夢の扉




夢の中でだけ、私は自由になれる。
この身にかかる呪いからも、「立場」というものからも。人目憚ることなく想う人とも話すことができるの。


その夜の夢の中でも私は人の姿に戻り、見覚えのない場所を独り歩いていた。どことも知れない泉の畔(ほとり)、月の光をいっぱいに湛えた水のせいなのか、どこかから聞こえる楽の音のせいなのか、普通ならば感じる、知らない場所に一人でいる不安も全くなくてただうっとりと辺りの景色を楽しむ。
柔らかな草地を歩く感触にかつてを思い出しながら進むうち、扉を見つけた。どこに通じるでもなく、空に向かって開くその扉が私を誘う。『さあ、開きなさい』と。
そっと手を伸ばして扉に触れた瞬間、私の身体は光に包まれた。


眩い(まばゆい)光が収まった時、私は今までとは違う場所にいることに気付いた。さっきよりもはっきりと聞こえる楽の音、なのにしんと静まり返っている空間。見上げる天空には夜毎に姿を変える月の姿。
そして月が巡るその下に見覚えのある人影が竪琴を爪弾いていた。
「イシュマウリさん…?」
「これは流星の姫君、私の世界へようこそ。といっても月影の窓を開いた訳ではないようだな」
「はい、あの…」
「夢の中からお出でになられたか?呪いはまだ解けてはおられぬ様子」
「お分かりになるのですか?」
驚いて問い返す。私はまだ何も言ってはいないのに。
「あなたのその身に纏う衣がそのように語っている。ドルマゲスを倒したはずなのにどうして呪いは解けないの、と」
そう、この人はあらゆる物から記憶を読み取るのだった。
「はい。せっかくエイトたちが必死になって倒してくれたのに私もお父様も呪いは解けなくて。その上ゼシカさんまで」
「苦労なさっておいでだね」
「はい…あの、この呪いはもう」
と言いかけた時、その人は身ぶりで言葉を遮り、私の背後を差し示した。
「この場所で逢瀬のお約束でもしておられたか」
「えっ?」
振り返ると先程入ってきた扉が再び輝いていた。と、開いてエイトが姿を現す。
「ここは?」
不思議そうに辺りを見渡すうち、私と目が合う。一瞬、エイトの目が輝いたように見えた。
「お座りなさい、お客人方。ここは夢の中から通じる私の世界。人には本来通うことのできぬ場所なれど、あなた方ならば喜んで迎えよう」
「あ、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げるエイトにつられるように私も頭を下げた。そしてイシュマウリさんの指し示す岩の上に二人並んで腰掛ける。夢の中、と分かっているけれど、エイトがこんなに近くにいるなんて。
「先程姫君がこちらにお出でになり、呪いの解き方について答えようとしていたところだ」
エイトが俯く。その横顔が悲しそう。ごめんなさい、あなたは何も悪くないわ。必要以上に苦労しているって知っているもの、誰もあなたを責めたりなんかしない。お願い、そんな顔しないで。
「なかなか難儀な旅のようだね」
「はい。あの後西の大陸に渡って、呪いが解けるという泉に行ったのですが…」
この人はもう分かっているだろうとは思ったけれど、手短に状況を話そうとした。でも「呪いが解けた!」と思ったのにまた馬の姿に戻ってしまった時の落胆を思い出すとやっぱり辛い。ドルマゲスを倒してもまだ呪いにかかっているという事実も手伝って俯いて涙を堪えているだけで精一杯だった。
「あの泉の力を借りても解けぬのならば、かなり強い呪いだな。古くからの聖なる力が溶け込んでいる故、通常の穢れならば祓うことができるのだが…術者の力が大きいのだろう」
「はい、それに…」
「うむ、術をかけた本人を倒したはずなのに呪いはかかったまま、だな」
「何とか呪いを解く方法はないのですか?このままではあまりに…」
俯く私の手をエイトの手がそっと包みながら問いかけている。ゆ、夢の中なんですもの、いいのよね?でも夢の中のはずなのにこんなにはっきりと温かなエイトの手の感触が分かるのはどうしてなの?
「なくはない」
「それは?」
私もエイトも思わず身を乗り出して、声を揃えて問う。それに対して悲し気に微笑むと答えてくれた。
「古来から、強い呪いを解く方法は三つしかない。一つ目は術者の『解けよ』という言葉。二つ目は術者の命を断つこと。三つ目は…」
「三つ目は?」
ためらうイシュマウリさんをエイトは急かす。早く知りたい。けれども何だか嫌な予感がした。
「…呪いにかかっている者に対して真実の愛を捧げる者の命と引き換えに」
「具体的にどうすればいいのですか?」
はっと口を覆う私の隣でエイトがさらに身を乗り出す。
「実は姿を変える呪いがかかってる間は死ぬことができぬ。真の愛を捧げる者と死ぬことで呪いを打ち破る、と言われている」
全ての呪いを打ち破ることができるのならば、私一人の命と引き換えでも構わない。でも…!
「では」
エイトが振り返った。静かな、でも熱い決意を含んだ視線が私の心を射る。
「駄目!」
「いいえ、ドルマゲスを倒したのに呪いが解けないのならば僕の…」
言わせまいとする私、言おうとするエイトの言葉がぶつかり合う。そこにイシュマウリさんの言葉が静かに割り込んだ。
「だがその方法で呪いが解けたという話を聞いたことがない」
「えっ?」
「どういうことなんですか?」
月の人は竪琴を爪弾く。急いた心を静めるかのような優しい静かな音だった。
「なぜかは私も知らぬ。だが、人の心ほどうつろいやすいものはない。例え真実の愛だとその時思っていてもいつかは色褪せて別のものに変わってしまう。それに…」
と、言葉を切ってエイトの方を見遣る。
「真実の愛だと思っているものが別のものであることも多いのだ」
エイトはなぜかはっとしたように頬を赤らめ、俯いた。
「忠誠心だけでは足りぬ。この世で最も強い男女の愛でなければ。
だが、これ程自分を見失わせるものはない。『強い』と『激しい』を混同していたり、『誰かの為に死ぬ』という行為に酔っていることもある。
それでも断言できると言うのか?真実この者を愛していると」
エイトはしばらく拳を握り締め俯いていたけれど、ややあって静かに顔を上げた。その唇の上で音にならない言葉が微かに震える。あの運命の夜、どうしても聞きたかった言葉が!
けれどもそれは音にはならず虚空へと消えていってしまった。
「そのような不確実な方法に頼らなくともあなた方ならば確実に呪いを解くことができるのではないか、と思っている」
はっと振り返るとイシュマウリさんが話し始めていた。
「あれ程の海の記憶を蘇らせることができるあなた方ならば」
「でもヤツを…ドルマゲスを倒しても…」
「その者は術を行使しただけで、術をかけた者は別なのかもしれぬ。お仲間が杖を手にした後行方不明になったそうだね」
「あっ」
そういえばお父様も言っていた。ドルマゲスを倒した後、国宝の杖を手にしたのはゼシカさんで、その夜の宿でも様子が変だったと。
「その辺りに鍵となるものが隠されているのかもしれぬ。まずはお仲間を杖から解放してやらねば」
隣でエイトが力強く頷く。
そうよね、私一人の問題ではないのですもの。皆が納得できるようにしなければ…
不意に辺りの景色が揺らぎ始めた。
「おや、もはや夜明けのようだ。お二方、元の世界にお戻りなさい」
促されてごく自然に手を取り合い扉へ向かう。最後に振り返ると彼の人は竪琴を弾きながら私たちを見送ってくれていた。
扉を開こうとして手を止め、エイトは私を振り返る。
「もうしばらく我慢してください。必ず呪いは解いて差し上げますので」
「ありがとう」
エイトは右手で扉に触れた。同時に私の頬に唇が寄せられ───


…目が覚めたの。
消えかけた焚火の燻る(くすぶる)臭い、その隣でお父様が伸びをなさっている。そこへ街から三人が出て来てゼシカさんを追う旅が始まる。
いつものように先導しようと前へ出るエイトと一瞬目が合った。人よりも鋭くなった私の耳がその時小さく発せられたエイトの呟きを捉らえる。
『必ず…』
…待っています、いつまでも。どこまででもいくわ、だってエイトと一緒なんですもの。
まずはゼシカさんを助けないと、ね。

                                            (終)


2005.6.6 初出  






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