走狗の運命




トロデーン城は呪いから解き放たれ、一日も早い完全な復興のために皆懸命に働く日々が続いている。
呪いが解けた途端、城内や庭にあった瓦礫の山は跡形もなく消え去ったものの、その間降り積もった埃やガラスの曇り、あちこちに生じた錆などは残ったままである。三日三晩の宴の果てた後、城の者総出で掃除に取り掛かったのだった。
その喧騒も奥まった一室で思案に暮れるトロデ王の耳までは届かない。
(さて、どうしたものか)
王の頭を悩ませていたのは他でもない、エイトの処遇だった。
(トロデーンを、いや、この世界を破滅から救った勇者じゃ、姫の婿に何の不足もないわい。その上サザンビーク王家の血を引いておるのじゃし…)
それは亡き母の願いでもあった。
「必ずや我がトロデーンとサザンビークの血を一つに」
との言葉は当時の情勢にも非常によく適合していて、サザンビークと婚姻による同盟を結ぶことについて王は私情を挟むことなく裁可していたのである。
(じゃが…)
王は悩む。エイトの出生を明らかにしてよいものか。明らかにしなければ貴賎結婚の誹りは免れ得ない。トロデーン王家は代々、庶民と婚姻を結んだ者とその子孫の王位継承権を否定してきた。王命を以って正式な婚姻であると宣言したとしても他の王族が黙ってはいないだろう。適当な者を擁立して国は内乱状態になるかもしれない。
だからと言ってエイトの出生を明らかにするのも考えものだった。サザンビークはトロデーンと違い、正嫡男子にのみ王位継承権がある。さらに直系の長子とその子孫が継承順位が高いのだ。この論理でいくとエイトは現在の王であるクラビウスよりも王位継承順位が高くなってしまう。そのような者がトロデーンにおり、王家と関わりの深い立場にあることを公表すれば世間はどう考えるだろう。それはいかにも拙いやり方だった。
(分別のある者で助かったのう…)
今はまだ、そのことを誰にも明かしていない。エイトもまた、何も言っていないようだった。折を見て話し合わなければ、と思いつつも未だその機会はなかった。
と、そこへ侍従が入ってきて何事かを囁いた。
「うむ、通せ」
告げられた名に一つ頷くと、深々と礼を取って退出する。代わってトロデ王と同じくらいの年頃の、いかにも高貴の身分と分かる男が入ってきた。
「トロデ王様にはご機嫌麗しゅう…」
「よい。急ぎなのじゃろ、用件を申せ」
「ははっ」
男─トロデーンの大臣だった─は促されて手にしていた書類を読み上げ、裁可を求めてきた。そのうちのいくつかには頷いて認可し、いくつかはよりよく審議するよう差し戻す。
「ところで─」
全ての書類に眼を通したところで大臣はやや改まった口調で切り出した。
「うむ、何じゃ。玉座の件はもうよいと言うた筈じゃが」
歯切れの悪い大臣に少しばかり嫌味を言うと、さっと朱が差した。
「そっ、その節は大変ご無礼申し上げましたこと、平にお詫び申し上げます。…ですが今日はそのことではございません。実はエイトのことでございますが。─王様はあの者をどうしようとお考えでございますか」
エイトの名が出た途端、王もまた真剣な顔になった。
「エイトか。この国の恩人なのじゃし、その忠心に篤く報いるつもりじゃが」
これはもっと早く処遇を決めるだった、とトロデ王は内心反省した。あの宴の中ででも姫との婚約を発表してやればよかったかもしれぬ、と。
だが、大臣の言葉は意表を突くものだった。
「左様でございます。かの者はこの国の恩人。ですが同時にこの国を滅ぼし得る者であることをお忘れなきよう」
「何と」
もしやエイトが話したのか、それともあの三人の口が軽かったのかと疑念が湧き起こる。
「かの暗黒神を打ち負かす様な者、一度叛意あればただ一人でこの国を滅ぼしましょう。危険でございます」
その言葉に王は笑った。自分の不安が外れたことと、大臣の意見があまりに荒唐無稽に思えたからである。
「何じゃ、それか。おぬしも心配性じゃのう。大丈夫じゃ、エイトはそのようなことはせん」
真剣な訴えが一笑に付されて大臣は色をなした。
「恐れながら申し上げます。臣は根も葉もない不安から申し上げているのではございません。歴史を鑑みた時、力を持ち過ぎた、それも近衛という王に近侍する者が反乱を起こすという例は枚挙に暇がございません。
今からなら間に合います。早急に手を打つべきです」
「ほう、どのような?申してみよ」
あまりの真剣さに、王は笑いを収めて一応聞いてやることにした。
「婚姻を結ぶのです。幸い我が家には未婚の娘が─」
「そなたの娘じゃと?四十を間近にしても相手のいないあの娘をエイトに押し付けるとな?噂では歩くことすらままならず、床板を踏み抜いたと聞いておるのじゃが」
提案の馬鹿馬鹿しさにふんと鼻で一蹴する。
「ゆ、床板ではございません!た、確かに踏み抜いたことはございますがそれは寝台の底板でして…コホン、えー我が娘がお気に召さないとあらば、姪孫もおりますが。可愛い盛りでして」
「駄目じゃ駄目じゃ、そなたの姪孫はまだ揺り籠の中じゃろうが。そなた、トロデーンのためとか申して自分の売れ残りの姫を片付けようとしておるじゃろ」
このちゃっかり者め、と言外に匂わせると大臣は必死に弁解した。
「めめめ滅相もございません。ただよかれと思って」
「よかれと思うなら、この件に関しては口出し無用じゃ。おぬしの意見は中々楽しかったぞ。よい気晴らしになった。さ、仕事に戻るがよい」
ひらひらと手を振って退出せよ、と促したのだが、大臣は下がらなかった。
「もしや、あの者に姫様を娶わせようとお考えではございませんでしょうね」
その言葉に他の仕事に取り掛かろうとしていた王の手が止まる。
「勘気を蒙りましても申し上げます。この国を救ってくれた恩はございましょう。ですが国益とはまた別のものでございます。それだけはお止めくださいますよう」
「姫との結婚が愚策と申すか?じゃが、『取り込むべき』とあれ程熱弁を振るったのは誰じゃったかのう。姫と結婚すればトロデーン王族となって他国に取られることもなくなるのじゃぞ」
姫の婚約者はあのような男であったのじゃし、とトロデ王は心の中で呟いた。が、当然大臣には知る由もない。
「トロデーンの復興叶ったことはサザンビークにも届いております。既に先方の大臣からも臣宛に内々の書状が。姫様をエイトにお与えになって、先の約束を違えた件についてどう言い抜けなさいますか。
なりません、なりませんぞ。我が家の娘はともかく、誰ぞ適当な公爵家の姫を宛がって確実にこの国に繋ぎ止めるか、さもなくば─」
普段の人の良い顔から思いもよらない冷たい言葉が大臣の口から転げ出た。
「速やかに死を賜りますよう」
「何じゃと!この国を救った者にそれを言うかそなたは!」
激高する王とは対照的に大臣は一層落ち着いて次の言葉を出す。
「この国を守るためでございます。あの力、他国に利用されては我が国は一たまりもございません」
アスカンタ王の姿が王の脳裏にふと、浮かんだ。窮状を救ってくれたエイトに対して大きな好意を寄せる隣国の王。自分亡き後、エイトの剣が彼に捧げられたら…
「王様、どうかご決断を」
トロデ王は小さく笑った。
「王様」
「よかろう、そこまで言うのならワシにも考えるところがある。人払いしてエイトを呼べ。無論そなたも同席することはならん。それとワシの出した結論に異論を挟むことは断じて許さんぞ」
「ははっ」
そして、エイトが呼ばれる。

              ※             ※             ※

その夜、かなり遅くまで二人は出てこなかった。
何が話し合われたのかは誰も知らない。ただ、次の朝一番に出された布告はこうだった。
「功績により近衛兵エイトを近衛隊長に叙す」
「トロデーン王女ミーティアとサザンビーク王子との婚礼の準備に皆勤しむべし」


                                             (終)




2007.3.11 初出









トップへ  目次へ