ひみつのたまご



ある朝目覚めると、ミーティアはもう起き出して窓際に座っていた。こちらに背を向けているので表情は分からなかったけど、とてもご機嫌なようだ。小声で何か歌を口ずさんでいる。
「おはよう、ミーティア」
その辺にあった衣類を適当に引っ掛けて側に寄ると、つやつやした髪がさらりと動いた。
「おはよう、エイト。起こしてしまったかしら?」
ついうっとりと見入ってしまいそうな微笑を浮かべてミーティアがこちらを向く。
「そんなことないけど…って、ええっ!」
身体の陰になってて気付かなかったんだけど、ミーティアの前の小さな飾りテーブルの上にすごく大きな卵が乗っかっていたんだ。
「どっ、どっ、ど、どうしたの、それ」
「これのこと?」
驚いてどもる僕を不思議そうに見ると、ミーティアは優しい手つきで卵を撫でた。
「卵よ、もちろん」
「いや、それは分かるけど…」
「すてきでしょ、こんなに大きいの」
「すてき?ああ、うん、そ、そうだね…」
何でこんな大きな卵が急に出てきたんだ?
「そ、その、だからどこから出てきたの、それ」
「まあ、エイト」
ミーティアが眉を顰める。
「覚えていないの?昨日の夜のこと」
昨日?昨日何かあったっけ?久々にヤンガスが遊びに来てくれて大いに盛り上がってその後はまあ普通にその…
「ああっ!」
突然卵の出所がピンと来てしまった。そうだ、そうに違いない。でないとこんないきなり卵がある訳ないし。だけど…どうしよう。
「思い出した?」
ミーティアがにっこりしたけど、それどころじゃない。
「こっ、この卵…」
「なあに?」
言えない。こんな無邪気そうなミーティアにそんなこと言えない。
「ちょっ、ちょっと…そうだ、大事な用事思い出した!ちょっと竜神族の里に行ってくる!」
「えっ、そんな急に…」
慌てて扉へと走る僕にミーティアの声が掛かる。
「正餐までには帰ってきてね、エイト」
ああもう、それどころじゃないんだってば!

           ※             ※             ※

「まずは服を着るのじゃ、アホタレが」
そのまま城のテラスから呪文で里に向かったため、かろうじてガウンを羽織っただけ(幸運にもパンツは穿いていた)で裸足というとんでもない格好のまま祖父の家の扉を叩くと、べらべらと事の経緯と推論をまくし立てていた。寝起きをたたき起こされることになった祖父は非常に不機嫌そうな顔で僕の話を聞いていたが、息が切れて言葉が切れた途端素っ気なくそう言い渡してきた。
「…はい」
焦っていたとは言えいくらなんでもガウン一枚で人に会うのは失礼だ。それにこんな朝早い時間に人を訪ねるのもまずい。今更気が付いてしおしおと祖父の言葉に従った。とは言え取るものもとりあえず城を出てきてしまったので着るものなんて何も持ってない。竜神族の服を借りて(そして結局自分一人では着ることができなくて祖父に手伝ってもらって)それらしい格好になると祖父は難しい顔をして熱い茶を啜った。
「で、何じゃ。おまえが見たという卵はその…」
「あの、てっきりミーティアが産んだんじゃないかと…」
そう。突然部屋に現れたあの卵、ミーティアが産んだんじゃないかと思ってしまったんだ。
「アホタレ、いつ竜神族は卵生だと言った」
「いやでも、その、トカゲとか卵から孵るし」
「ワシらとトカゲを一緒にするでない!大体、あの紙芝居にもおまえはちゃんと赤子の姿で描いてあったじゃろうが」
「あっ!」
そうだ、動揺するあまりすっかり忘れてた。確かにあれには赤ん坊の姿で描いてあったっけ。
「で、でも本当に?実は卵から孵るなんてことないよね?」
それでもまだ残る一抹の不安を口にしたところ、ふんと鼻で笑われた。
「当たり前じゃ。全くそんな愚にもつかないことを考えて年寄りをたたき起こして…」
「ごめんなさい」
本当に申し訳なく思って頭を下げたけど、あの卵は一体どこからきた何物なんだろう。そう思ってこの疑問を口にしたけど、あっさりあしらわれてしまった。
「知らんわ、そんなもん。自分で考えるんじゃな。全く、あてつけよってからに…」

           ※             ※             ※

結局、疑問を抱えたまま城に戻ってきてしまった。竜神族の服は返してしまったので、あの人前に出るには恥ずかしい格好で帰らざるを得ない。仕方なく城の隅に放ってあった誰かの稽古用胴衣を拝借することになった。
「おかえりなさい、エイト」
取りあえず自分の部屋に戻って着替えよう、とこそこそ廊下を歩いていたのに自分の部屋の前でミーティアに見つかってしまった。
「あっ、その、…ただいま」
自分が恐ろしく変な格好なことは分かる。おまけにこの胴衣臭うし。
「どうしたの?」
臭いが移ったら大変だと思って後ずさりしていると、怪訝そうな顔で訊かれてしまった。
「いやその、この服臭いし」
「そう?…そうね、それにその服エイトのものじゃないでしょう」
「ちょっと借りたんだ、服持って行かなかったもんだから。…いやだからその、今汚れているんだ。だからあまり近付かない方が」
なおも近付こうとしているミーティアからじりじりと離れようとすると、諦めたように立ち止まった。
「今度からはちゃんと服を着ていってね」
「うん、よく分かったよ」
心の中でこの胴衣の持ち主に文句をつける。こんなに臭ってなければここでミーティアと口づけできたのに!
「着替えてくるよ」
部屋に入ろうとするとミーティアが引き止めた。
「あ、エイト。着替えたら厨房に来てね」
「厨房?うん、いいけど」
「じゃあ来てね」
そう言うとミーティアは今朝のように歌を口ずさみながら廊下を歩いていってしまった。
厨房で何するんだろう。正餐までには帰れとも言われたし。何か作っているのかな。それにあの卵だ。それとこれと何の関係があるのか。さっぱり分からない。あれこれ考えながら身体をよく拭いて着替えると、厨房へ向かった。
厨房に近付くにつれ、何だか、例えて言うならお祭りの前のような感じがした。浮き立ったような、楽しげな雰囲気だ。
「エイト!」
僕に気付いてミーティアが駆け寄ってくる。
「いいところに来てくれたわ!あれ、お願いしたいの」
指差す先にはあの、僕を悩ませた卵がでんと鎮座ましましている。
「あれって…卵でしょ?今朝の。どうするの?温めるの?」
どうもよく状況が分からなくて、間の抜けたことを聞くとミーティアは楽しげに笑った。
「まあ、エイトったら!今日はどうしてしまったの?あの卵、昨日ヤンガスさんが持ってきてくださったこと、忘れてしまったの?『ウコッケ様からかっぱらってきたんでがすよ』って言って」
ヤンガスの声真似で言われ、はっと何もかも思い出した。そうだ、最近の武勇伝を語っていたんだ。ウコッケの巣から卵を取った話もあったっけ。すごく美味しいからって僕たちにくれたんだ。
「うわ、ごめん、ヤンガス…」
すっかり忘れてた。こっそり口の中で呟いてヤンガスに詫びる。
「で、どうするの、これ。何作るの?」
何もかもぴんと繋がって、すっきりした気持ちで卵を指し示すと、料理長さんがミーティアの代わりに答えてくれた。
「せっかくの卵ですので、城の皆に行き渡るようにしたい、との姫様の仰せでございますので、プリンにしようかと」
「プリン!いいね!」
確かに、牛乳も砂糖も入るから嵩も増えて行き渡りそうだ。
「あの鍋に作ってひっくり返すのよ」
ミーティアが大きな鍋を指差す。あんな大きな鍋いっぱいのプリン…子供の頃に見た夢みたいだ。
「じゃあ早速作ろうか!」

           ※             ※             ※

期待に背かぬできばえだった。大鍋いっぱいにできたプリンは男手総動員でひっくり返されるとぶよんぶよんと弾み、ほろ苦いカラメルが掛けられて城の者全員に配られ、持って来てくれたヤンガスの名が称えられたのだった。


                                          (終)



2008.12.24 初出




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