとにおあいできるのね」
それが通じたのか、ふと大人びた表情を覘かせてミーティアはこっくりと頷いた。
「そしたらほら、もう一度ちゃんとご挨拶なさった方がいいんじゃないかな。しばらくお会いできなくなるんだし」
子供のミーティアはとても可愛いんだけど、こんなところを誰かに見つかったらあまり良くない事態になりそうだ。トロデお義父様の溺愛っぷりはよく分かっている。不審人物として牢に入れられてしまうかもしれない。
「あっ、そっか」
ミーティアはぱちんと手を合わせると、
「おばあたまのところへいく!」
と身を翻して駆け出した。
「気をつけてね。さよなら」
小さく呟いて後姿に手を振ってやっていると、ぱっと立ち止まってこちらに走ってきた。
「どうしたの?」
「あのね、おにいたまのおなまえは?」
「えっ、えと、僕?」
どうしよう、そういえばさっき名乗ってなかったけど、言っていいものだろうか。僕とミーティアが本当に知り合うのはずっと先の話なのに。
「えーとえーと…あっ、あいたたたたた」
えーい、ここは腹痛のふりして乗り切ってしまえ。
「痛い痛い、急にお腹痛くなってきた!」
「えっ、おにいたま、だいじょうぶ?」
急な展開にミーティアはおろおろする。ごめんね、びっくりさせて。
「痛いよーっ!」

              ※             ※             ※

…と、自分の声で目が覚めた。
「はあー…」
ここはトロデーン、ミーティアの寝室だ。隣を確認すると大人のミーティアが眠りを掻き乱されることもなく安らかに眠っている。
「ミーティア…」
身体を起こし、頬から顔に流れる髪をそっと掻き遣る。大きなお腹が大変そうだったけど、寝息は穏やかだった。 あの子供はミーティアだったのかな。本当に自分のことを「みーたん」って呼んでいたんだろうか。やっぱり昔から可愛かったんだね。いつか会える、僕たちの子供もあんなに可愛いんだろうな。
小さな笑いを漏らし、再びミーティアの横に身体を横たえた。
本当にそう呼んでいたかどうかなんて、あまり大事なことじゃないんだ。
今、幼い頃のミーティアに会ったように、もうすぐ僕たちの子供に会えるんだね。その成長をずっと見ていけるんだね。大事に大事に見守っていこうね…


                                            (終)




2006.12.21 初出









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