ゆめのおはなし



「エイト、遊びま…」
しょ、という言葉がミーティア姫の口から出かかって、引っ込みました。姫の声にこちらを向いたエイトの顔はとても嬉しそうでしたが、同時に顔色が悪いことに気が付いたからです。
「…エイト、大丈夫なの?何だかとっても顔色が悪いわ」
「ううん、大丈夫だよ」
エイトの側によって囁きましたが、エイトは首を振りました。でもどう見ても具合が悪そうです。
「…昨日、ちょっとよく眠れなかっただけなんだ」
「まあ…そんなにお仕事いっぱいさせられているの?」
エイトの言葉に姫は眉を顰め(ひそめ)ました。
「違うよ。そんなんじゃないんだ…」
エイトは否定しましたが、いつもと違って歯切れがよくありません。ミーティア姫は可愛らしい眉を一層顰めて考え込みました。
「…ここ、落ち着かないし、ミーティアのお部屋に行きましょ」
他の使用人たちがこちらを見ています。それが気になったのか姫はエイトの手を引っ張りました。
「う、うん」
エイトは半ば押し切られるようにして姫の部屋に連れて行かれました。


「本当に大丈夫なの?風邪ひいてしまったのではないの?」
部屋に入るなり、ミーティア姫は矢継ぎ早に問い詰めました。姫が心配するのも無理はありません。何しろ昨日、エイトは大きな林檎の実を取ろうとして枝から下の池に落ちたのです。
「風邪なんてひいてないよ。あの後ちゃんとお湯使わせてもらって乾いた服に着替えたし」
その後たっぷりお説教もされたのですが、そんなことは話すことではありません。実は姫も教育係からお説教されておりました。が、エイトに対する非難になりそうな雲行きを感じた姫がさっさと追い払ったのです。
「…ちょっと嫌な夢を見たんだ」
姫の「絶対聞きだすのだから」と言わんばかりの視線に負け、エイトは渋々よく眠れなかった理由を口にしました。
「まあ…ミーティア、怖い夢って見たことないわ」
姫の反応にやっぱり言うんじゃなかったという気持ちが湧き上がります。そんな夢ごときを怖がっている自分が恥ずかしくなりました。
「でも、夢を見る前に怖いものを見たことならあるの。眼をつぶったらね、とっても怖いお化けがこっちに来るの。眼を開けていたらいないのだけれど」
「ふうん」
ミーティア姫も怖いものを見たことがあるのだと知って、エイトの気持ちはちょっとだけ軽くなりました。
「昼間にね、ご本を見たのよ。とっても怖い絵が描いてあって、それだったの。だから、『絵だから怖くないの』って一生懸命思っていたら少し大丈夫になったのよ」
「そうなんだ…」
エイトはその夢を思い返しました。でも、その夢に出てきたものを実際に見た記憶は全くありません。
「じゃあ、あれは何だったのかな…」
「どんな夢だったの?」
「うーんと…」
ちゃんと話せるようによく思い出そうとしました。でも何だか、そうしようとすればする程頭の中がもやもやしてくるのでした。
「どこだか思い出せないんだけど、どこかの洞窟かなあ。あんまり明るくないところだったんだ。いっぱい岩があるなーって思っていたら近くの岩がむく、って動いて、真っ赤な眼が僕を睨んだんだ」
「まあ」
「そしたら他の岩みたいなのも動き出して、こっちを見たんだ。すっごく大きい─竜だった」
途端にエイトのポケットがびくっとしました。今までおとなしくしていたトーポが急に動いたようです。
「あっ、ごめんねトーポ」
エイトは慌てて服の上から撫でてやると話を続けました。
「岩だと思っていたんだけど、全部竜だったんだ。洞窟みたいなところにいっぱいいて、何でだか分かんないんだけど、そこを一人で歩いていかなきゃならなくてさ。あいつら火吐いてくるんじゃないかってすっごく怖かったんだ」
しょんぼりしたような顔になって、エイトは話を締めくくりました。
「まあ、それは怖かったでしょうね」
ミーティア姫も一緒になって怖そうな顔をしました。
「何であんな夢見たんだろ。竜なんて一度も見たことないのにさ、どうして竜だって分かったんだろ」
またまたトーポがびくびくっと動きました。今日はどうも落ち着きがないようです。エイトがポケットから出してやると、心なしかしょげているように見えました。
「どうしたのかしら。今日はトーポも元気がないみたい」
ミーティア姫は元気のなさそうに見えるトーポにお菓子の欠片を与え、エイトを見ました。
「でもエイト。ミーティアだって竜は見たことないけれど、ちゃんと竜だって分かると思うわ。多分」
「そうかなあ。だってトカゲとヤモリの区別がつかなかったじゃないか」
元気のないなりにエイトは姫の言葉に反論します。
「だって竜は竜でしょ?ほら、よく紋章とかに使われているし」
「あんなの全然怖くないよ。もっとずっと竜っぽかったんだ。作り物っぽくなくて、もっと生き物らしいっていうか」
エイトの言葉に姫はうーんと考え込んでしまいました。そんな様子を見て、エイトはまたも落ち込んでしまいました。
「もしかしたら本当は僕、竜の子なのかも」
お菓子を齧っていたトーポがぽろっと落とし、慌てた様子で拾い上げます。
「違うわ。エイトは人間なの」
「だけど…」
姫の言葉にエイトはもじもじと俯いてしまいました。
「だって、竜は鱗が生えているんでしょ?エイトの手は柔らかくて本当の人間の手をしているわ」
「でも…」
ミーティア姫は自信たっぷりに言い切りましたが、エイトの心に湧き出た疑念は消えてはくれませんでした。
自分は何者なんだろう、どこから来て、どこへ行こうとしていたのか、という決して答えの出ることのない迷いの袋小路へと入り込んでしまったのです。
「うーんと…」
姫は困ってしまいました。目の前にいるエイトは、自分から進んで怖い結論の方へ行こうとしています。疲れたり参っている時は得てしてそういう考えになってしまいがちなものですが、どうやらエイトはそういう状態のようです。どうすれば止めることができるのでしょう。
「じゃあエイトはね、」
意を決したミーティア姫は、色々なお話を思い出しつつ話し始めました。思ったよりしっかりした声が出ました。
「本当は、竜の王子様なの。ほら、よくお父様がなさっているように謁見していたから、それで他の竜たちがエイトを見ていたのよ。きっと、行こうと思ったら月まで行けるし、一息で悪い魔物の軍勢も焼き払えちゃうのよ。
だけどエイトは子供だったから、悪い魔法使いにさらわれて人間の世界に連れてこられたの。それでトロデーンに来たのよ。
だから本当は…」
と言いかけて、姫はぽろっと涙を零しました。
「ミーティア?」
「何でもないのっ」
怪訝そうなエイトにぶんぶんと首を振ってみせます。
「竜は、人間なんて弱い生き物に声をかけたりなんてしないもの。だから本当は、エイトはミーティアとなんかお話ししてはいけないのだわ。お友達にもなってはいけないのよ!
きっとそうなの!」
姫はそう言い切ってわっと泣き出しました。
「ミーティア」
「だってそうでしょ?エイトが竜の子だって言い張るのだったら、もうミーティアとなんてお話ししたくないのでしょ?ずっとずっとお友達だったけれど、もうお友達ではなくなるのでしょ?」
自分で作った話ではあったのですが、やっとできたお友達だったのに人間と竜だから友達にはなれないのだ、と姫は思った途端、悲しくて涙が止まらなくなってしまいました。
「ミーティア…僕、ずっと友達だよ…約束するよ」
「ううん、だって、そういう時って悪いお祖父さんとかが出てきて『友達になってはいかん!』とか言うのよ。お話だと絶対そうだもの」
トーポがものすごく決まり悪そうにしていましたが、エイトはそれどころではありません。
「竜だって何だって、僕ずっとミーティアの友達だよ!本当だよ!」
エイトは思わず叫んでいました。自分が何者であるかということより、ミーティア姫と友達でいることの方が大事なことに思えたのです。
「…うん…」
エイトの言葉に落ち着いてきたのか、姫の涙は少しずつ引いてきたようです。
「約束よ、エイト。ずっとずっと友達でいてね」
まだくすんくすんと言ってはおりましたが、姫は手を差し出しました。
「うん、約束するよ。ずっとずっと友達でいるって」
エイトも手を握ってそう約束しあうと何だかほっとしたような気持ちになりました。二人ともそのまましばらく黙っておりましたが、ふとエイトが口を開きました。
「そうだ、あのね、今朝すごいこと思いついちゃったんだ」
「なあに、すごいことって」
「あのね…」
二人とも、気が済んだのでしょう。何か別の話を始めました。エイトが思いついた「すごいこと」をしようとしているのかもしれません。ミーティア姫はエイトの思いつく「すごいこと」が大好きでした。思ってもみなかったようなことばかり思いつくのですから(そして実際に「すごいこと」をして誰かに怒られるのも常でした)。


だから、部屋の隅でトーポがこっそり胸を撫で下ろした姿を、二人は見ていなかったのでした。


                                          (終)



2008.9.30 初出




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