落書き





茨に蝕まれたこの城に戻ってきてしまった。呪いを解くまで絶対帰らない、と心に決めていたのに。
けれども海を渡って西の大陸へと逃げていったドルマゲスを追うためには船が要る。荒野で見付けた古代の船は僕たちにとってまさにうってつけだった。海から遠く離れた場所にあるということを除いては。
もしかしたら城に何か手がかりがあるかもしれないという王の言葉に従ってここへ来たけど、今の城の様子はあまりに悲しい。茨に取り込まれてしまった同僚たち、恐怖の表情を浮かべたまま時を止めてしまった厨房のおばさん。茨と化していたネコは旅立つ前とは違って花が咲いていた。呪われていても確実に時は流れている。手後れになる前になんとかしなければ…
城内は記憶以上に凄まじい様子だった。記憶の中で自分の故郷を美化していたんだな、と思う。茨が暴れたおかげで広々とした廊下─掃除大変だったな─もあちこち通れなくなっている。窓のない廊下にはかつては灯が点されていたけど、今はそれが無いため薄暗くて歩きにくい。
「旅立つ前に見ておるし、覚悟は決めてここに来たつもりじゃったが…」
隣でトロデ王が肩を落とす。御自分の城がこのような有り様になってしまったのだ、衝撃の大きさは僕以上だと思う。
「これから何とかして図書館に向かますが、それと共に城内の様子を確認しておきたいと思います」
僕がそう言うと王は力無く頷いた。
「うむ。旅に必要な物があれば持って行こうぞ…じゃが、この有り様では…」


案の定、使えそうな武器や防具は皆茨に絡み付かれていて使いようがなかった。宝物庫は無事のようだったけど、鍵が失われていて開けられない。
それでも順々に部屋を確認しながら三階まできた。封印の間に何か手がかりはないかと見回してみたけど、何もない。ただ茨がのたうちまわっているばかり。
「このように茨が蔓延って(はびこって)いては…そうじゃ、姫の部屋は無事なんじゃろうか」
…本当はそれが一番気掛かりだった。王が言って下さったおかげであの方の部屋へも行きやすい。
扉を開け、中を見回す。幸い大きな蔓は部屋の中に入り込んでいないようだ。部屋の真ん中に置かれたあの方のピアノも無事だった。
そう、見張りの時に洩れ聞こえるあの方のピアノを僕は密かに楽しみにしていた。晴れた日には時々部屋の窓から僕とおしゃべりしたりして…
ふと、壁際にある本棚が気になって調べることにした。時々役にたつ情報が手に入ることがあったから…
分厚くいかにも何か書かれていそうな一冊を手に取り、ページをめくる。字が細かくて薄暗い中で読むのは難しい。内容は…何だろう、まだよく掴めない。
それでもぱらぱらとめくっていくと、突然余白に大きく
「大 吉」
と手書されていた。そうだ、これは確か…

            ※           ※           ※

それは確かミーティアの部屋で一緒に遊んでいた時のこと。きっと冷たい雨の降る日だったはず、雨じゃなければ外に出ていたはずだったから…
小さい時僕は雨が嫌いだった。冷たい雨は行く当てもなく自分が何者か分からないままさまよっていた頃を思い出させるから。
あの時もせっかくミーティアと一緒に遊んだりお菓子を食べたりしていたのに窓に打ち付ける雨の音にいつの間にか暗い顔になっていたらしい。
「エイト?」
気が付くと不安そうなミーティアの顔が目の前にあった。
「大丈夫?何だか悲しそうな顔だわ」
「あ…うん、何でもない」
何だかちょっと「雨は嫌い」と言うのが恥ずかしくてぶっきらぼうな言い方になってしまった。
「でも…雨の音って嫌?」
「…うん」
そう、とミーティアもちょっと悲しそうな顔になってしまった。僕は気まずくなって、
「でももう平気だよ。気にしないで」
と言ったんだけど、難しい顔をしている。
そうやってしばらく考え込んでいたんだけど、ぽん、と手をたたくと、
「あのね、じゃあ悲しい気持ちになったらこの本を開いて」
ミーティアは本棚から一冊の分厚い本を取り出すとぱらぱらとページをめくり、大きな余白のあるページを出した。
「ここにミーティアがこう書いておくの。忘れた頃に見たらきっと『ああ、きっといいことがあるわ』って思うわ」
そう言って机の上から羽ペンを取ると大きな字で「大 吉」と書き込む。さらにその下に小さく「今日はきっといい日になるでしょう ミーティア」と書き添えた。そして、
「エイトも何か書いて」
と言うので僕も「明日もね エイトより」と付け加えたんだった。
その後本に落書きすることがすっかり楽しくなった僕たちは余白という余白に落書きしまくってしまって、後で音楽の先生に怒られたんだった。この本はミーティアの楽典で、稽古の時に突然先生の似顔絵−書いたのはミーティアだ−のページが出てきてしまったらしい。


あの時は本当にそんなもので明るい気持ちになれるのか疑わしかったけど、今こうして見ると何だかとても嬉しい。
ありがとう、僕は旅を続けられる。今の今まですっかり忘れてたけど、あの時のあなたに励まされた気がする。
この本は僕と…ミーティアが幸せに暮らしていた証のようなもの。城がこんな姿になる前確実にあった平和な生活の印。
くじけそうになる度思い出そう、あの時の僕たちを。そうして進んでいくんだ、ヤツを─ドルマゲスを─倒すために。


                                    (終)




2006.3.8 初出









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