舞踏会





今夜は舞踏会なのだという。
見習い兵士に過ぎない僕は武術の稽古を免除になり、厨房の手伝いをしていた。十二の時に兵士になろうと決心するまでずっと細々とした雑用をしてきた僕にすれば、むしろこちらの作業の方が慣れている。芋の皮を剥いたり水を汲んだり、火焚き人夫のおじさんのために薪を持っていったりと厨房での仕事はいつも忙しい。そんな混乱にも近い厨房を、料理長さんががっちり統率して素晴しい料理を作っていく様はいつ見ても感心するばかりだ。
「おう、エイト」
大量の茹で上がった芋の水切りをしていると、その料理長さんが話し掛けてきた。
「どうだ、兵舎での暮らしは。何だったらこっちに戻ってきてもいいんだぞ。料理人としてもいいセンいくんじゃねえか?」
「ありがとうございます」
気持ちだけはありがたく受け取った。随分この人にはお世話になっているし、案じてくれていることは素直に嬉しかったので。
「でももう決めたので。やれるところまでは頑張ろうと思っているんです」
そう言うと料理長さんはにやりと笑い、
「男に二言はないものな。まあ、しっかりやれよ」
ぽんと一つ肩を叩くと、
「芋はその台の上に置いておけ。それから火力が落ちている。火焚き人夫のところに薪を持っていけ。それが終わったら大広間のシャンデリアの蝋燭を新しいものに替えてこい」
矢継ぎ早に指示を寄越してあちらへ行ってしまった。
その指示に従うべく、急いで芋を置いて薪を運んだ。シャンデリアの蝋燭を替えるには手間も時間も掛かる。早くしないとお客様を待たせてしまうことになる。
新しい蝋燭を倉庫から出して大広間に向かった。人手が足りないらしく、今回は僕一人でしなければならない。
シャンデリアを下ろす。かなりの重量の物なんだけど、滑車が上手く組み合わされているおかげで重さは感じない。これが全部魔法仕掛けになっていれば簡単に灯りを点すことができるのに、と思わなくはないけど仕方がない。それにそうなったらそうなったで使用人が減らされてしまうし。
吊り下げる鎖が傷んでいないか、シャンデリア自体に不都合はないかよく確認して蝋燭を交換し始めた。一歩間違えば大事故になってしまう。こんな重い物の下敷きになってしまったら、と思うと身の毛もよだつ。特に今日は他国からのお客様も来るらしい。気を付けて点検した。幸い不都合なところはなく、僕は新しい蝋燭に取り替えて上から順々に点火していった。と、広間の入り口に人影がある。誰だろう、花を活ける人かな、と思って気にも留めずにいたんだけど、それにしてはずっとこちらを見続けている。さすがに気になって、顔を上げてそちらを振り返った。
「エイト」
「ミー…姫様」
僕と眼が合った瞬間、あの方の─ミーティアの顔がぱっと輝いた。眩しくてつい、眼を逸らしたんだけど、それにはお構い無しに傍に寄って来る。
「灯りを点してくれていたのね。どうもありがとう」
「あ、いえ…」
言葉少なになってしまったのはそれが恥ずかしかったからというのもあったんだけど、最近どうも声が出し難いというのもあったから。気付かれたくなくて、ついぶっきらぼうな物言いになる。
「あら、どうしたの?声が変よ。風邪を引いたのかしら」
でもやっぱり気付かれてしまった。
「いえ、だ、大丈夫です」
慌てて否定したんだけど、首を傾げてこちらを見ている。
「だって頬も赤いわ。熱があるんじゃないかしら」
そう言って手を差し伸べ額で熱を計ろうとしてくる。
「ほっ、本当に大丈夫です。こんなに蝋燭があると熱いんです。そそそれだけです」
それだけは止めて欲しかった。そんなことをされて平静でいられる自信はない。
「そう?ならいいのだけれど…」
「とっ、ところで何かご用事でございますか?」
また声が裏返ったけど、何とか持ちこたえて用件を聞こうとした。こうやって二人でいるところを見られたらどうなるのか。一使用人に過ぎない僕がこの城の王女様と話しているところを。
「あのね、今日のためにお父様が新しいドレスを作ってくださったのよ」
そう言ってミーティアはくるりと一回転してみせた。服のことなんて全然興味なくて、どれがどういいのかさっぱり分からないんだけど、今彼女が来ているドレスがいつものものと違っていることだけは分かる。
「今日いらっしゃるお客様の国で流行っている型なんですって」
一瞬ミーティアの口が震えたが、そのまま何気ない風を装った。それに僕は気付いたけど、何もなかったふりをして仕事に戻ろうとした。
「そうなんですか。…よくお似合いです」
この時程紋切り型な言葉があって助かったと思ったことはない。いつものドレスは身体の線があまり出ないんだけど、深緑の生地に小粒の真珠で縁取りされたこのドレスは、上半身がぴったりとしていて身体の線を隈無く見せている。ほっそりとした腰から、膨らみかけた胸の辺りについ目が行ってしまって慌てて視線を上げた。夜会用のドレスのため、大きく開いた襟元に、何の宝石かは分からないけどきらきら輝く首飾りが映え、そして─
「メイドさんたちにお願いして、髪も巻いてもらったの」
真直ぐな黒髪は丁寧に巻かれて結い上げられていた。それはとても可愛らしかったんだけど、剥き出しになったうなじが妙に気になって仕方ない。
「…変だったかしら…」
僕の顔が余程変だったらしい。気にしたように問いかけられた。
「いえ、そんなことは…」
白い肌に後れ毛がはらりと掛かって何て言うか、その…ええと…えい、言ってしまえ!どきどきしてしまったんだ。じろじろ見てはいけないと思うのに、目が吸い付いて離れない。触れたらきっと滑らかでしっとりした感じなのかな、とか色々つまらないことを思ってしまう。
「…」
はっと我に返るとミーティアは俯いていた。
「あっ、あの…」
「いいえ、いいの」
慌てて取り繕おうとした僕を遮る。
「ごめんなさい、気をつかわせてしまって。…どうぞ仕事を続けてください。ご苦労様です」
しょんぼりと肩を落としてミーティアは部屋を出て行ってしまった。引き止めようとしたけど、でも僕がそんなことはできない。一礼して顔を上げた時、遠離っていくミーティアが髪に指を掛け、懸命に巻き毛を伸ばそうとしている様子が見えた。


ごめんなさい。本当はすごく似合っていたんだ。でもそれをどうやって言葉にすればいいのか分からなかった。
『似合うね、かわいいよ』
とさり気なく言えたらどんなによかっただろうに。僕の心の中の邪な物さえなければ簡単だったはず。そう、昔のように。
あの頃に帰れたら。もう戻れない子供の頃に。


                                    (終)




2005.12.21 初出









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